気になったショット、特徴的なショットなどの分析をしていきます。
映像のスクショを貼った方がわかりやすいのですが、著作権上の問題もあり、近年はスクショしようにも技術的なブロックもかかっているので、時間で指定するという古典的な書き方にします。
気になる方は、作品を再生して合わせてお読みが下さい。
※分析の都合上、結末までの内容を含みますのでご注意ください。
構成について
映画『ミッドサマー』(三幕構成分析#211)
分析表に関しては、ライターズルームで分析してくれた方がいるので、そちらに譲りますが、ビートのとり方は怪しいでこちらで補足しておきます。
カタリスト:恋人のスウェーデン行きを知る
ディベート:行くかどうかの迷い。村に入る前にハイになっているシークエンス。
デス:村に入る
PP1:夏至祭開始(村での生活開始)
MP:老夫婦の死
フォール:帰ろうとするがペレに止められる
PP2:ジョシュが襲われる
BB:ダンス
イルカの採点「好き」5「作品」5「脚本」4
家族を喪ったダニーが、スウェーデンの特殊な村での異常性(=MP:老夫婦の自殺)(※一般的な価値観では)に振れて、一度は帰ろうとするが、アクト3では、ダンスで優勝し、村の一員となる選択をする。というのが、おおまかな構成です。PP2が主人公ダニーの知らないところで起きていて、BBに向けて主人公の決断がないためアクト3での心理やテーマが曖昧になり、演出優位のクライマックスになっていくところが脚本の原点要因。なぜ生け贄が9人必要なのか? なぜ、ダンスと同じ日に性義式をやるのか? 同行した友人たちの殺し方への疑問とか、裏設定があるにはせよ、疑問が邪魔してテーマに集中できず、ダニーが村の一員となり感情の変化を見せるラスト(タイトル前の家族を亡くして泣くダニーと、ラストの炎の前で村人たちと泣くダニーの対比)への感動も弱めてしまっている。
以下は、ショットについてです。
ダニーの距離感
時間:0:15:08~
ダニーが恋人クリスチャンのスウェーデン行きを知って動揺した状態で部屋に帰ってきたシーン。シーンが始まると、先に入ってきたクリスチャンは椅子に腰掛け、その姿が全身鏡に映る。後から入ってきたダニーは扉に立ったまま会話が始まる。物理的には二人は向きあっているのだが、ショットでは不自然な位置での会話で、二人のギクシャクがショットで表現されている。鏡のフレーム内にいるクリスチャンは、ダニーに対して心を閉じているようにも見える。同じ構図のまま「OK」というセリフとともに、ダニーは一歩歩み寄る。クリスチャンの「I’m sorry」を引き出して、ダニーはそれでも納得できないような仕草で、顔を上げる。もう一度「OK」から、部屋を移動して、クリスチャンの前に行く。左右対立の位置だが、クリスチャンは座ったままで、高さがズレたままの会話。今度はクリスチャンが「OK」といって立ち上がる。身長差があるので高低差が逆になる。クリスチャンが帰ろうとすると、左右位置が入れかわり、ダニーの不安定な部分がでて、引き留めようとすがり、ダニーはソファへ移動。最初にクリスチャンが座っていたソファであり、画面右側に大きく立つクリスチャンとの構図は、部屋に入ってきたショットの逆になっている。最後はダニーの背後から、クリスチャンを見上げるショット(主人公であるダニーの視点ショット)で、顔を背けているクリスチャンで終わる。この二人の関係性が、ショットによく表れている。
0:18:07~
直後のシーン。クリスチャンの友人たちとのシーン。右手手前に座っているクリスチャンの視点にも見える(確定的ではない)。クリスチャンが立ち上がると、このシーンでもクリスチャンが画面奥の壁の古い鏡(ガラス?)に映り、友人たちとクリスチャンにも、距離感があるのがわかる。恋人と友人たちとの間で板挟みになっているような。当然、ダニーが来ると、ダニーとクリスチャンの二人が鏡に収まったまま。切り返しのショットが入るが「友人たち3人」と「ダニーとクリスチャン2人」のショットは分離している。友人がクリスチャンを隣の部屋に誘導して、ダニーが椅子に座る。友人たちと同じショットに入ろうとした瞬間、ダニーの寄りに切り変わり、一緒のショットには収まらない。
そこで、ペレの手元のスケッチブックのショットが入る。これはその後のシーンへの構図を整えるクッション的な役割もあるが、感情的な意味もある。この時点ではわからないが、ペレは後でダニーの似顔絵を渡す。このスケッチブックにダニーを描く(すでに描いていたかも?)を思うと、スケッチブックはペレのダニーへの興味でもある。深読みすれば、このシーンでのペレの画はリモコンやアルコールの空き瓶など雑然としたテーブル上のデッサンで物質的。そういった視点で(非人間的に)ダニーを見ているとも言えるかもしれない。ペレがスケッチブックを片付ける動作をトランジションにして、ペレのバストアップショットに繋がる。この時点では、ダニーの顔はまだ鏡に入っている。何を描いていたかダニーが聞く(テーブルの画をしっかり観客に見せるのは、ここでペレが嘘をついていないと伝える効果もある)。リアクションをとるダニーでショットを切り返す。ていねいなキャッチボールのような切り返しによって、二人の距離感が伝わる。何度か切り返してから、引きのショットになると、ようやくダニーとペレ、もう一人の友人のショットに入る。ペレによって、ダニーが引き込まれたようにも見える。中央にいる友人(ジョシュ)は目で二人を見てから、ショットから逃げるように電子レンジへ移動する。いなくなると、明らかにジョシュが邪魔な位置にいたことが無意識レベルで伝わる。ジョシュが電子レンジでカップを温めているのが、ダニーの後ろに映るのは、ジョシュの行動をしっかり説明して、二人の恋愛効果を強めすぎないため。コメディ(あるいはチープな脚本)では、いそいそと「お邪魔者ですね」なんて仕草で立ち去ったりする。
ペレが写真を見せるという流れから、ダニーはついにペレの隣へ移動。前シーンのクリスチャンと比べても、顔の位置が近い。ここで「夏至祭」の写真を観客に見せてしまっているのは、効果的とは思わない。観客にもダニー同様の祭りへの興味を煽った方が効果的な気がするが、単調な会話のシーンが続くので、監督がやや臆したか、設定の説明に意識をとられて入れてしまった印象を受ける。
写真のやりとりの後、それぞれの頭の後方からのショットは、それぞれの視点からの親密感を伝える。ジャンルがラブストーリーなら、親密なBGMでも流れるところだが、家族の死のフラッシュバックから立ち上がるのは、ダニーというキャラクターの描写でもあり、この作品のジャンルの演出でもある。
0:23:46~
飛行機、窓の外の雲が映り、飛行機が揺れるように画面が揺れる。不穏なBGM。走る車の上空からの回転。観客は平衡感覚を揺さぶられる。これから行く村で、価値観を揺さぶられることを予兆しているようである。構成的に、脚本上の非日常感が遅れているので、演出で補っているともいえる。その後の、ドラッグによるトリップシーンが、薬物経験者から見てもリアルだと、よく取り上げられるが、そういったものは「普通でない」ので素人目にも目立つが、それ以前にキャラクターの描写がうまいという点を見逃さないようにしたいところ。
MP以降は、シーンのとりかた自体が群像的になる。これは、各キャラの動きを説明している印象もあり、主人公ダニーから離れてしまって、効果的とはいえない。作り手の村の風習や怖さを見せたいというのが全面に出てしまっている印象。このあたりの徹底感が『籠の中の乙女』などには劣る感じる。
イルカ 2024.12.13