※漢字の答えは広告の下にあります。小説内にお題の漢字が出てくるので、よかったら推測しながらお読み下さい。
仕事は部下に押しつけて、四時には会社を出て何軒か飲み歩いていたが、どうにも酔いきれない。どの店も雰囲気はよかった。女を連れていくにはいいだろうが、俺には何かが足りないのだ。
こういう夜は「KANJI」へ行くにかぎる。
雑居ビルの三階にあるバー「KANJI」はカウンターが八席あるだけの小さな店で、三十代に見えるマスターは若く見えるがもう少しいっているかもしれない。店の看板通り、この男も俺と同種だ。
ドアを開けるとカランと低音のベルが鳴る。
「下衆山さん、こんばんは」
「ああ、マスターと話したくなってな」
「そう言っていただけるなんて恐懼感激(きょうくかんげき)です」
店内には誰もいなかった。俺はいつも座る奥の端に席に腰かけた。
「火酒(かしゅ)をくれ」
「かしこまりました」
こういう言い方が通るのがいい。
ブランデーというと胴のふくらんだ尻の大きい女のようなグラスを思い浮かべるだろう。手の平で温めてアルコールを蒸発させることで香りを楽しむのだと。だがそれは安いブランデーのやりかただ。いい酒はもともと香りが強い。きゅっと腰のくびれたグラスがいいのだ。あの女のような。
「昨日、心太を食べ損ねてね」
「心太ですか ?」
マスターは俺の本意をすぐによみとった。
「素敵な女性だったんでしょうね」
「まあな。だが漢字がね」
「読めない女性だったんですか?」
「逆だよ。読めるがために、ね」
「ああ、下衆山さんの苦手なあの漢字を……」
「そういうこと」
「残念でしたね」
マスターは小皿にのった扁桃を出してきた。酒を舐めてちょうど欲しかったところだった。やはり読める人間と話すのは心地いい。
●今日の漢字:「扁桃」(アーモンド、へんとう):
扁はひらいたいという意味。平たい桃とアーモンドが似ているというところから。腫れると喉がいがいがする扁桃(へんとう)も形が似ていることから。
「火酒」(かしゅ)はブランデーだけでなくウオツカや焼酎など、火をつけたら燃えるようなアルコール分の多い蒸留酒。
(緋片イルカ2018/10/27)
扁桃の解答がありません。
心太の解説になっています。