ハイ・コンテクストとロウ・コンテクスト #1『秋刀魚の味』と『椿三十郎』

*内容としては上級編かもしれませんが、カラスのコンテンツですので公開します。

『ラブ、デス&ロボット』S3「彼女の声/Jibaro」が、個人的にとても好みだった。
ショットやアーティスティックな表現といった表面的な部分ももちろんだが、「ただしくハイ・コンテクスト」であることがなによりもよかった。

コードとコンテクスト

コミュニケーションは、コードとコンテクストという、反比例する要素によって構成されている。
ある記号ないしは表象を解釈するための規則を、コードと言う。コードは明示的なルールなので、コードに完全に依存したコミュニケーションにおいては(そんなものが可能かはさておき)、伝達の過程で意味内容が毀損されることはない。
一方のコンテクストは、ある記号ないし表象の意味を確定するために必要な、付加的な情報をもたらす環境や文脈のことを言う。
反比例する、と述べた通り、両者はたがいに補う関係性にある。とはいえ、ぼくたちが普段交わすコミュニケーションにおいては、両者はあまりにも自然に接着しているので、その違いが意識されることは少ないかもしれない。
ためしに、言語というわかりやすくコード的な記号から離れると、コンテクストは理解しやすくなる。たとえば、「疫学的にほとんど無意味なマスクの着用」の意味内容に、コードの観点から読み解けるものはほとんどない。一方、コロナ禍というコンテクストを知っていれば、「まともで社会的」というメッセージとして読み解くことが可能になる。
おなじように、「エレベーターで階数表示を眺める」のも、「セックスで耳たぶを噛む」のだって、コードに則った理解は難しくても、コンテクストが付加されれば、その意味内容は明確になるはずだ。

ハイ・コンテクストとロウ・コンテクスト

上記のように、「ある特定の文脈を知っているかどうか」に強く依存するコミュニケーションを、ハイ・コンテクストなコミュニケーションと呼ぶ。逆はもちろん、ロウ・コンテクストなコミュニケーションだ。
「製作者によって作られ、観客によって観られる」ものである以上、映画もまったく、コミュニケーションである。そして、コミュニケーションである以上、映画もコードとコンテクストによって構成されるし、ということは、「ハイ・コンテクストな映画」と「ロウ・コンテクストな映画」という区分けも、当然可能になる。
両者の違いを考えるために、おなじ国でおなじ年に公開された、ふたつの映画の「台詞」を比べてみよう。

『椿三十郎』(1962)監督:黒澤明

02:10-
若侍1「駄目か。やっぱり」
井坂「うん。とにかく伯父は話にならない。我々の決意を述べて奸物粛清の意見書を渡すと、ざっと目を通して『これでも城代家老だ。これくらいのことはお前達に言われないでも分かっている』」
若侍2「馬鹿な。じゃ、なぜ今まで……」
井坂「俺もそれを言った。殿様ご出府中、その留守を預かる城代家老が、次席家老と国許用人の汚職を知りながら、なぜ今日まで見逃していたのか」
若侍たち「うん、うん」
井坂「すると、にやにや笑って『おい。俺がその汚職の黒幕かもしれないぞ。お前達はこの俺を少し薄のろのお人よしだと思って、案山子代わりにかつぎ出すつもりらしいが、人は見かけによらないよ。危ない危ない。第一、一番悪い奴はとんでもない所にいる。危ない危ない』そう言うと、いきなり意見書をびりびりだ」
若侍3「破いた?」
井坂「うん。無茶なんだ。全く」
若侍2「それで?」
井坂「それで、俺は伯父にははっきりと見切りをつけて、打ち合わせの通り、話を大目付の菊井さんのとこに持ち込んだ」
若侍1「うん、菊井さんはどうだった?」
井坂「菊井さんはやっぱり話が分かる。初めのうちは困った顔をして、ご城代と相談の上でと逃げを打ってたが、俺が今の伯父の話をするとびっくりしてね」
若侍たち「うん、うん」
井坂「しばらく考えこんでいたが、『よろしい。この際、あなた達若い人と共に立ちましょう』」
(一同笑う)
井坂「『ついては一遍、あなた達とゆっくり話し合いたい』」
若侍たち「うん」
「『なるべく早く、あなたの仲間を集めてほしい』」
若侍たち「うん、うん」
井坂「と、そういう話なんだ」
若侍1「それじゃ、あはは」
若侍2「菊井さんは、やっぱり本物だ」
若侍4「やっぱり話せる」
若侍5「ありがたい。大目付が味方につけば千人力だ。薄のろのお人好しを案山子代わりにかつぐのとはわけが違う」
(一同笑う)
椿「あははは……ちょっと待ちな。ああ、ああ。おめえ達の話、聞いてると全く」
若侍3「話を聞いた? こやつ、逃がすな」
椿「ばか野郎。逃げるつもりなら、初めから出てきやしねえや」
井坂「しかし、貴様何だってこんなところに」
椿「ここは旅籠賃を取られねえからな。ところでおい。盗み聞きってやつはいいもんだぜ。岡目八目、話してる奴より、話の本筋がよく分かる。まあ聞きな。俺に言わせりゃ、城代家老が本物で、その大目付の菊井って奴は眉唾だぜ」
若侍5「なに。無礼を申すとただではおかんぞ」
椿「まあ、そうとんがるな。俺はその二人の面も知らねえ。しかし、知らねえから、かえって見掛けで迷わされる心配もねえ。おい。城代はつまらねえ面してんだろう、ええ。そうらしいな。しかしな。話から察すると、城代はなかなかの玉だぜ。てめえがばかだと思われてるのを気にしねえだけでも大物だ。ところでその大目付の菊井だが、お前達が『やっぱり話せる。やっぱり本物だ』なんて言ってるとこから見ると、こいつはまず、見掛けにゃ申し分はねえ。らしいな。しかし、人は見掛けによらねえよ。危ねえ危ねえだぜ」
若侍5「黙れ。素浪人の分際で、何を言う」
椿「待ちな。今のは城代の台詞だぜ。いいか。城代はもっとはっきり言ってる。一番悪い奴はとんでもない所にいる。危ねえ危ねえ。早い話がよ。大目付の菊井が黒幕かもしれねえぜ」
若侍たち「ばかな」
椿「熱くならねえで聞きな。大目付の役目は何だ? うん? ゴタゴタを治めるのが役目じゃねえか。それをよ、おまえ達を炊きつけてやがって。変だとは思わねえのか。それから、おまえ達と話し合いてえから至急集めろって話も、こりゃ危ねえぜ。大目付が黒幕だったら、集めといて一網打尽と来らあ。とにかく、この話にゃ乗らねえで、様子を見るこったな」
井坂「しかし、大目付とは、今夜ここで話し合うことにしてきたんです」
椿「なに? 岡目八目ずばりだ。見てみな」

