うとうとしたと思ううちに眼が覚めた。すると、隣の室で妙な音がする。始めは何の音ともまたどこから来るとも判然した見当がつかなかったが、聞いているうちに、だんだん耳の中へ纏まった観念ができてきた。何でも山葵おろしで大根かなにかをごそごそ擦っているに違ない。自分は確にそうだと思った。それにしても今頃何の必要があって、隣りの室で大根おろしを拵えているのだか想像がつかない。
いい忘れたがここは病院である。賄は遥か半町も離れた二階下の台所に行かなければ一人もいない。病室では炊事割烹は無論菓子さえ禁じられている。まして時ならぬ今時分何しに大根おろしを拵えよう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのにきまっていると、すぐ心の裡で覚ったようなものの、さてそれならはたしてどこからどうして出るのだろうと考えるとやッぱり分らない。
読点の数は「6つ」でした。
『草枕』の冒頭をひくまでもなく、漱石はとてもリズム感のある文章を書きます。
それは「、」の打ち方と関連があるように思えてなりません(漢文の影響も含めて)。
この文中についた「6つ」の読点も、多すぎず、少なすぎず、絶妙なところに的確に打っているというかんじがします。
全文は青空文庫:夏目漱石『変な音』。