作家のやる気を引き出す3つの質問(文学#77)

10年以上前の本だが縁あって『モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか』という本を読みました。

ビジネス向けのモチベーションマネジメントの本ですが、創作に通ずることも多かったので、この本をヒントに「作家のモチベーション」をアップする質問を考えてみました。

①どうして書きたい?

行動科学者は、仕事と勉強を「アルゴリズム」(段階的手法またはルーチンワーク)と「ヒューリスティック」(発見的方法)の二つに分類することが多い。アルゴリズム的な仕事とは、一つの結論にいたる一本の道を、実証された指示に従ってたどる類の仕事だ。つまり、解決にはアルゴリズムが存在する。ヒューリスティックな仕事は逆だ。解決にアルゴリズムが存在しないからこそ、可能性を試行錯誤して新たな解決策を考案する必要がある。スーパーのレジの仕事は、たいていアルゴリズム的な仕事だ。ほとんど同じことを、何度も何度も一定の方法で行う。広告キャンペーンの企画は、大概ヒューリスティックだ。何か新しいアイデアを生み出さなくてはならない。(p.68-69)

創作というのは当然「ヒュリースティックな作業」です。

仕事で書くとしても大部分はヒューリースティックです。

「ビートシート」などのテクニックは手助けになれど、アルゴリズム的に処理して面白い物語など絶対に作れません。AIにはできない仕事です。

非ルーチンワークのように興味を喚起する仕事は、自発性が頼りとなる。匿名希望のあるビジネスリーダーは、これを次のように簡潔に言い表した。採用面接を行うとき、応募者にこう告げるのだという。「他人からモチベーションを与えられる必要がある人物を採用するつもりはありません」(p.73)

仕事には、ある種の「ヨゴレ仕事」のように「誰かがやらなくてはいけないもの」があります。

こういう仕事は「やってくれる人がいるならやってほしい」と思われていて、極端に言ってしまうなら「やる気さえあれば誰でもできる」ものです。

「作家」は、こういう種の仕事とは違います。

どちらかというと「アコガレの仕事」で競争の激しい仕事です。

人気によって収入はよりけりでも「机に座ってできる知的労働」で、なれるものならなりたいという人が山ほどいます。

コンクールの応募数や、投稿サイトにアップされる作品の多さをみればわかります。

あなたがすでに売れっ子の作家で、本当はもう書きたくないけど編集者から書くように言われるといったレベルならともかく、無名でデビューもしていないような作家に「あなたに書いて欲しい」と言ってくれる人はいません。

もし、社交辞令だとしてもあなたを応援してくれる人がいたとしたら、とてもありがたい存在です。その人のために書くという動機もいいでしょう。

「あなたの物語」はあなたにしか書けません。

誰にでもやれる仕事どころか、あなたにしかできない仕事なのです。

そもそも、あなたが書かなくては完成すらしません。

そんな覚悟や決意、書き上げるための「自発的な創作意欲」がない人は、はっきり言って作家には向いていないでしょう。

誰かに言われて書くような作家は、ほんとうの意味で作家とは呼べません。

厳しめに言ってみましたが、そんな現実をしっかりと受け止めた上で「どうして書きたい?」と自問してみましょう。

あなたが「書きたい」「作家になりたい」と思った瞬間はどんなでしたか?

素敵な物語に出逢って、自分も書いてみたいと思った瞬間でしたか?

ふと目にしたスクールの広告で、何となくやってみたいと思ったときですか?

いつの間にか忘れてしまっているかもしれませんんが、一度でも書こうとしたことのある人で「自発的な創作意欲がない人」などいないのです。

あの時の気持ちを思い出してみて下さい。

最初の気持ちでなくても構いません。

続けている人であれば、めげそうになっても「それでも、やりたい」と思った瞬間が何度もあったはずです。

でなければ、もう辞めてしまっているでしょう。

あなたが今も続けているなら、必ず「創作意欲」はあるはずです。

その気持ちをしっかりと掴むのです。

②今のレベルは?

