おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。私も、もう二十四です。このとしになっては、どこがいけないと言われても、私には、もう直す事が出来ません。いちど死んで、キリスト様のように復活でもしない事には、なおりません。自分から死ぬという事は、一ばんの罪悪のような気も致しますから、私は、あなたと、おわかれして私の正しいと思う生きかたで、しばらく生きて努めてみたいと思います。私には、あなたが、こわいのです。
この短い文章の中に「20こ」もあります。
打ち過ぎでしょうか?
大宰治は読点(「、」)の多いことで有名です。
これが大宰の文体なのだといえば、それ以上、誰も何も言うことはできません。
どこに打つかは作者が決めることです。