ケビン・ラッド(△INTJ/建築家)

基本情報

wikipedia:
ケビン・ラッド
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89

盗まれた世代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%97%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%9F%E4%B8%96%E4%BB%A3

MBTI

https://www.personality-database.com/profile/20562/kevin-rudd-governmentworld-mbti-personality-type

※診断結果はリンク先の結果を参考にしているだけで専門的な知見などではありません。あくまで作家と作品を考えるきっかけとして利用しています。

興味関心の方向(Favorite world)
E – 外向型(Extravertion)
I – 内向型(Introvertion)62%

ものの見方(Information)
S – 感覚型(Sensation)
N – 直観型(Intuition)88%

判断の仕方(Decisions)
T – 思考型(Thinking)94%
F – 感情型(Feeling)

外界への接し方(Structure)
J – 判断型(Judging)62%
P – 知覚型(Perceiving)

INTJ/建築家
ENTJ/指揮官
INTP/論理学者

言葉

演説引用元『世界を動かした21の演説――あなたにとって「正しいこと」とは何か』

なぜなら、私たちの偉大な国のすべての人々が、私たちの偉大な連邦のすべての市民が、すべてのオーストラリア人が、先住民である人もそうでない人も、みなが集まって和解し、、私たちの国の新しい未来を築くべき時がまさに到来したからです。
「なぜ謝る必要があるのか」と問う人もいました。その答えとして、まずある人の物語を少しだけ話させてください。巧みな語り手である優雅な八〇代の女性の話です。困難な人生を歩んできたにも関わらず、生命にあふれ、たくさんの面白い話をしてくれる女性、私たちとともに今日という日を迎えるために遠路はるばるやってきた女性、盗まれた世代の一人である女性の話です。その方は、数日前に私が訪ねて行ったとき、ご自身の経験を話してくれました。
 ナナ(おばあちゃん)・ヌンガラ・フィジョと呼んでほしいというこの女性は、一九二〇年代末に生まれました。
 幼いころの一番古い記憶は、テナントクリークの町を出たところのブッシュキャンプで家族や地域の人々と暮らしていたころのことです。遠い昔の日々の愛と暖かさと人々との親密なきずなを覚えています。夜になるとキャンプの火を囲んで伝統的な踊りを踊ったことも。
 彼女は踊るのが大好きでした。四歳のころ、女の子は男性が踊るのを座って眺めているものとされていたのに、部族の長老の男性たちといっしょに踊りたいと言い張って大騒ぎになったことを覚えています。
 しかし、四歳だった一九三二年頃、「福祉の男」たちがやってきたのを覚えています。
 家族はその日が来るのを恐れて、小川の岸に子供たちが逃げて隠れていられるような穴を掘っていました。思ってもいなかったことに、福祉の男は一人で来たのでありませんでした。トラックに乗り、二人の白人とアボリジニーの牧夫を連れてやってきたのです。牧夫は馬に乗り、家畜用の鞭を打ち鳴らしていました。
 子供たちは見つかりました。泣き叫びながら母親に助けを求めて走りましたが、逃げることはできませんでした。子供たちは集められ、トラックの荷台に積み込まれました。母は涙を流しながら、保護のためと称して子供たちをアリススプリングズのバンガローに運んで行くトラックにすがりつきました。
 数年後、政府の政策が変わりました。子供たちは宣教団に引き渡され、教会で育てられることになったのです。しかし、どの教会が子供たちの世話をするのでしょう。子供たちは三列に並ばされました。ナナ・フィジョと姉妹たちは真ん中の列に、兄といとこは左側に並んでいました。左側の列に並んでいた子供たちはカトリック教徒に、真ん中の列の子供たちはメソジスト派に、右側の列の子供たちは英国国教会の信徒になるのだと言われました。
 一九三〇年代のオーストラリアの奥地では、宗教改革後の神学の複雑な問題がこんなふうに解決されていたのです。それほど乱暴なことが行われていたのです。
 彼女は姉といっしょにまずゴールバン島、次にクローカー等のメソジスト派の宣教団に送られました。カトリックになった兄は牧場に働きにやられ、いとこはカトリックの宣教団に送られました。ナナ・フィジョの家族は再び引き裂かれたのです。
 彼女は戦争が終わるまで宣教団で暮らしました。ダーウィンであらかじめ決められた家政婦の仕事につくため、ようやく宣教団から出ることを許されました。ナナ・フィジョは一六歳になっていました。母親とは二度と会うことはありませんでした。宣教団を出たあと、兄から、文字どおりわが身から引きはがされた子供を思いずたずたになっていた母が、何年も前に亡くなったことを知らされました。
 私はナナ・フィジョに、今日彼女の物語についてどんなことを言ってほしいかとたずねました。
 彼女は少し考え、どんな母親もみな重要だと言ってほしいと答えました。
 それからこう付け加えました。「家族を一緒にしておくことはとても大切です。愛情に包まれていること、そしてその愛が次の世代に伝えられていくことはよいことです。そういうことが人を幸せにするのです」
 その後私が帰ろうとしていたとき、彼女は私のスタッフの一人を脇に呼んで、遠い昔のあのとき、子供たちを捕まえたアボリジニーの牧夫について私があまり厳しいことを言わないようにしてほしいと頼んだのでした。
 その牧夫は何十年かのちに彼女を探し出しました。今度は彼自身が「悪かった」と謝るためでした。
 そして何とも驚くべきことに、彼女は牧夫を許したのです。
 ナナ・フィジョの物語は一つの物語にすぎません。
 何千、何万という物語、百年近くにわたって父や母から強制的に引き離されてきたアボリジニーとトレス海峡諸島民の子供たちの物語があるのです。

