映画『エレファント 』(視聴メモ)

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一個人の感想

「好き」5 「作品」3 「脚本」3

この作品を一般的な言い方で表現をするなら「高校生による銃乱射事件。被害者たちの日常と犯人が事件に至るまでをドキュメンタリータッチで捉えた作品」といったところか。ドキュメンタリータッチは監督の得意とするところであるが、実際の演出はマスター的なショットとのハイブリッドで、どちらも悪目立ちしている印象。ドキュメンタリー的なショットは退屈で冗漫、マスター的なショットはあざとく見える。シーン描写でも同様で、一つ一つの描写は「高校生の日常」でリアリティだけはかなりあるのだが「視点」が足りていないため「ただの日常」でしかない。高校生達に流れる感情や時代の空気を読み取って伝えようという「視点」がないため、「ただ撮る」だけになってしまっているのではないか。一方で、動機付けのようなマスター的なシーン(たとえば消しゴムを投げられるとか、FPSゲーム、ヒトラーとか)が悪目立ちして、犯人の人間像を矮小化している。物語構成でいえば「71フラグメンツ」と同じではあるが、比べてみると違いを明確に感じる(とくに「視点」の違い)。たとえば今作の「エリーゼのためにを弾いているシーン」と71フラグメンツの「卓球マシーンのシーン」は構成上の役割としては同等のシーンだが、どちらが人間に肉迫しているか。ラストの乱射シーンでの衝撃度は多少はあるが、時間軸のズラし、カットバックなどの「映像的な作為」がリアリティを減少させているため、衝撃を弱めている(かといって、ゲームとか非リアリティとしての演出という訳でもない)。戦争映画などのそれに見えてしまったりもする。作品としては物足りなさを感じるが、個人的には「好き」5をつけるほど興味のある題材では、これを扱おうとすることには共感も敬意は払いたくなる(変にアークプロットに乗せていたら嫌悪しただろうが)。ちなみに『71フラグメンツ』1994年、今作は2003年。コロンバイン高校銃乱射事件は1999年。当時のアメリカ人への衝撃度は、今、日本で見る僕とはまるで違うのだろう。ハネケ監督の言葉「わたしは一本の映画が世界を変えるとは思っていません。それはいささかナイーブな考えでしょう。でもたくさんの映画が作られることによって、それらの物語に触れることで、わたしたちの人間性が少しでもより良いものになればいいと願っています」を思い出す。いろんな作家が、いろんな「視点」で描く中で、浮かび上がるものこそが大切なのだと思う。

緋片イルカ 2023.2.25

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