ロナルド・レーガン(ESFP/エンターテイナー)

基本情報

wikipedia:
ロナルド・レーガン

MBTI

https://www.personality-database.com/profile/74/ronald-reagan-presidents-of-the-usa-mbti-personality-type

※診断結果はリンク先の結果を参考にしているだけで専門的な知見などではありません。あくまで作家と作品を考えるきっかけとして利用しています。

興味関心の方向(Favorite world)
E – 外向型(Extravertion)97%
I – 内向型(Introvertion)

ものの見方(Information)
S – 感覚型(Sensation)83%
N – 直観型(Intuition)

判断の仕方(Decisions)
T – 思考型(Thinking)
F – 感情型(Feeling)94%

外界への接し方(Structure)
J – 判断型(Judging)
P – 知覚型(Perceiving)84%

エンターテイナー

言葉

演説引用元『世界を動かした21の演説――あなたにとって「正しいこと」とは何か』

※大統領のスピーチの原稿はスピーチライターが書いているもので、本人の言葉とは一致しない部分がありますが、虚像が作られるという意味では、スピーチ原稿の中にも本人らしさが含まれているとも考えられます。

ここに集まった私たちのなかでも、ヨーロッパのいたるところでも、一国の経済と生活に公的セクターが役割を果たすべき範囲について、当然ながら意見の不一致があることを私は承知しています。しかしただ一つの点については全員が一致しています。それは、あらゆる形の独裁、とくに全体主義と、それが私たちの時代に引き起こした恐ろしい残酷な行為に対する嫌悪です。スターリンの大粛清、那智のアウシュビッツやダッハウ、ソ連の強制労働収容所グーラグ、そしてカンボジア。これらに対する嫌悪です。

歴史家は私たちの時代を振り返って、西側世界はつねに理性的で平和を目指していたと言うでしょう。一九四〇年代と五〇年代初期に領土的拡張のために核の独占の脅威を利用することを拒否したのは、民主主義諸国だったと指摘するでしょう。共産主義世界が核を独占していたら、今日のヨーロッパ、さらには世界の地図は全く違ったものになっていたでしょう。また、アフガニスタンに侵攻したり、ポーランドの連帯を弾圧したり、アフガニスタンや東南アジアで化学兵器や毒物兵器を用いたのは、民主主義諸国ではなかったとも指摘するでしょう。

※これは当時のソ連の化学・生物兵器疑惑を指している。ソ連は、ベトナムに供給したトリコテセン系マイコトキシン(カビ毒の一種)を使った武器が一九七五年にラオスのモン族に対して、一九七八年にカンボジアのクメール・ルージュに対して使われたとして、またソ連自身が一九八〇年代初頭にアフガニスタンでムジャヒディン(イスラム戦士)に対して使った(「黄色い雨」と呼ばれる攻撃)として、非難されていたのだ。しかし、いずれの説も今日まで立証されていない。しかし、一九六〇年代に米軍が南ベトナムで、森林や耕作地にオレンジ剤などの極めて毒性の強い枯葉剤を使い、その結果、ダイオキシンによる子どもの奇形を世代を超えて引き起こしているのは有名だ。また、それほど知られていないことだが、米軍の特殊部隊が一九七〇年にラオスの村を攻撃したときに、神経ガスのサリンを使ったという告発もある(米国防総省はこれを否定ている)。米国が朝鮮戦争中と、キューバに対しても何回か生物兵器を使ったという疑惑もある。さらに、一九四五年に広島と長崎に原爆を投下した米国は、核兵器を実際に使用した唯一の国だ。(p.152)

今日、NATOの境界線で、私たちの軍隊は侵攻を防ぐために東を向いています。その反対側では、ソビエト側の軍隊がやはり東を向いています。国民が逃げ出すのを防ぐためです。

中東では今、再び銃声が聞こえています。今度はレバノンです。あまりにも長いあいだ、内戦の悲劇とテロ、外国からの介入と占領に耐えなければならなかった国です。すべての当事者がレバノンでの戦闘をやめ、イスラエルは軍を撤退させなければなりません。しかしそれだけでは不十分です。私たちは、中東をつねに戦争の脅威にさらしているテロリズムの根を根絶するために協力しなければなりません。

右翼的な独裁政権を民主主義に変えることは支援すべきだが、共産主義体制についてはそうすべきではないという意見もあります。お人よしの人はそう考えるかもしれませんが、こんなばかげた考えを受け入れれば、ある国がいったん核兵器を手に入れたら、だれにも邪魔されずにその国民を恐怖の支配下に置くことが許されるという主張を許すことになります。私たちはこういう成り行きを拒否します。

変化のペースを押し付けることには慎重でなければなりませんが、究極の目標をはっきりと示し、それに向かって具体的的な行動をとることをためらってはなりません。自由は一握りの幸運な人の特権ではなく、全ての人間の奪うことのできない普遍的な権利であるという信念を断固として持ちつづけなければなりません。国連世界人権宣言もそううたい、とりわけ、自由な選挙を保証しています。

民主主義はすでに、文化と歴史経験が大きく異なる多くの国で花開いています。民主主義より独裁を好む人がいるなどと言うのは、文化的な自己卑下、いやそれ以下でしょう。

私がこれまでお話ししてきた任務は、私たちの世代だけでは到底成し遂げられません。しかし、私たちもともに最悪の事態を乗り切りました。今度は最善のものを確保する大仕事にとりかかりましょう。次の世代の信念と不屈の精神をも動員する、自由のための聖戦です。平和と正義のために、すべての人がついに自由に自らの運命を決められる世界に向かって、前進しようではありませんか。

(英国、ロンドン、ウェストミンスター宮殿、ロイヤルギャラリー、1982.6.8)

緋片イルカ 2022.9.7

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