イルカの創作略暦

1981年(0歳) 東京都出身。

1994年(12歳) 中学二年生の担任に「小説家になりたい」と宣言。それまでに書いていたり読書好きだったわけではない。むしろ本など、夏休みの読書感想文の宿題のために数冊読んだことがある程度。小学校の卒業アルバムには「画家になりたい」と書いていた。理由は「図工」が得意だっただけの幼稚な発想。まだインターネットも普及していない時代で、僕に限らず、この頃の子供は世間知らずだったと思う。

1995年(13歳) 中学三年生、クラスの友達と格闘ゲームのキャラクターを戦わせるようなくだらない小説を書いては友達に読ませていた。当時は二次創作という言葉すらなかった。

1996年(15歳)~ 高校時代。陸上部の活動ばかりしていたが、学校に近い「神保町古書街」に通うようになり、本は好きになった。「倫理」の授業をきっかけに心理学、哲学、宗教に興味をもち、その系統の本は創作に役立つと考えて積極的に読んでいた。とはいえ、他に読んでいるものはマンガが多かった気がする。高校三年生のとき選択授業の中で原稿用紙5枚ほどの掌編を書いた(「猫とプライド」)。

1999年(18歳) 大学に進学したが、わずか1ヶ月で通わなくなり、長いフリーター生活に入る。「作家になるのだから学校の勉強など関係ない」などと言いながらの現実逃避に走る。「芸術は習うものではない」などと言って、スクールに通うとかコンクールに応募するといった発想はなく、初めてもらった専用のパソコンで(windows MEとかだった気がする)、黙々と書いていた。SNSも普及していなかったので、バイト先の役者をやっていた人や小説が好きだという友達など数人に読ませていただけ。

2004年(26歳)~ シナリオスクールに入る。初めて「脚本」というものを習う。このときも映画やTVドラマが好きだったからでもなく学費が安かったというだけ。ただし、作家を仕事にしたいという意識はあり、技術は積極的に習おうという姿勢には変わっていた。三幕構成の書籍など、当時はほとんど翻訳されていなかった(ビートシートなど聞いたこともなかった!)が、講座を受けて、その仲間と月一の「勉強会」をやるようになった。

2011年(30歳) 東日本大震災のあった年。避難所の中学生の話を書き、ラジオドラマのコンクールで審査員奨励賞を受賞。現場に行ったこともない罪悪感をもちながらも、フィクションでも真摯に向き合うという姿勢はこのとき学んだかもしれない。

2012年(31歳) 民放テレビのシナリオコンクールで佳作受賞。プロとして活躍していけるのかと期待したが、仕事らしい仕事はもらえなかった。受賞者の肩書きで身近からTVアニメや演劇など、小さな仕事はもらえるようになったが、収入源はアルバイトという生活。

2017年(36歳) 受賞から時間が経つほど声はかからなくなり(毎年、新しい受賞者がいるのです)、五年以上継続していた「勉強会」もやめることになる。もともとやりたかった「小説」に戻ることを決める。年齢的にも、気持ち的にも新しい仕事をするつもりはなかった。覚悟というより諦めに近いが、やるしかないという気持ち。技術を学ぶため小説のスクールにも通い始める。

2018年(37歳)~ 志摩ウマさんに当サイト「イルカとウマ文学村」を作ってもらい、記事執筆を始める。その後、当サイトを見た方に声をかけていただき「脚本」「分析」の仕事を受けるようになる。「小説」に関してはコンクール応募も含め、書きつづけている。

2023.4.15