映画『THE FIRST SLAM DUNK』(視聴メモ)

映画館にて上映中の作品ですが、分析の都合上、ストーリーの核心について触れている箇所がございます。ご了承の上、お読み下さい。

「好き」4 「作品」5 「脚本」3

原作を知っているか否か

客観的に評価するのが難しい作品だと思います。

そもそも原作の映像化やアニメ化では、客層がいくつかに分かれます。

A「原作のファン」
ファンの中にも「好き度合い」によるグラデーションがあるでしょう。

好きの濃い方には「神マンガ」と崇めるような人もいるでしょうし、他にもいくつかある「好きなマンガのひとつ」ぐらいに好きな人もいるでしょう。

いずれにせよ、好意的に見るという特徴があります。

B「ファンではないが原作を読んだことがある」
「ファン」という程ではないが、読んだことはある層です。

僕もここに含まれます。小学生時代にジャンプでタイムリーに読んでいました。

当時バスケットクラブに入っていたので、ユニフォームの番号を取り合うぐらいに好きでしたが、大人になった今では「好きなマンガ」には別の作品を挙げる程度の好きさです。

ここにもグラデーションはあって、「原作は読んだけど、とくに好きでも嫌いでもない」とか、人気マンガでは「数の暴力」で無視されがちな意見ですが「読んだけど原作が好きではない」というアンチ層もゼロではありません。

いずれにせよ、「ファンではないが原作を読んだことがある」層をBとしておきます。

C「原作を読んだことはないが、存在は知っている」
有名マンガでは、シーンやセリフの一部が切りとられてSNSなどで出回るので、存在を知っているという人は多いでしょう。

この中にも、読んではいないが、おおよその「あらすじ」を知っている人とか、コミックスの〇〇巻までは読んだという人がいますし、

「タイトルとバスケマンガであることぐらいは知っている」という人もいるでしょう。

D「原作の存在すら知らない人」
そんな人いるのか?と思う人がいたら、それは「数の暴力」の加害者になる危険性があります。

たとえば、マンガには全く興味のない人、マンガ文化が根付くより前のご年配の方々、そして海外のマンガやアニメに興味のない人など、なんでもゼロではありません。

以上は、スラムダンクに限らず、どんな原作にも言えることですが、それぞれの層によって、映像化作品に対する前提リアクションが変わります。

Aのファンは「絶対に見る層」と「好きゆえの映像化へのアンチ層」に分かれます。

映像化作品としてではなく、原作との比較で評価をしがちな傾向がありそうです。

対極にいる、Dの層は「映像化作品」に対する客観的評価となりそうです。

しかし「人気マンガ」ほどA~Dの比率がAに寄っているということになります。

客観的に判断しようとするなら、自分がどの層にいて、原作を知っている場合は、原作に対する好き具合による偏りを自覚しなくてはいけません。

また、誰かの評価に対するリアクションもデリケートになります。

客観的な意見のようでも、ファンが見たら「わかってない」となる危険性があります。

こういったところから、客観的に評価するのが難しい作品となるのです。

ファンムービーではあるが

通常の映像化作品であれば、ストーリーにアレンジが加わっているとしても、普通は初めからセットアップしていきます。

つまり「原作を知らない人が見てもわかるように」描くのです。

ところが、今作は「マンガのクライマックスとなる試合」がメインとなっています(※宮城リョータのプロットについては後述)。

このスタイルは完全に「ファンムービー」です。

つまり「原作を知っている人を対象とした作り」と言えます。

ABCの層が多いからこそ出来る作りとも言えますが、Dの人でもそれなりに楽しめるのではないかと思います。

メインプロットが試合となっていることで、スポーツの試合を見たような充実感があります。

僕も、普段は興味がなくて選手も知らないようなスポーツでも、テレビでワールドカップなどをやっていると、ふと見てしまい楽しめます。

ましてや、今作の試合は「無名のチームが、三連覇優勝しているチームに勝つ」という盛り上がる試合です。

それも、実際のスポーツ観戦からダラダラする時間(たとえばサッカーのロスタイムとか、事務的なアナウンスのとか)を端折った、ドラマチックな部分を切り抜き、これでもかというほどBGMで盛りあげています

だから、原作を知らないD層が、キャラクターにほとんど感情移入が出来なかったとしても、楽しめるのではないかと思います。

映画としては極めて特殊な作りです。人気マンガ=ABC層が多いからこそ出来る作りです。

ですが、このようにも言えます。

D層にも感情移入が出来るつくりになっていたら?

そこに、通常の映画テクニックを応用する余地があります。

ABC層を満足させるだけで興行も成り立ち、レビューでも評価は高くなるのでしょうが、海外にもっていったとき、どうなのか?

