初稿完成から3日経った人へ

初稿完成から3日経った人へ

ほんとうに3日休みましたか?

おふざけでなく、これは大切なことです。

体力を回復させるという意味はすでに説明しましたが、3日以上経過させることには、もう一つ大切な意味があります。

短期記憶をリセットすることです。

人間の記憶は3日ほどは、すぐに思い出せるところで覚えているので、執筆の際には3日と空けないことが重要です。

空けてしまうと、前に書いた内容を忘れてしまうからです。

しかし、推敲ではむしろ、読者の気持ちに近づくため、その短期記憶をリセットしたいのです。

1ヶ月、1年とねかせれば、長期記憶もリセットされるので、より、まっさらな気持ちで読めると思いますが、なかなか現実的ではありません。

1週間ほどでもいいのですが、あまり空けすぎるとモチベーションも下がるので難しいところですが、ともかく3日ぐらいは休んだらいいと思うのです。

さて、推敲作業を説明していきます。

精読作業

推敲をする前に、まずはしっかり読むことが大切です。
「精読」とでも呼んでおきましょう。

●印刷するか、画面で直すか?
一般的には印刷した方が読みやすく、気づくことも多いと言われます。体感的にも、その意見には賛成です。

とはいえ、文章を画面上で読むことが多くなってきた現代では、紙だけが良いとは言いきれません。

日頃、スマホで読むことが多い人には、紙より画面の方が読みやすいことが多いでしょう。

しかし、何で読むか以上に大切なことは「文字数×改行」のフォーマットです。

「紙に印刷した方が良い」というときには暗に、書籍に近いページ設定で読んだ方がよいということが含まれています。

コンクールの応募であれば、応募要項のフォーマットで、出版を想定しているなら書き出すときのフォーマットで、ネット掲載であればパソコン画面やスマホの画面で読んだ方が、より読者に近い気持ちで読めるのです。

●読者が気になるところ
読者の気持ちというのは、あなたが他人の小説を読むときの気持ちと同じです。それも作者のことを知らない状態です。

あなたがどういう人間で、どういう経歴をもっているかも知らず、年齢も、男か女かも知らない状態で、小説を読むと想像するのです。

初見の読者が、すぐに気になるところは「誤字脱字」です。

つぎに気になるのは「わかるか?」です。ストーリーでいえば、いつ、どこで、誰の話なのかとか、このシーンはいつ、どこで、このセリフは誰が言っているのか、とかとか、作者が伝えようとしている情報が伝わっているかです。

