句読点:谷崎潤一郎『蘆刈』

まだおかもとに住んでいたじぶんのあるとしの九月のことであった。あまり天気のいい日だったのでゆうこくといっても三時すこし過ぎたころからふとおもいたってそこらを歩いて来たくなった。遠はしりをするには時間がおそいし近いところはたいがい知ってしまったしどこぞ二三時間で行ってこられる恰好な散策地でわれもひともちょっと考えつかないようなわすれられた場所はないものかとしあんしたすえにいつからかいちど水無瀬の宮へ行ってみようと思いながらついおりがなくてすごしていたことにこころづいた。

かなり「、」がないとかなり読みづらい文章だと思いますが、元の文章でも実は「3つ」しかありません。

谷崎潤一郎は読点の付け方で、意識的に文体を変えようとしていた作家です。この作品では古典を意識して読点を極力排除したそうです。

(参考記事:金明哲「読点から現代作家のクセを検証する」

全文は青空文庫:谷崎潤一郎『蘆刈』

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