自分自身と自分の能力に対して抱く私たちの信念――ドゥエックはこれを「自己理論」と呼んでいる――が、自らの経験に対する解釈を定め、熟達の限界をも定めてしまう可能性がある、という。ドゥエックの研究はもっぱら「知能」の分野に目が向けられているが、その発見は、芸術やスポーツなど人間のほとんどの能力についてもあてはまる。マスタリーはマインドセット(心の持ち方次第)である。
 ドゥエックによれば、人は知能に関して二つの異なる観念を抱いているという。「固定知能観」を抱く人は、知能とは存在する分しかないと考える。もともと限られた量しか備わっていないので、増やすことはできないという考え方だ。一方、「拡張知能観」を抱く人は異なる見方をする。知能は人によって少しは異なるかもしれないが、最終的には努力によって伸ばすことができる、と考える。(p.209)

この二つのタイプの人が困難に直面したとき、対照的な反応を示す――一つは、ドゥエックが「お手上げ」と呼ぶ反応で、もう一つは「さらに熟達」と呼ぶ志向だ。
(中略)
固定思考の傾向がある生徒は、難問をあっさりとあきらめ、自分たちの知能が(十分ではないから)その問題を難しく感じる、と知能の限界のせいにした。一方、拡張的な思考を抱く生徒は、その難易度にかかわらず、問題に取り組み続け、解答を見つけようときわめて独創的なアプローチを考え続けた。この生徒たちは、難問を解けないことを何のせいにしたのだろうか? ドゥエックによれば「驚いたことに、彼らは何のせいにもしなかった」。この生徒たちは、マスタリーへいたる道に困難は避けられず、この難問は将来の努力目標の道しるべになるかもしれない、とさえ認識していた。(p.212)

あなたが何らかの理由で「書けない」と悩んでいるとしたら「(自分の)今のレベルは?」と自問してみてください。

「書けない」のは才能がないからなどではありません。実力が追いついていないだけです。まだ今は。

それとも、自分はいきなり素晴らしい作品が書ける天才だとでも思っていましたか?

マスタリーはつらい。ときには――いや多くの場合は――それほど楽しいものではない。これは、心理学者のアンダース・エリクソンの研究から得た教訓である。エキスパートと言われる人々のパフォーマンスに関する彼の画期的な研究は、マスタリーの育成という分野で新たな知見をもたらした。彼によれば、「かつては天賦の才だと思われていた多くの資質が、実は、少なくとも一〇年間の厳しい訓練の結果であると判明した」。スポーツでも音楽でもビジネスでも、マスタリーには長期間(一週間とか一ヶ月ではなく、一〇年間)にわたる努力(困難で、うんざりするような、つらい、全身全霊を傾けた努力)が必要とされる。
(中略)
「懸命な努力の重要性は理解されやすいが、目標を変えずにたゆまず時間をかけて努力を続けることの重要性は、あまり認められていない……どの分野においても、高い目標を成し遂げるには、才能と同じくらい根気と根性が重要となる」(p.214-215)

「書けない」と悩んでいた期間ではありません。

「目標を変えずにたゆまず時間をかけて努力を続ける」期間です。

そんな時間が10年は必要です。

10年なんて待てませんか?

待てないと思うなら「あなたにしかできない仕事」は出来ないでしょう。

「作家」に限ったことではありません。

どんな仕事でも熟練(マスタリー)には時間がかかるものです。

マスタリーの完全な実現は不可能なのである。史上最強のゴルファーとも言われるタイガー・ウッズは、自分はもっと上達できる――上達しなくてはいけない――と、何回も語っている。彼がまだアマチュアだった頃にも言っていたセリフだ。たとえ試合で最高のスコアを出したときでも、過去最高の成績を収めたシーズンを終えたときでも、同じセリフを言うだろう。ウッズはマスタリーを追求しているからだ。これはよく知られている話だ。知られていないのは、彼は決してそれに到達できないと自分でわかっている、ということだ。マスタリーは、常に彼の手の届かぬところにある。
 マスタリーの漸近線は、欲求不満を引き起こす。なぜ、人は完全に到達できないものを求めるのだろうか。だが一方でそれが魅力でもある。だからこそ、到達しようとする価値がある。喜びは、実現することよりも追求することにある。とどのつまり、マスタリーはどうしても得られないからこそ、達人にとっては魅力的なのである。(p.218-219)

創作するというのは大変なこともたくさんあるけれど魅力的な経験です。

その魅力を感じたことがある人は多いのではないでしょうか?

まだ感じたことがない人も、書きつづけていれば必ず出逢うでしょう。

「作家」になるということは、一生書き続けることでもあります。

10年が長いと思う人は、結果を出すことにばかり目にいっているのかもしれません。

大切ななのは「書く喜び」を見つけることです。

③どんな作家になりたい?