ここではまだ隠そうと思っている情報であれば、きちんと隠せているか。隠していることで、読者はいらついたり、混乱したりしないか。

そして、さいごに気になるが「おもしろいか?」です。

●直しの視点
推敲作業のはじめは、まずは最初から最後まで読んでみることです。時間が許すのであれば、一気に読む方が良いと思います。

紙に印刷したものを読むとします。

赤ペンをもって、読みながら以下の作業をします。

①誤字脱字は○をつける
後日脱字は、あとでまとめて直せばいいだけです。ちまちま直していると、他のところも直したくなったりするので、あとで直しましょう。

②わかりづらいところに線を引く
このあたりの説明や描写がわかりづらいと感じたら、線を引いておきます。直すのはやっぱり後にしましょう。

ここは、あくまで「わかるか」の基準です。線が何行にもわたってつづけて引かれる場合は、わからないのではなく、つまらないと感じてしまっているのかもしれません。

「おもしろい」「おもしろくない」は次の段階の作業です。

③おもしろいところに○、つまらないところに×
「おもしろい」かどうかは、人によります。正しい意見などありません。

あなたの作品であるのだから、あなたが「おもしろい」と思うなら、それでいいのです。

しかし、作者のあなたですら「おもしろい」と思わないのであれば、他人が「おもしろい」と思う可能性は低いでしょう。

つまらない他人の小説を読みたがるほど、現代人は暇ではありません。

時間をつかうに値する価値を期待して読むのです。

好みの違いで「おもしろくない」と思う人がいるのは仕方なくても、作者自身が「おもしろい」と思えるまで直すのは作者の責任です。

自分にとっての「おもしろい」は「好き」でもかまいません。

描きたいとと思うものが描かれているなら、それはすでに、あなたにとって価値のある作品です。

作業としては、段落やページ単位などで、ごっそり括弧などでくくって、○とか×をつけていきます。

一言、感想をつけておいてもいいでしょう。

○なら「いい」「わるくない」「残したい」など、×なら「説明長い」「何も起きてない」「キャラがブレてる」「テーマにあってない」「矛盾してる」などなど。

おそらく○のところに書く言葉にはバリエーションが少ないでしょうが、×は多種多様だと思います。

場合によっては◎や△もつかえば良いでしょう。

このように赤ペンを入れる作業が「精読」です。

紙で読んでも、画面で読んでもよいと言いましたが、画面上でこれに類する作業ができるのであれば構いませんが、やりづらければ、やはり紙のがやりやすいでしょう。

また、ペンの色を変えるのは集中が途切れやすいので、一色のペンで引き方のルールで区別する方がいいでしょう。

推敲作業

精読をしたものを、どう直していくかを考えるのが「推敲」です。

語源のとおり「推すにするか、敲くにするか」を考えていくのです。

●大きいところから直す。
大きいところとは、作業の多いところです。

誤字脱字のような小さいことは、いつでも直せるので後回しです。直してるうちに誤字のあった段落自体が消えてしまうことだってあるでしょう。

まずは、精読で③にあたる「おもしろくない」ことを解消しなくてはいけません。

ここで×の原因を考えなくてはいけません。

他人に読んでもらいたくなることもあるでしょうが、まずは自分でできることは自分でやるべきです。

それは作者の責任でもあり、その方が、得なことはとても多いからです(理由は後述します)。

原因を考えるときに参考になるのはビート分析やストーリーサークルです。

とはいえ、ちょっと知ったところでビートの考えが急に身についたり応用できるわけではないのではないので、今は目の前の作品と向き合いましょう。

学びたい人は当サイトで説明していますので記事をご覧下さい。ただし完成させた後に、です。

ポイントとして「設定を直す」「構成を直す」「シーンを直す」という視点をヒントとして挙げておきます。

影響の大きい順です。

●設定を直す
言うまでもありませんが、大仕事の予感があります。

たとえば、主人公の性別や年齢を大幅に変えるとか、舞台となっている地域を変えるとか。

こういうことを変えると、物語そのものが変わってしまうことがあります。

下手したら、半分以上、書き直しになる可能性もあります。

本当に必要なのか?

〆切までに間に合うか?

