どんな仕事でも「仕事」に対する姿勢がパフォーマンスに影響すると思います。
コンビニなんかの接客アルバイトでも、時給にかかわらず仕事と思ってしっかりやる店員さんと「こんな時給でやってられるか」と思ってるような店員さんでは差が出るでしょう。
雇う側が「仕事意識」を過剰に強いるのはブラックに繋がりかねませんが、「仕事意識」が高い人が評価されていくのも事実ではないでしょうか。
時給が安いからとサボったりする人は、お金で動く人間なのかもしれません。高い給料をもらえば、嫌なこともやるのでしょうか?
どんな仕事でも、しっかりと取り組む人は、他の仕事に就いても頑張りそうですし、仕事以外のプライベートでもそういう人なのではないかと想像されます。
アルバイトで高い評価を得ても、なかなか時給などに反映してもらえるものではありませんが、作家のようなフリーランスであれば評価はそのまま仕事や収入に繋がります。
以前にどこかの記事で、物語と接客業は通ずるところがあると書きました。
お客さんの気持ちを思うのと、読み手の気持ちを思うのは似ているからです。
「面白い」とか「感動する」という感情は、文章そのものが価値をもっているのではなく、読んだ人の心の中で起こる現象です。
「感動を起こす文章」だから価値があるのです。
他人の心の中を想像できない人は、狙って面白い文章を書くことは出来ません。
たまたま書いたものが、自分でもよくわからないけど評価されるということはあるでしょう。
狙って笑わせるのと、笑われているだけという違いにも似てるかもしれません。
今回は、やや精神論になりそうですが「作者の態度」が作品に与える影響いついて考えてみようと思います。
「誤字脱字」に対する態度
まずは「読む人の気持ちを考えているか?」です。
これが、一番わかりやすく出るのが「誤字脱字」の多さです。
人間ですから間違えるのは仕方がありませんが、問題はその多さです。
タイピングミスや言葉の知識に問題があるといった能力の問題もあるかもしれませんが、書きっぱなしで相手に渡すのと、一度チェックしてから渡すのでは差が出ます。
もちろん、身内とか親しい友人で「誤字なんていいよ! 気付いたら教えるね!」ぐらいの関係であれば構いません。
そうでない相手に「誤字脱字」が多いまま渡してしまうことが問題です。
こういった小さなことに「相手を考える」気持ちが表れています。
「誤字脱字」の多いまま渡して良い相手かどうかを考えることは、「相手に読ませたときの影響」を考えているかどうかに繋がります。
コンクールでは誤字脱字だけで落とされることはないけど、読む気を失わせるのは事実です。
ラブストーリーで素敵なシーンの途中で、バカみたいな誤字があると、そこで読者の集中力は途切れて白けてしまいます(映画館の上映中に客がトイレに席を立ったときなど想像してみてください)。
プロのスポーツ選手が、シューズの材質や、紐の結び方ひとつにも気を遣うのと似ていると思います。
些細なことに気を遣えないことが、物語の内容自体にも影響します。
主人公のセリフが、作者が無自覚に誰かを傷つけているかもしれない。
相手側のキャラクターの気持ちを考えず、ご都合主義な展開になっているかもしれない。
設定の矛盾に気付くという細やかさの欠如にも繋がるかもしれません。
仕事への態度だけでなく、仕事の質を疑われかねません。フリーランスにとって大きなマイナスです。
僕も書く人間なので、よくわかりますが、書き上がったときのテンションは格別です。
「できた!」という達成感や、〆切からの解放感、なにより誰かに読んでもらいたいという欲もでます。深夜でもメールやラインで、数秒で誰かに送れます。
この気持ちを抑えるのは難しいとしても、すぐに送っていい相手と、直してから送るべき相手をしっかり考えることは大切ではないでしょうか。
「誤字脱字」を減らそうという意識から、他人に渡す前にチェックするという習慣が身につけば、自分の作品を客観的に読む態度にも繋がっていくと思います。
客として「他人の作品を読むとき」の態度
今度は、物語を読む側、すなわち自分がお客さんになって考えてみましょう。
市販の書籍を買ったり、映画館でお金を払えば、お客さんです。
お金を払ったからには、それなりのサービスを受ける権利があると、いったん考えてみましょう。
レストランのような飲食でも構いませんが、ここはマッサージのようなサービスの方が似ているかもしれません。