最後の質問は「どんなに作家になりたい?」です。

 毎年、約一三〇〇人がロチェスター大学を卒業し、いわゆる現実の世界へと旅立っていく。エドワード・デシとリチャード・ライアン、クリストファー・ニェミェツは、卒業予定者からサンプルとなる学生を選び、人生の目標について訊ねた。その後、追跡調査を実施し、キャリアが始まってからしばらくの間、状況を調べることにした。
(中略)
 学生のなかには、デシやライアン、ニェミェツが名づけた「外発的抱負」――たとえば、金持ちになりたいとか、有名になりたいなど――つまり「利益指向型の目標」を抱く者もいた。一方、「内発的抱負」――ほかの人の人生の向上に手を貸し、自らの学び成長したい――つまり「目的志向型の目標」を持つ者もいた。この学生たちが卒業して、現実の世界へと羽ばたいてから一、二年後に、学生たちの様子を知ろうと三人の学者は足取りを追った。
 学生時代に目的思考型の目標を持ち、それを成し遂げつつあると感じている者は、大学時代よりも大きな満足感と主観的幸福感を抱き、不安や落ち込みは極めて低いレベルだと報告された。これは驚くにはあたらない。自分にとって意義のある目標を設定し、それを達成しつつある。このような状況では、誰もがかなりの満足感を覚えるはずだ。
 だが、利益指向型の目標を抱いていた者の結果は、もっと複雑だった。富を蓄積したり、賞賛を得たりするなどの目標を達成した卒業生は、学生時代よりも満足感や自尊心、ポジティブな感情のレベルが増しているわけではなかった。目標を達成したにもかかわらず、以前よりも幸せになっている様子はなかった。そのうえ、利益指向型の目標を抱いていた卒業生は、不安、落ち込み、その他のネガティブな指標が〝強まった〟こともわかった。――重ねて指摘するが、目標達成しているにもかかわらず、である。(p.243-244)

「デビューしたい」「プロになりたい」といった目標は通過点に過ぎません。

ましてや、作家になって「一発当てたい」なんて夢を見ている人がいたらお門違いです。

金持ちになるなら別の仕事の方が可能性があるでしょう。

何かの拍子にベストセラーを出した作家はいれど(そういう人がその後、書き続けているかよく見てください)、生涯続けていく金儲けとしては割が合いません。

デビューなどしてもしなくても、物語を書いている人は「作家である」と僕は思います。

売れていようがいまいが、作品の価値は変わりません。

だけど、作者が作品に本気で向き合っているかどうかで、作品の価値は変わるとも思います。

ある調査で、アマビルは二人の同僚とともに、アメリカの二三人のプロの芸術家を対象にした実験を行った。この芸術家たちは、注文を受けて作品を制作する場合もあれば、依頼者がいなくても自主的に創作する場合もある。アマビルとチームは彼らに、受注作品と自主制作品を、無作為にそれぞれ一〇作選ぶように頼んだ。次に、この調査については何も知らない、優れた芸術家と学芸員たちにその作品を渡し、作品の創造性や技術について評価してほしい、と依頼した。
「この調査から、非常に驚くべき結果が出た」と、アマビルたちは報告している。「注文作品は自主的な作品と比べて、創造性の面ではるかに劣ると評価された。それでも、技術面の評価では両者に違いはなかった。さらに、依頼された作品を制作しているときは、芸術家たちは自主的に制作しているときと比べ、著しく束縛を受けてるように感じる、とも語った」。(p.92)

これよりも長期間にわたって実施された別の調査では、外的な報酬への関心が、芸術家としての最終的な成功を妨げるおそれがあるとわかった。一九六〇年代はじめに、シカゴ美術館附属美術大学の二年生と三年生を対象にして、制作に対する姿勢と、動機が内発的か外発的かに関する調査が行われた。このとき得られたデータを基準として、一九八〇年代初頭に別の研究者が、学生のその後のキャリアを追跡調査した。特に男性グループにおいては、「外発的な動機づけが学生時代に低ければ低いほど、卒業して数年後および二〇年後も、プロの芸術家として成功する割合が高い」という驚くべき調査結果が出た。内発的に動機づけされた画家や彫刻家は、発見の喜びと創造へのやりがいが彼らにとっての報酬にあたり、芸術家のキャリアにつきものの困難な時期――収入がない、なかなか認められないといった苦労の多い時期――を切り抜けられる。ここから、第三の動機づけという一見不条理な世界において、さらにもう一つのパラドックスが生まれる。この調査によれば、「絵画にしろ彫刻にしろ、外的な報酬ではなく活動そのものに喜びを追い求めた芸術家のほうが、社会的に認められる芸術を生み出してきた。結果として、外的な報酬の追求を動機としなかった者ほど、外的な報酬を(生涯では)得たことになる」。(p.94-95)

もう一度、問います。

あなたはどんな作家になりたいですか?

イルカ 2023.3.29

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