『秋刀魚の味』(1962)監督:小津安二郎

07:22-
ラジオ「……大きなフライです。ショートバック」
河合「お、入ったかな」
平山「で、菅井のやつ、どこで会ったんだい」
堀江「電車ん中でね。人が置いてった新聞ひろって読んでる、妙な爺がいるんだとさ。よく似たやつがいるもんだと思ったら、そいつがヒョウタンなんだそうだよ」
平山「ほう、ヒョウタンももういい年だろ」
堀江「俺も、もうとうに死んでると思ってたんだ
河合「いやぁあんなやつはなかなか死なないよ。死なないんだな。殺したって死にませんよ」
平山「お前まだ恨んでるのか」
堀江「あいつの漢文じゃいじめられたからな」
河合「ひでえヒョウタンだよいまさら呼ぶこたねえよ」
平山「まぁ呼んでやろうや」
河合「あいつを呼ぶんなら俺出ないよ」
堀江「そんなこと言うなよ。今度あいつのためのクラス会じゃないか」
平山「お前が出なきゃ面白くないよ。出ろよ」
堀江「出ろ出ろ」
河合「やだやだ。おい、どっち勝ってる?」
女将「まだそのまま。0対0。はい、お熱いの」
堀江「うん。これ空だ」
女将「堀江先生、奥様遅いんじゃありません?」
堀江「うん」
河合「なんだ、細君来るのか」
堀江「ああ、来るんだ」
平山「来るのか」
堀江「うん、来るんだ。いま友達と会ってるんだ。あとから来るんだ」
女将「ほんとにお綺麗な、お若い奥様で」
堀江「いやぁ」
河合「お前この頃、どこ行くへでも、細君一緒か」
堀江「ああ、まあだいたいね」
平山「飲んでるのか」
堀江「なにを?
平山「あの方の」
堀江「いやぁ、俺はまだそんな必要ないよ。必要ないんだ。女将さんどうだい」
女将「なんです?」
堀江「あの方の」
河合「亭主に飲ませてるかって聞いてんだよ。お薬。あの方の」
女将「あら、いやですねえ。じゃ、おあとつけときますね」
(三人笑う)
堀江「おい、どうだい」
平山「うん」
堀江「しかしねえ、ここだけの話だがね」
平山「なんだい」
堀江「いや、真面目な話ね」
河合「なんだい」
堀江「大きな声じゃ言えないけどね。いいもんだぞ」
河合「なにが」
堀江「若いのさ。けっこううまくいくもんだ。はは」
河合「なに言いやんだい」
堀江「いや、真面目な話、ほんとうなんだ」
平山「娘さんといくつ違うんだ」
堀江「三つだがね。関係ないんだ、そんなこと」
河合「幸せなやつだよ、お前は」
堀江「そうなんだ。まったく楽しいよ。どうだい、第三の人生、お前も」
平山「そうか。そんなにいいか」
河合「おい、よせよせ。お前はそのままでいいよ。それより、娘を嫁にやることを考えろ」
堀江「しかしな。真面目な話」
河合「わかったよ。もうたくさんだ」
堀江「しかしな、ここだけの話」
女将「堀江先生。いらっしゃいましたよ」
堀江「ああ」
女将「どうぞ」
堀江「ああ、おいで。どう? 会えた? お友達」
タマ子「ええ」
堀江「ああ。おあがりよ」
河合「いやぁ。いらっしゃい」
平山「いらっしゃい」
タマ子「ご無沙汰してまして」
河合「いやぁ、ご機嫌いかがです」
タマ子「はぁ」
平山「まぁ奥さん。おあがんなさい」
河合「どうぞどうぞ」
タマ子「はぁ」
堀江「君、買い物も済んだ? どう? ちょっとあがらない?
タマ子「あの、あたくしもう」
堀江「そう。帰る? あの薬買ってきてくれた?」
タマ子「ええ」
堀江「じゃ、ちょっと飲んで行こうか」
河合「なんの薬だい」
堀江「いやぁ。ビタミンだ」
河合「ビタミン?」
堀江「そう」
タマ子「うちに帰っておあがりになったら」
堀江「そうね。そうしようか。じゃ失礼しようか。悪いけどね、帰るよ
平山「クラス会の話、どうするんだ」
堀江「まかせるよ。悪いけど。うまくやってくれよ」
タマ子「じゃ、ごめんください」
平山「やぁ」
タマ子「お大事に」
河合「おい、俺はナイター棒にふってきたんだぜ」
堀江「ナイターはいいよ」
平山「お前、メシいいのか」
堀江「うちへ帰って食うよ。じゃ、さようなら。失敬。批評はあとで聞くよ。なんとでも言え」
河合「あんなになっちゃうもんかねえ。馬鹿なやつだよ」
平山「うーん」
河合「ああはなりたくないねえ。やだやだ」