120分で2000円といったところが、映画の目安でしょう。
書籍はページ数や印刷の形式、発行部数なんかによっても、変動しますが、文庫でいえば800円ぐらい。読む時間は3~5時間といったところでしょうか。
その金額や内容に見合った「満足度」があれば、また同じ作者の本を書いたいと思うし、不満だらけであれば二度と買わないと思われてしまいます。
「この本は買わない方がいい」なんてレビューされるのも、お店と同じです。満足度が高ければ口コミで話題になるかもしれません。
作家をアーティストのような態度で考える人がいますが、実際は「仕事」であり職業です(※アート=文学としての側面は後述します)。
作品の質が低くても、作者の人気だけで売れてしまうこともあります。新作を買うファンの心理です。
お店でいえば、常連さんみたいなもので、経営が成り立っている店には少なからず常連がいるでしょう。
すべての人が、★の多い高級レストランに行くわけではありません。チェーン店が好きな人だって、たくさんいます。
一般の方=物語を書かない方が、どういう態度で読むかは自由です(もちろんお金を払わないフリーライダーは論外です。これは無銭飲食と同じですから)。
お客さんは、レビューを書くのも自由です。法律を犯さなければ批判する権利だってあります。
作家として「他人の作品を読むとき」の態度
ここからは「作家としての読む態度」について考えてみます。
シェフが他店のレストランを偵察に行くようなものと想像してみたら良いと思います。
作家や批評家目線でなく、まずはお客さん目線で率直に体験してみる態度が大切です。
一人のお客さんになったつもりで、率直な好き嫌いを感じるのです。
これは主観的な判断です。
同時に、作品としての価値を客観的な判断をしていくことが勉強になります。
主観的に嫌いで、客観的に考えても良くないのであれば、それはレベルが低いと言えるでしょう。
(主観的に)味も雰囲気も良くないレストランで、(客観的に)お客さんも入っていない。
言ってしまえばダメなレストランです。そのうち潰れるかもしれません。
物語でも主観・客観ともに評価の低い作品は時間のムダかもしれません。
他山の石として学ぶところはあると思いますが、そういった作品に必要以上に時間をとられるのは時間のムダです。世の中には、もっと見るべき名作がたくさんあります。
次に主観的には嫌いで、客観的には良い場合を考えてみます。
(主観的に)好きな味ではないけれど、(客観的に)流行っているレストラン。
そこには流行るだけの理由があるはずです。
物語でいえば、未熟がために、その作品の良さに気づけていないということもあるかもしれません。
あるいは、売れてはいるけど、宣伝がうまいだけという場合もあるかもしれません。大衆にはそういうところがあります。
主観的には好きで、客観的には流行っていないものはどうでしょう?
(主観的に)大好きな味だけど、(客観的に)あまり流行っているとはいえない。
世間では認知されていないだけで、今後、評価がされる可能性があります。あなたがファンになっているからです。
あるいは懐古主義に陥っているだけで、哀しいかな、その作品はもう時代遅れなのかもしれません。
(主観的に)大好きで、(客観的にも)素晴らしいと思えるもの。
それは、もはや名作です。読むときには喜びですし、書くときの目標にもなります。
こういった名作をたくさん触れることが、何よりの勉強になるのは言うまでもありません。
主観ばかりで感想を言う一般の方は多くいます。一般の方はいいのです。お客さんですから。
作家を目指すのであれば、主観と客観をバランスよく読む能力を養うことが勉強になります。
主観だけでは、お客さんと変わりません。
客観ばかりで読んでいると批評家じみてきます。
主観と客観のバランス良い判断力が身につくと、自分が書くときには「狙って面白いもの」が書けるようになってきます。
「プロ意識」への態度
初めから「仕事」ができる人はいません。誰でも、最初は「新人」です。
大切なのは、現時点で能力があるかではなく、今後、身につけて成長していく気があるかどうかです。
たくさん書いて、たくさん読む。上達するには、これしかありません。
変なプライドが成長を阻害するのは、どんなことでも同じでしょう。
間違っていると思えば修正し、自分の肥やしにして成長していけるかどうかです。
幸いなことに「作家」には定年がありません。ちなみに芥川賞の最高齢受賞者は75歳です。