スラムダンクなら、海外でも認知されてるのではないかとも思いますが、それでもマンガを見ないD層にも投げかけられる作りになっていたら?

今作に対して言うのではありませんが、この辺りに、ディズニーアニメと日本アニメの違いがあるように感じます。

構成から考える

物語を客観的をみるには「ビート分析」が基本ですが、上映中作品で時間配分を厳密に計れないので、いかは初見で見た僕の所見です。

全体の構成は「山王戦の試合時間」をメインプロットトして、試合の合間に、各キャラクターの回想が差し込まれる形です。

僕は原作との比較は厳密に把握していませんが「宮城リョータ」以外のシーンはおおよそ原作のシーンという印象でした。

トップシーンもリョータの子供時代から始まり、ラストシーンもNBAで活躍するリョータで終わるので、構成上の主人公に立てているのは言うまでありません。

リョータが主人公とするならキャラクターアークを描くのが通常です。

ここでの「通常」とは「ファンムービー」ではなく、D層にも感情移入させるようにという意味の「通常」です。

少年時代~プロ選手になるまでのキャラクターアークが描けてはいません。ここが今作のもったいないポイントの一つです。

「過去にこういうことがあった」というエピソードを提示するだけではアークにはなりません。

アークとは変化です。

「過去にこういうことがあった」→「こんな気持ちで落ち込んだ」→「それでもこういうことがあって乗りこえた」という流れを丁寧に描写していくことです。

リョータのエピソードは断片ばかりでアークになっていません。

「バスケがあることで乗り切れた」といったセリフ(手紙のモノローグ)があったので、メインプロット自体「山王戦」がその経験となったという解釈をする人いるかもしれませんが、アクト3での活躍は他のキャラがもっていってしまっています。

それ故、母とのドラマなども白けたように見えてしまった人もいたのではないかと思います。

また、リョータを主人公とせずメンバー全員の「群像劇」とする解釈しようとする人もいるかもしれません。

「群像劇」の定義をこの記事では説明しませんが、トップシーン、中間、ラストシーンであれだけリョータのシーンを置いてある限り、これを群像劇の構成とは呼べません。(物語に関係ない一般の観客が、雰囲気や主観だけで群像劇と呼ぶのは自由です)

原作では桜木花道を主人公としていたからこその逆転ゴールなどのシーンを、映像化ではリョータが主人公だといって変更するわけにはいきません(原作者は変える権利もあるように思いますが)。

ですが、リョータなりのアクト3(ビートでいう「ビッグバトル」)は映像作品としては必要でした。

桜木を主人公とするべきだったという意見もあると思いますが、リョータを主人公においた井上先生の意図は伝わるし、そこが魅力だとも思います。

ここは「マンガ」と「映像作品」という媒体差による特性の違いを履き違えてると言わざるを得ません。

マンガは長期連載の中で、各キャラクターに感情移入させていくことが大切でしょうが、時間芸術でもある映像作品ではキャラクターアークのが重要なのです。

井上先生が、映像感覚ではなく、マンガの演出をしてしまっていると感じる箇所がいくつもありました。

揚げ足とりをするつもりはないのですが、「どういうところ?」と思う人のために1つだけ挙げるなら、山王のキャプテン(?)が試合に負けたあと「神社で御参りをするシーン」をフラッシュします。

これは映像ではテレビドラマの手法で(連載もの=前回を知らない人のため)にいれる「説明的回想」です。

マンガも連載ものなので、マンガでも使う手法ですが、映画では稚拙とされる回想です(邦画は映画のくせによく使っているという別の問題もあるのですが)。

これに近いセリフだけのフラッシュも何度かありました。

では、どこまで映像的な手法に合わせればいいのか?

マンガ的な映画であるし、このままでも充分に面白いのでいいのではないか?

それも全くその通りだと思うような作品でした。

だから「作品」としては5点です。興収など見ても「いい作品」であることは疑いようはありません。

一方で、脚本だけの観点では「もったいないところ」があります。

脚本をさらに「構成」と「魅力的なシーン」の点数にわけるなら

「構成」2、「魅力的な描写」4

という感じです。

エピソードにクリシェ感はあれど表現力が素晴らしいので「魅力的な描写」足り得ています。

「構成」の2は、すでに説明したキャラクターアークについてです。

平均して3点としました。

見る価値のある映画かと問われれば、YESです。

脚本を学ばれてる方には、ファン的な視点で「好き嫌い」の主観を述べるだけでなく、分析的な目で見ると非常に考えさせられることの多い作品だと思います。

もしも、自分が脚本家として、この原作の、このコンセプト(山王戦+リョータのプロット)で依頼されたなら、どう処理するか?

そんな風に考えて、意見を言えるようになれたら、ご自身の物語にも役立つことが必ずあると思います。

緋片イルカ 2023.2.17

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