今こそ和解すべき時です。今こそ過去の不当な行為を認めるべき時です。今こそ謝罪すべき時です。今こそ共に前進すべき時です。
 盗まれた世代の皆さんに次のように申し上げます。
 私はオーストラリアの首相として、お詫びします。
 オーストラリア政府を代表して、お詫びします。
 オーストラリア議会を代表して、お詫びします。
 私はこれらのお詫びにいかなる限定も付けません。
 私たちは、過去の議会が制定した法律によって私たち機会がみなさんに傷と痛みと苦しみを与えたことを謝罪します。
 これらの法律がもたらした不名誉と侮辱と屈辱について謝罪します。
 歴代の議会の下で歴代の政府の行為によって引き裂かれた母親や父親たち、兄妹姉妹、家族、共同体に謝罪します。
 この謝罪をするにあたって、私個人としても、盗まれた世代のみなさんとその家族、ここに今日集まった多くの方々、北部準州中西部のユエンドゥムーから北クイーンズランド州のヤバラ、南オーストラリア州のビジャンジャンジャラまで、全国各地でこれを聞いているみなさんに、申し上げたいと思います。
 政府と議会を代表してこの謝罪をしても、私の言葉でみなさん一人ひとりが耐えなければならなかった痛みを拭い去ることはできないことを承知しています。今日どんなことを言っても、私には過去に起きたことを元に戻すことはできません。言葉だけではそれほどの力はありません。悲しみは一人ひとりの心の奥底にあるものです。
 今日これを聞いている先住民ではないオーストラリア国民のみなさんのなかには、今日の私たちの謝罪がなぜそれほど重要なのかを完全に理解できない人がいるかもしれません。しかし私はそういう人々に、少しのあいだ、これが自分の身に起きたと想像してみるようお願いしたいと思います。
 ここにお集まりの議員のみなさん、これが私たちに起きたらと想像してみてください。その深刻な影響を想像してみてください。許すことがどれほど難しいか、想像してみてください。
 私は次のように提案します。今日の私たちの謝罪が、謝罪をする私たちと同じ和解の精神で受け入れられたら、私たちは今日、オーストラリアの新しい始まりをともに誓うことができるのではないでしょうか。
 国が私たちに今求めているのは、そのような新しい始まりだと私は信じています。

けれども私たち議会が国民にめざすところを示さなければ、政策や計画、目的を導く明確な到達目標を欠くことになります。中心的な組織原理を欠くことになります。今日私たちは、子供たちのための政策から始めることを決意しましょう。盗まれた世代への謝罪の日である今日にふさわしい出発点です。今後五年間で、遠隔地のアボリジニー共同体のすべての四歳児が、適切な幼児教育施設や活動に参加し、読み書きと計算の準備教育プログラムを受けられるようにすることを決意しましょう。きわめて重要な就学前教育を終えたあと、毎年、段階的に進んでいけるような新しい教育機会を整備することを決意しましょう。この組織的な方法を使って、先住民の子供たちの将来の教育機会を整えること、彼らに適切な一次医療と予防医療を提供すること、ほかの共同体の四倍にも達する遠隔地の先住民共同体の許容しがたい乳児死亡率を引き下げる取り組みに着手することを決意しましょう。
 どれも簡単なことではありません。ほとんどは非常に難しい仕事です。しかし不可能なものは一つもありません。明確な目標を設定し、理路整然と、格差を縮めるためのこの新しいパートナーシップの基本理念として敬意と協力と相互責任を最大限に尊重すれば、どれも達成することは可能です。

(オーストラリア、キャンベラ、国会議事堂 2008.2.13)

緋片イルカ 2022.8.17

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