TVドラマ『藤子・F・不二雄SF短編ドラマ』(視聴メモ)

https://www.nhk.jp/p/fujiko-sf/ts/N93R8JJ329/
※あらすじはリンク先でご覧下さい。

一個人の感想

NHKのドラマシリーズ。原作は僕の中では好きなマンガ1、2を争うシリーズだが期待はしていなかった。BSで放送したのを地上波で再放送していたので見てみた。「おれ、夕子」「メフィスト惨歌」「定年退食」「テレパ椎」まで鑑賞。続きは今週放送。一応、見るつもり。『星新一の不思議な不思議な短編ドラマ』もそうだったが、原作が面白いのに実写化すると、どうしてこんなにつまらなくなってしまうんだろう?という疑問。ビートが機能していないのはもちろんなのだが、原作を知っていると、どこまでのアレンジが許容されるか、むずかしいところ。マンガやショートショートでは許容されているリズムが、実写ドラマで、そのまま適用されないことは、演出・脚本、両面に言える。時代設定の処理も中途半端。原作の昭和のテイストでやるのであれば、徹底すればまだしも、SFだと思ったからか、中途半端にスマホがでてきたり。何より、キャラクター自体が昭和なので、実写でやられたときの違和感が凄まじい。『マニアック』のようにアニメであれば、昭和のテイストのままで見れた。マニアックは現代に作られたものだが、『笑ゥせぇるすまん』とか演出が古いものの見れる。だが、実写はきつい。実写の特性を理解していない作り手。そもそも、原作が面白くても、ドラマにしたときに面白いとは限らない。原作シリーズの中でも面白いエピソードではなく、おそらく予算が抑えられる現代テイストのものを中心に選んでいて、そのあたりも微妙。どういう意図で、この企画をしたのか?と考えると『星新一~』の延長で安直に考えているとしか思えない。キャスティングで味をつけようとしているのは面白味があるが、映像作品として魅力を出すほどに演出しきれていない(メフィストの遠藤さんが一番好印象)。つづきを見て、思うところがあれば追記する。10分完結ドラマではあるので、脚本の練習をしている人は見て、良いところ、悪いところを参考にしてほしいとも思う。

原作:

藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>(1)
僕はこのシリーズで持っていますが、新しいものもあるよう。


ミノタウロスの皿: 藤子・F・不二雄[異色短編集] 1 (1)
試しに読んでみたい人には、面白い話ばかり集まっている、こっちの文庫などがオススメ。

緋片イルカ 2023.6.5

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『TVドラマ『藤子・F・不二雄SF短編ドラマ』(視聴メモ)』へのコメント

  1. 名前:匿名 投稿日:2023/06/15(木) 08:42:16 ID:b73e24418 返信

    仰る通り、小説や漫画で原作同等以上の映像作品にはなかなか出会いません。
    2001年宇宙の旅みたいに作り手同士の才能がぶつかり合うくらいでないと
    難しいんでしょうか。

  2. 名前:緋片 イルカ 投稿日:2023/06/15(木) 10:24:14 ID:ab55ac12b 返信

    コメントありがとうございます。

    僕は脚本家なので「脚色技術」という視点から主に考えますが、多くの脚本家が原作の魅力や弱点を読みとって映像化に最適な脚本を書く技術が弱いように感じます。「演出とぶつかり合う」というのは、良い脚本があって初めて意味がでることではないかと。

    「マンガ→アニメの映像化」では原作のイメージさえ崩さなければ満足感がある作品に仕上がるように思います。「アニメ業界の技術が高い」というだけでなく「マンガ→アニメの映像化では抵抗感が少ない」ことにも起因すると思います。このことは「小説→アニメ」や「オリジナルアニメ」と比べてみると、よくわかると思います。もちろん日本にマンガ原作が豊富なことも土台としてあるし、アニメはマンガ原作ファンに支えられている側面も大きく「マンガとアニメ」は一蓮托生なのだと感じます(結局、原作に人気がないとアニメ化してあまり流行らないのではないでしょうか?アニメが良くて原作の人気が出るというのもあるかな?)。

    アニメ化ではではなく実写化になると人間が演じるというだけでもリアリティの側面で「脚色技術」が必要になります。たとえばキャラクターの特殊な髪型を人間にさせたときの違和感だけでもわかります。この脚色技術不足が中途半端な実写映画をたくさん作ってしまっている要因のひとつに感じます。もちろん、そもそも実写化に向かないものを、原作の人気だけで映像化しようという企画自体の問題も多くあると思います。脚色技術についてはハリウッドのアメコミ映画と比べてみるとわかります。予算による派手さで負けてしまうのは仕方ないとしても、お金以外の、技術さえあれば解決できるような問題でも負けてしまっていることが多くあります。

    では、その技術の差が、どうして生まれているのか?となると、古い慣習による固定観念によるせいなのか、経験値の差からきているのか、いろいろありますが、ハンデはあっても創意工夫のアイデアで良いものを創ろうという気概は、昔の映画人から学ぶところが多いと感じたりもします。