私的最西端更新録(入浴編)(リレーエッセイ4)

「じゃあ、さいのも京都来れば?」

これがたった、昨年の12月中旬のことである。そこから私の最西端を更新する旅がいよいよ始まり、もう終わった。今は万博記念公園で買った太陽の塔のキーホルダーが机上に打ち捨てられて寂しそうだったので、家の鍵に取り付けてあげていたところである。そして毎日持ち歩くにはちょっと怖いので、早速外した。いつの時代に何のブームが来てる人なのだろうと思われてしまいそうなのもある。

つい先々週まで、宮城県生まれの私が到達した最西端は三年前に行った福井県鯖江市であった。その前はそのさらに一年前に行った石川県金沢市、さらにその前は小学生の時に万博を観に行った愛知県名古屋市にまで、私の最西端到達遍歴は遡る。指示語の多い文はあまり好きではない。

余談だが愛知県名古屋市よりも石川県金沢市の方がほんの少しだけ西に位置しているというのは、なんとなく直感に反する事実じゃなかろうか。金沢へは観光で行った。北陸新幹線の中でこのパラドックスに気付き、いま乗っているのが私の最西端を現在進行形で更新する開拓列車であることを伝えると同行していた友人たちに笑われた。そうと知っては次の年、私の最西端を更新するために一つだけ西の福井県に連れて行かされたという次第だ。当時は北陸新幹線が福井駅まで延伸していなかった。そこで東京駅から東海道新幹線で米原駅を経由して福井駅に行っては意図せず滋賀県にまで立ち入ってしまうからと、まず北陸新幹線で金沢駅まで向かい、福井駅にはサンダーバードで向かうルートにしたという徹底ぶりである。友人とはいえ他人が石川県に隣接した都道府県しか踏まないようにする事にそこまで熱意を傾けるというのは、なかなか出来ることではない。お陰でめがねミュージアムと福井県立恐竜博物館、十八時を超えるとほとんどのシャッターが降りる福井駅前などが、最近までの私の最西端の印象だった。ちなみに福井駅前での夜の過ごし方があまりにも分からなかった私たちは地元の激安カラオケに目を付け、二夜連続で歌った。こうして福井を踏んだことでルール上、次は福井が接している京都には行って良いことになっていた。

本題に戻ると要するに、旅行に行くことがまるで無い。出不精ではない。四半世紀と少し生きてきて東海道新幹線に乗ったことだけは無かったのである(愛知万博には当時、飛行機に乗ってみたいとの本人たっての希望で仙台空港から行った)。何でもない日は電車に乗って、降りたことのない駅で喫茶店を見つけてはノートパソコンを広げてウダウダしたりもする。思えばこれは中高生の頃、東北放送で土
曜の昼間にやっていたテレビ東京の「モヤモヤさまぁ〜ず2」の再放送を夢中で観ていた影響である。「モヤさま」は主に東京圏の「何があるかよく分からないモヤモヤした駅」に降りてロケをする街ブラ番組なのだが、宮城県とは路線網の密度が段違いであることを知って、東京に対する最初の憧れを持った。上京して以来長らく関東圏に居を構えているうちに、気付けば自分にとって関西の方がずっとモヤモヤしている場所になっていたのである。

本当に閑話休題する。最初から一筋縄に沖縄に行ったりするような人生ではないので、こういうことなのである。遅れを取り戻すため、所々端折っていく。分量としてはまだ三分の一であるから、一度読むのを休憩されるのも良い。

さて東海道新幹線の話をしておいてアレだが、京都へは新幹線でなく夜行バスで向かった。下車したのも大阪の難波である。自宅に近い横浜から難波まで1,980円という新幹線のほぼ七分の一の料金に目が眩み、九時間半という新幹線の四倍にも迫る乗車時間の意味を理解できなかったのだ。一番安いLサイズの宅配ピザでも二千円は越えようかという時代にである。おかげで関西の第一歩目は、一睡もせずに踏んだ。いつ最西端を越えたかなど、揺れの気持ち悪さに比べればもはや些細なことだった。それからは首尾よく現地で友人らと合流する。東京から同じくバスでやって来た友人は快眠だったらしく、私はアドレナリンだけを頼りに初めての関西を闊歩することになった。グリコの看板の前で意味もなくポーズを取り、食べる事以外にこれ以上大阪で出来る事は無いとの言葉に従い、早速清水寺に向かう。「清水の舞台」の外国人観光客向けの英訳がそのまま“Stage”であること以外、特には覚えていない。観光もそこそこに大阪へUターンして、後はただ梅田で飲み歩いた。三軒目の串カツ屋からは現地に住む友人が仕事終わりにも関わらず加わり大いに盛り上がりを見せる一方、私は徹夜明けの体にこれ以上酒を流し込むと何か良くないことが起こるのではないかと、気が気では無かった。すでに私の頭の中では清水寺近くの漢字ミュージアムで観てきた「熊」の一文字が、怪しく乱反射し始めていたのだ。ただ、元から関西で大新年会をしようという無邪気な趣向の集まりなので、どうとでもなれと思ってエセ関西弁でハイボールを流し込む。