これから、しっかり身につけていけばいいのです。
とはいえ「職業」としての作家には遅いということは考えられます。
20歳で始めようという人と、40歳で始めようという人に、差があるのは当然です。
書くのは初めてだけど、これまでも読むのが好きで、たくさん読んできたという人はいるでしょうが、今まで本を読むのが好きでもなかったとなると、厳しくなるでしょう。
脚本家という仕事であれば、数に限りがあります。テレビドラマや映画、配信ドラマなど大小合わせても年間1000もないのではないでしょうか。
その1000の枠を奪い合うイス取りゲームのようなものです。
すでにプロとして活躍している人たちの中に割って入らなければ「仕事」は貰えません。
そのプロの人たちも日々成長しています。
スタートが遅いのであれば、彼ら以上に読み書きしなければ、割って入るのは難しいでしょう。
小説ではイス取りゲームのルールが少し違います。
脚本はイスをとること=収入になりますが、小説ではイスをとることはいくらか簡単ですが、なかなか売れず収入につながりません。
「出版したことがある」というアマチュア作家はかなりの数いますが、小説の印税だけで食べているプロの作家となると多くはないでしょう。有名な作家でも、講演などで食べている人がたくさんいます。
書籍では出版するより、売れることが難しい。イスに座ること自体は容易でも、いいイスに座るのは難しいのです。
プロとして、「職業」として作家になりたいのであれば、現実的な環境に合わせた能力を身につけて「イス」に座らなくてはならないのです。
アマチュア作家のこと・「文学」への態度
「職業」として書いている人には〆切があり、量も質も求められる中で書き続けているので必然的に上手くなる傾向があります。
アマチュアとは競争のレベルが違うと言えるかもしれません。
しかし、すべてのプロがアマチュアより優れているとは言えません。
たままた売れているだけでプロでも下手な人はたくさんいるし、アマチュアでも感動するほど上手い人がいます。
アマチュア作家の書き方は多種多様です。
目立つのは小説投稿サイトや、当サイトでも出店している文学フリマのようなものです。
生涯、誰にも読ませることなく、黙々書いている人もいるかもしれません。
プロを目指す過程として活動をしている人には技術不足が目立ちますが、そうではない孤高のアーティストのようなアマチュア作家がいます。
ただ書きたいものを書いて、自分で印刷して売っている人たち。
こういう方の本がとても心を打つことがあります。
高級レストランの味よりも、おふくろの味に感動することがあるのです。
技術が拙い物語でも、個人的にはとても感動する物語があるのです。
文学フリマで出逢ったそういったアマチュア作家に「プロを目指さないのですか?」と聞いてみたことがありますが、それぞれの理由で、今の形に満足されているようでした。
仕事ではなく、書きたいから書く。
変に売れることを意識したあざとさがない分、心を打つものがあります。
こういった作品を書ける作者にこそ、収入が与えられる世の中であって欲しいとも思いますが、現実の物語の多くは商業主義に毒されています。
「物語」の本質は人間同士の対話のようなもの。
たまたま同じ時代に生まれて、同じような悩みを抱えて生きている人の気持ちを、作者と読者が物語を通して交流する。
もちろん「物語」は時代を越えて残っていきます。
こういったものこそ、本当の「文学」ではないかと思うのです。
僕も「仕事」だけではなく「文学作品」を書きつづけたいと思ったりするのです。
緋片イルカ 2022.12.22
いろんなタイプの物書きがいると思いますが、私はだれかひとりでも読んで何か心に残ってくれたら嬉しく思うタイプです。
作家を目指さないのか、と訊ねられたこともありますが鬱でまったく文章の読み書きができなくなった時期があり、「生み出すことの苦しみ」を味わったので締め切りのある作家業は向いていないと自負しております。
(実力の有無はさておき)
例えば今まで書いた作品を買い取って頂けるならばよろこんで、なのですが。
以前お話ししたように丹精込めて作った小説がぼろくそに叩かれることももちろんしんどい、というチキンな理由もあります。
それからこちらの記事を読んで耳が痛かったのですが、誤字脱字やちゃんとLINEの文章を読んで返答していないというのが最近のわたしの欠点なので十分に注意しようと思いました。長々とエピソードトーク失礼しました。