を検討の上、判断してください。

通常、設定を変えたのに「構成」が影響を受けないということは考えられません。

簡単に直せるようであれば、その設定は物語で大して意味がないということになります。

たとえば、主人公が学生時代に「サッカー部だった」という一文があったとして、それを「野球部だった」に直したとします。

主人公が刑事の設定で、体力に自信のあるキャラであったとしたら、サッカーと野球のちがいはあまり変わりません。

どっちでもいいと言えるし、場合によっては「なくても良い」設定かもしれません。

しかし「鉄道研究会であった」となると、他のシーンに影響するかもしれません。

駅のシーンでリアクションが変わるはずです。たった一行直しただけでも、設定をいじると、他のシーンに影響がでる可能性があるのです。

設定をいじった場合、不都合が起きていないか、もう一度「精読」する必要がでてきます。

●構成を直す・シーンを直す
構成を直す場合と、シーンを直す場合は似ているのでまとめて説明します。

「構成を直す」というのはシーンでの結果が変わる場合です。

たとえば「主人公の刑事が駅でスリを見つける」というシーンがあったとします。

初稿では「逃がしてしまった」のに、直しでは「捕まえた」とします。

結果が変われば、次のシーンへの影響が変わります。これは「構成」に影響します。

変えたことによって、次のシーンがいらなくなったり、さらに別のシーンを加えなければいけないことがあるでしょう。

「シーンを直す」というのは「とり逃がしてしまう結果」は変わらないけれど、描写を変えることです。

初稿では「スマホに夢中になって、取り逃がした」となっていて、これでは情けないし、正義感に欠ける。

そこで「スマホに夢中になっていたが、発見したときには刑事の顔になって追いかける。しかり、転んでしまって取り逃がす」

とすると、情けなさは減り、正義感もかいま見えるようになります。

「取り逃がす」という結果は変わっていないので、構成を大きく変えなくても微調整で済むでしょう。

ちなみに、ここで「スマホなんかはやらない刑事」にしてしまうと、実直さがでてキャラクター自体が変わる可能性があります。

場合によっては、設定の直しになってしまうので、バランスには注意が必要です。

他人に読んでもらうタイミング

プロットができた人への記事でも紹介しましたが「初稿なんてどれもごみである」というヘミングウェイの言葉があります。

他人に見せるものではありません。

「ごみ」を読まされて「どう思う?」と聞かれる人の気持ちを想像してください。

社交辞令で「おもしろいよ」と言ってくれても、内心で「あの人の小説はもう読みたくない」と思われてしまうかもしれません。

「読んでもらう」ということは、相手の人生の貴重な時間を使ってもらうことでもあるのです。

スクールや個人で、お金をもらって読むことを引き受ける人もいます。

そういう人に読んでもらうことは、使い方によっては効果的かもしれません。

しかし、しょせん他人でもあります。あなたの作品に責任はありません。

商売であれば、厳しいことは言ってくれないかもしれません。褒められて勘違いしてしまうかもしれません。

反対に辛辣すぎてもあなたが不快に思うこともあるかもしれません。意見が「お門違い」だと感じたら、ムダだったと感じるでしょう。

お金を払ってる分、その意見を無視することに抵抗は少ないでしょう。あなたの方で「聴く耳」を失ってしまうかもしれないのです。

(※唯一、途中段階でも相談して良いといえる相手は「物語についての理解度が近い」仲間だと思いますが、これについては省きます)

ともかく、友達であれ、家族であれ、仲間であれ、安易に読んでもらうべきではありません。

読んでもらうなら、少なくとも自分としては完成に近い形にもっていくべきなのです。

自分で「おかしい」「つまらない」と思っている部分は直してから、読んでもらうべきなのです。

それは、時間をつかってもらう相手への礼儀でもあるし、同時に自分のためでもあります。

せっかく読んでもらえるチャンスを「ここに誤字脱字があったよ」なんかに使うのはもったいないのです。

自覚しているところを「この辺がよくわからない」といわれたところで、「やっぱりそうだよね」となるだけです。

直してから読んでもらっていれば、自分の気づいていない「意見」をもらえたかもしれません。

推敲はつづくよ、どこまでも

推敲をしたあと、精読すると、また新たな問題点が見つかって、推敲する……

直し作業はその繰り返しです。

稿を重ねる度に、直したいところが減ってくると完成に近づいてきている実感がでてきます。

それでも自分が成長すると、それまで気づかなかった部分が見えてしまって、また直したくなったりもします。

小説に答えなどないし、永遠に続くかもしれません。

〆切はひとつの目安です。

そこまでに出来るだけ直したら、一回、応募したらよいでしょう。

応募するのと他人に見せるのは同じです。良ければ通るし、つまらなければ落ちます。

選考過程に疑いをもってる人は出版社に持ち込みをしたらいいでしょう。本当に良ければ出版してくれるでしょう。

ネットにあげたって話題になるでしょう。

あなたが自分で完璧だと思えるほど、直し込んでいれば、そういう気持ちになるでしょう。精読していないものを傑作だと思うならエゴです。

自分が完璧だと思えるものが書けたとしたら、それはコンクールに落選などしても、価値は下がりません。

他人に理解されなくとも、あなたにとっては、それは大切な意味のある作品になっているはずで、それをわかる人は必ずいます。

自分でも反省する点がある状態で、応募して落選してしまった作品ならば、直してまた次のコンクールに出せばいいのです。

緋片イルカ 2021/03/08