結論、それは大丈夫だった。Booking.comで予約した安い宿はさておいて、一日目はその友人の家に泊まった。

二日目、今日も仕事だという友人と別れてからは、万博記念公園で太陽の塔を見た。記念公園というのは名ばかりの広大な空き地で、太陽の塔はその手前にぷすりと突き刺さっていた。塔内部の展示は興味深かったものの流石に時間を持て余したので、ミュージアムショップで件のキーホルダーを買った後、私は物見遊山に記念公園の広大な敷地内を歩いてみたくなった。園内に掲示されたノスタルジー感じる地図の指し示す通り、園内を一周してみたくなったのだ。今思うと、これが間違いだった。昨日から出続けているアドレナリンの赴くまま歩き出したものの、あまりに広い。眼前に広がるのは空き地だけである。東京ドーム何個分なんだろうとか、愛知万博の跡地はどうなっているんだっけとか、「韓国パビリオン跡地」の石碑をみてパビリオンってどういう意味だろうとか、「兵(つはもの)どもが夢の跡」って誰の句だったっけとか、ひとしきり雑談で誤魔化そうと頑張ったがまだ半周すら終わらない。先に私たちのふくらはぎが限界を迎えていた。折良く、閉園時間が迫ることを知らせるアナウンスが流れ、「楽にしてやる」と情けを掛ける。ただ半周もしてないので結局は同じ道を引き返すことになった。閉園時間は迫る。万博記念公園は心霊スポットとの噂もある。閉園時間間近の園内はほとんど人もおらず、確かに納得の雰囲気ではあった。ただその正体は夕暮れの園内を死にそうな顔でトボトボ歩くことになった浮かれた観光客かもしれない。

そんなわけで二日目の夜、私は風呂に入りたかった。アドレナリンの代わりにオキシトシンを出して、そろそろぐっすり眠りたいのである。大きな声では言えないが友人宅でも毛布一枚が貸し出されたのみで、ここでも十分な睡眠は確保できずにいた。Booking.comで予約した宿はドミトリータイプの宿泊施設である。シャワー室があるだけで大浴場は無い。梅田駅で同行の友人と明日の集合時刻を確認して別れた後、帰り道に入浴施設がないか検索した。二件あり、一つはLサイズのピザ二枚近くする梅田の温浴レジャー施設、他方は宿と最寄り駅が同じ銭湯で、東京にもあるような大衆浴場であった。三日目の食事を心置きなく楽しむため、迷わず後者を選ぶ。初めて乗る大阪環状線を乗り違えないようスマホと電光掲示板を慎重に睨めっこして、遅延していた最終列車に駆け込んだ。そこで気づく。私は今、現金を持っていない。というか、普段から現金を持ち歩いてはいない。ほとんど不便しないが、銭湯はその数少ない例外である。東京でもこういう価格帯の大衆浴場は経験上、現金しか使えないことが殆どだ。手数料は掛かるが背に腹はかえられぬと、電車を降りてすぐのコンビニでキャッシュカードを差し込むも、取扱時間外であった。やんぬるかな。一応銭湯のページをスマホで見るが、キャッシュレス決済対応とはどこにも書いていない。ただ、現金しか使えない旨も、書いてはいない。一縷の希望を賭けて行ってみようかと考えたが、トンボ帰りすることになったらこのふくらはぎに申し訳がない。先に電話で確認してみるかと思ったところで、躊躇した。ここで私は自分の関西に対する偏見を見つけたのだ。そもそも、難波で降りてからおかしいとは思っていたのである。確かにここはGoogleマップで見れば関西だ。ただ、この二日で経験したのは噂に聞くような関西ではなく、東京どころか、言ってしまえば仙台とも同じような均質化された安全な都市空間であった。話した人も串カツ屋の店員くらいで、東京に住む大阪出身の友人の方が関西を体現している感じがある。私はまだ、ネイティブな関西を体験していない。思えば清水寺への道中、京都の名も知らない駅のホームで電車を待っていた時、駆け込み乗車して間に合わなかったおじさんが、いや、おっちゃんが何か可愛らしい暴言を吐いてホームドアをコツンと蹴っていたのを見たが、あの時私は関西とニアミスしていたのだ。仮にこれが東京の銭湯だったら、終電後であろうが営業時間内の銭湯に電話を掛けるのに寸分の躊躇いもない。だがこの大衆浴場にこの深夜「そちらって現金以外使えますか?」と標準語の電話を掛けて返ってくるであろう言葉に、何か関西を体験してしまうのではないかと想像した。そして、それは少し、怖かった。あと三コールで出なかったら、切ろう。応答はなく、少し安堵してドミトリーのシャワーを使うことにした。