時代設定の違いこそあれ、ふたつのシーンは以下の点でよく似ている。1.ある議題を話し合うために、2.複数の男たちが集まり、3.シーンの途中で新しい登場人物が現れる。4.どちらも映画の冒頭、つまりセットアップに絡んだシーンである。

しかし、これほどの共通点がありながら、コード/コンテクストの観点から見ると、両者はまったく異なるシーンであるのがよくわかる。

まず、登場人物。『秋刀魚の味』の三人、平山、堀江、河合が、どのような関係性で、なぜ集まっているのか、なにを求めているのかは、台詞だけではよく見えてこない。かろうじて「クラス会」という単語が出てくるので、三人は同窓かもしれなくて、議題のひとつは同窓会についてなのかもしれない。しかし、クラス会が何を指すのかは明示されないし、議論の具体的な内容も、ついに語られることはない。
一方の『椿三十郎』では、男たちが何者であるのか、どのような関係性であるのか、そしてなにより、彼らのwantがなにであるのかが、台詞のなかで明確に語られている。それこそ、ひとことで説明できるほどに——彼らは、「次席家老と国許用人の汚職を問いただそうと、上役たちに直談判を申し出ようと燃え上がる、若い衆」だ。

関連して、「シーンに登場せず、台詞にだけ現れる第三者」の意味内容もまた、注目に値する。『椿三十郎』における「伯父」のキャラクターは、台詞だけでほとんど完璧にセットアップされている。「伯父」は井坂の伯父であり、城代家老あり、殿の不在時に留守を預かる人物であり、周囲からは愚かだと思われているが、実際には大局を見る目をもった切れ物だ。もうひとり、「大目付の菊井」についても、人物像はかなりはっきりとしている。
『秋刀魚の味』の様相はだいぶ異なっている。たしかに、日本語や日本の学校制度に馴染んだ僕らには、「ヒョウタン」が、三人の学生時代における漢文の教師であり、字義通りのヒョウタンでは決してないことがわかる。しかし、製作者とコンテクストを共有していない観客にとっては、「ヒョウタン」がなにを指しているかを理解するのは難しい。少なくともコードのうえでは、ヒョウタンとは、「漢文と関わりがあり、いい年でありながら、殺しても死なないような、電車に捨てられた新聞を拾って読むような妙な爺さん」でしかない。どうやらクラス会はヒョウタンのために開催されるようだが、コンテクスト抜きには、それがどういう意味内容を持っているのかはよくわからない。

他にも、タマ子と椿三十郎の対比や、『秋刀魚の味』における「あの方」、河合がなぜ最後に「ああはなりたくない」と言うのかなど、コード/コンテクストの観点から比較分析できることはやまほどある。

本題に戻ろう。LDR『彼女の声/Jibaro』は、好き嫌いの分かれる作品だ。僕は好きだが、イルカさんはあまり好きではない。好嫌をわけるのは、物語のエモーションかもしれないし、演出の好みかもしれない。だが、この作品がハイ・コンテクストであることも、無視できない要因であるはずだ——

(#2に続く)

空地カラス

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