※漢字の答えは広告の下にあります。小説内にお題の漢字が出てくるので、よかったら推測しながらお読み下さい。
鮫島ユカリとはあれから何度か逢瀬(おうせ)を重ねた。「天辺の月」という小説を書いた女だ。無口なのかと思うと、急にマシンガンの連射のように語り始めたり、不思議な女だが慣れると愛おしく見えてくる。
「私、喋るのが苦手なんです」
慇懃(いんぎん)を通じた後、鮫島ユカリはベッドの中で語った。
「言いたいことがあるとバーッと頭に言葉が浮かんで来て捲くしたてちゃうんです。それで相手に引かれてしまって、中学生ぐらいからだんだん人と話すのが苦手になってきちゃって」
俺はタバコを消して、ユカリの顔に手を伸ばした。汗で張りついていた髪をかきあげてやる。
「だから小説なんて書いてるんだと思います。文字だと好きなだけ言いたいこと言えるし、目の前で相手の反応を見なくて済むじゃないですか。読まれないのは悲しいけど、話しかけて変な顔される方がもっと悲しいから……」
後朝の別れを惜しんで我が家へ帰った。
「ジャジャーン、魚へんクイズ~!」
玄関を開けた途端、バラエティ番組よろしく娘が声を上げた。
俺が「もうすぐ着く」とメッセージしたから待ち構えていたらしい。
「まずは第一問、魚へんに弱い」
ご丁寧に問題を書いたスケッチブックまで用意している。
左側に魚と書いてあり、右側のつくりはセロテープで貼った紙で隠している。マイクを持ったふりで俺に向けて、
「さあ、どうぞ!」
「おい、俺をバカにしてんのか? いわしに決まってるだろ。そんな漢字、小学生でも知ってるぞ」
「まあまあ、一問目はウォーミングアップ。じゃあ第二問……」
靴を脱いで、リビングキッチンへ行くと娘がついてくる。なにやら、海外文化交流とかでオーストラリアの学生達に漢字クイズを出すらしい。
おにぎりの具になっている鮭(さけ)。
鮨(すし)といえば鮪(まぐろ)と鯖(さば)。
江戸の蒲焼き、鰻(うなぎ)。
と、クイズをしながらさりげなく日本文化を紹介していくらしい。海に囲まれた日本には魚の漢字が多い。
「このへんから、少し難しくなるよ」
ページをめくる娘。
「魚へんに喜ぶで鱚。さあ、これは何でしょう?」
「天ぷらだな」
「はい、正解は?」
「きす」
「お見事。では、下衆山選手、全問正解なるか、いよいよ最終問題です」
魚へんに愛と書かれた漢字が現れた。
「アイだな」
「え? ちょっと待って、パパ、魚へんに愛って漢字あるの?」
「あるよ。アイキョウって言って子持ちの鮎(あゆ)を塩漬けにしたものだ」
「そうなんだ~パソコンで出なかったからないと思ったのに……」
どうやら娘はオリジナルの漢字として考えたらしい。魚へんに愛、魚を愛する、海を大切にしようというメッセージで発表を終えるつもりだった。
そんな娘をよそに、俺は鮫島ユカリの顔を思い出していた。
汗ばんだ髪と紅く染まった頬が、どこか水揚げされた魚に似ている。いや、事の最中にびくんびくんと跳ねる、その様が魚のようだったのだ。
ああ、そういえば鮫島という名字も魚ではないか。魚を愛でる、この文字は俺の中では彼女を表す言葉になった。
「魚愛」(鱫)(あい)
環境依存文字で「鱫」が文字化けするかもしれないので「魚愛」と表記しました。意味は作中にあった通り、子持ちの鮎の塩漬け、あるいは年を経た鮎のこと。ちなみに鮫島ユカリは32歳の設定です。
(緋片イルカ2018/11/8)
次回、「」読めますか?(ゲス漢12)