Booking.comは素晴らしいアプリだ。今回のドミトリーは一泊Lサイズのピザ一枚よりは高いが、二枚より断然安い。深夜でも事前通知された番号を入力すればセルフでチェックインできる。大浴場こそないが施設は綺麗で、布団の質も十分である。共有スペースも広々としていて食器や冷蔵庫もあるから、簡単なパーティには困らないだろう。深夜、数名の宿泊客が団欒していたこの共有スペースに、私は一人バスタオルを取りに来た。アメニティは全てドミトリー頼りなので私の荷物は二泊三日にしては軽い。スペースの一角に整頓されて積まれていたタオルを一つ取ってから、テプラで作られた掲示が目に入る。「タオルのレンタル代はコインボックスにお入れください。一枚百円」の文字。傍には透明な貯金箱と、中に数枚の百円玉が覗いて見える。一度タオルを山に戻す。こういう時は冷静さが必要である。心の中で一分間のタイムアウトを取った。共有スペースにいる人々に百円を貸して欲しいと声を掛けるかどうかしばらく悩んでから、Booking.comのメッセージ機能で「現金がないので後日お金を入れる旨」を連絡し、拝借した。一時間もしない内に管理者から「大丈夫です!」の返信が来ていた。Booking.comは素晴らしいアプリだ。

ベッドに荷物を下ろし、風呂の用意を持ってシャワー室に向かう。コンビニで買ったスキンケアセットも忘れない。梅田駅で銭湯を検索してからもう一時間以上が経っていた。大浴場は無いけれど、昨晩より上等な布団で眠れることに嬉しさがある。シャワーを捻ると思いの外強い水圧で笑みが溢れる。期待していない部分で嬉しいことがあると人間、過剰に喜べるものだ。備え付けのシャンプーを勢いよく泡立てていたところで気づいた。タオルを持ってくるのを忘れたのだ。そして、気づかなかったふりをした。まずは入浴を完遂しようと思った。後のことはその時考えれば良い。今はただこの水圧の強さをふくらはぎと共に喜びたい。スキンケアセットの洗顔、化粧水、乳液の小袋を器用に開けてシャワー室から出た後、タオルが無いことに気づいた。困った。自然乾燥を待とうかと思ったが、合わせて一畳ほどの広さしかないシャワー室と脱衣スペースの中は冬らしくもくもくとした湯気で満たされていた。私は早く寝たかった。意を決してシャワー室のドアを開け、隙間から外のパウダールームを覗き込む。誰かに助けを求めようかと思ったが、四部屋並べられたシャワー室はどれも空室である。しかし好都合なものを見つけた。簡易的なパウダールームの一角には手洗い場がある。その傍にはなんと、ペーパータオルが置いてあるではないか。思わず、そこにペーパータオルを置いた存在は私への慈悲を持ってそうしたのではないかと、信仰を誓いたくなった。しかし問題は手洗い場と私のシャワー室とを往復するにはパウダールームの入り口の前を無防備なまま通る必要があることだ。入り口にはいかにもという「男」の字の暖簾が一枚、頼りなく掛けられているだけである。あろうことかそのすぐ外にはエレベーターが位置しており、暖簾のスリットの向こうには共有スペースから出てきたエレベーター待ちの人の姿が目と鼻の先に見えるほどであった。慈悲深い存在が最後の試練を与えたのだと、私はふくらはぎのために意を決した。エレベーターを待っている人がいないことを確認してからシャワー室を駆け出ると、ペーパータオルをパパッと二枚取ってから、シャトルランの要領で踵を返して再びシャワー室に戻り、体を拭く。これを繰り返す。人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇であるとはまさにこのことである。私は今カメラを置けるなら、エレベーターの前からこの暖簾に向けて配置する。フィルムには暖簾の下を高速で反復する素足と、スリットの間を見え隠れするアイロニーを収めることができるだろう。そんな決死の反復横跳びを四度繰り返すと、私の体を覆っていた水滴、冷や汗はほとんど無くなっていた。私は自分の体の表面積が、およそペーパータオル八枚分であると知った。

ベッドに戻ると、綺麗に折り畳まれたままのバスタオルが「遅かったな」と言わんばかりの顔で枕元に待っていた。その後、死んだように深く眠った。

最終日のことは駄文に起こすも値しない事ばかりなので、割愛する。ただ人生で初めて食べたりくろーおじさんのチーズケーキは、感動するほど美味しかった。あまりに感動したので横浜駅で類似品を販売しているというおじさんマークの店を見つけて購入したものの、何か違う。挙句、ネット通販で購入してしまった。

つい先日、三十歳になった。ちなみに私の到達した最東端は中学の時に家族旅行で行った札幌。えっへん。最北端も札幌。海外には行ったことがない。まずはパスポートを作りたい。最西端は今のところ、大阪府大阪市である。

2026.1.26 さいの

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