ほっこり朗読 江戸川乱歩『怪人二十面相』(11) 悪魔の知恵/巨人と怪人

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イルカとウマが雑談しながら朗読しています。この作品は僕たちも初見で読んでます。この先、どうなっていくのかなど推理したりツッコミを入れたりしながら楽しんでいますので、みなさんも一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。よかったらコメントなどで推理や感想きかせてください。

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青空文庫:江戸川乱歩『怪人二十面相』

悪魔の知恵

ああ、またしてもありえないことがおこったのです。二十面相というやつは、人間ではなくて、えたいのしれないお化けです。まったく不可能なことを、こんなにやすやすとやってのけるのですからね。
 明智はツカツカと部屋の中へはいっていって、いびきをかいている刑事の腰のあたりを、いきなりけとばしました。賊のためにだしぬかれて、もうすっかり腹をたてているようすでした。
「おい、おい、起きたまえ。ぼくはきみに、ここでおやすみくださいってたのんだんじゃないんだぜ。見たまえ、すっかりぬすまれてしまったじゃないか。」
 刑事は、やっとからだを起こしましたが、まだ夢うつつのありさまです。
「ウ、ウ、何をぬすまれたんですって? ああ、すっかりねむってしまった……。おや、ここはどこだろう。」
 寝ぼけた顔で、キョロキョロ部屋の中を見まわすしまつです。
「しっかりしたまえ。ああ、わかった。きみは麻酔剤ますいざいでやられたんじゃないか。思いだしてみたまえ、ゆうべどんなことがあったか。」
 明智は刑事の肩をつかんで、らんぼうにゆさぶるのでした。
「こうっと、おや、ああ、あんた明智さんですね。ああ、ここは日下部の美術城だった。しまった。ぼくはやられたんですよ。そうです、麻酔剤です。ゆうべ真夜中に、黒い影のようなものが、ぼくのうしろへしのびよったのです。そして、そして、何かやわらかいいやなにおいのするもので、ぼくの鼻と口をふさいでしまったのです。それっきり、それっきり、ぼくは何もわからなくなってしまったんです。」
 刑事はやっと目のさめたようすで、さも申しわけなさそうに、からっぽの絵画室を見まわすのでした。
「やっぱりそうだった。じゃあ、表門と裏門を守っていた刑事諸君も、同じ目にあっているかもしれない。」
 明智はひとりごとをいいながら、部屋をかけだしていきましたが、しばらくすると、台所のほうで大声に呼ぶのが聞こえてきました。
「日下部さん。ちょっと来てください。」
 なにごとかと、老人と刑事とが、声のするほうへ行ってみますと、明智は下男部屋の入り口に立ってその中を指さしています。
「表門にも裏門にも、刑事君たちの影も見えません。そればかりじゃない。ごらんなさい、かわいそうに、このしまつです。」
 見ると、下男部屋のすみっこに、作蔵じいやとそのおかみさんとが、高手小手たかてこてにしばられ、さるぐつわまでかまされて、ころがっているではありませんか。むろん賊のしわざです。じゃまだてをしないように、ふたりの召使いをしばりつけておいたのです。
「ああ、なんということじゃ。明智さん、これはなんということです。」
 日下部老人は、もう半狂乱はんきょうらんのていで、明智につめよりました。命よりもたいせつに思っていた宝物が夢のように一夜のうちに消えうせてしまったのですから、むりもないことです。
「いや、なんとも申しあげようもありません。二十面相がこれほどの腕まえとは知りませんでした。相手をみくびっていたのが失策でした。」
「失策? 明智さん、あんたは失策ですむじゃろうが、このわしは、いったいどうすればよいのです。……名探偵、名探偵と評判ばかりで、なんだこのざまは……。」
 老人はまっさおになって、血走った目で明智をにらみつけて、今にも、とびかからんばかりのけんまくです。
 明智はさも恐縮したように、さしうつむいていましたが、やがて、ヒョイとあげた顔を見ますと、これはどうしたというのでしょう。名探偵は笑っているではありませんか。その笑いが顔いちめんにひろがっていって、しまいにはもうおかしくておかしくてたまらぬというように、大きな声をたてて、笑いだしたではありませんか。
 日下部老人は、あっけにとられてしまいました。明智は賊にだしぬかれたくやしさに、気でもちがったのでしょうか。
「明智さん、あんた何がおかしいのじゃ。これ、何がおかしいのじゃというに。」
「ワハハハ……、おかしいですよ。名探偵明智小五郎、ざまはないですね。まるで赤子あかごの手をねじるように、やすやすとやられてしまったじゃありませんか。二十面相というやつはえらいですねえ。ぼくはあいつを尊敬しますよ。」
 明智のようすは、いよいよへんです。
「これ、これ、明智さん、どうしたんじゃ、賊をほめたてているばあいではない。チェッ、これはまあなんというざまだ。ああ、それに、作蔵たちを、このままにしておいてはかわいそうじゃ。刑事さん、ぼんやりしてないで、早くなわをといてやってください。さるぐつわもはずして。そうすれば作蔵の口から賊の手がかりもつくというもんじゃないか。」
 明智が、いっこうたよりにならぬものですから、あべこべに、日下部老人が探偵みたいにさしずをするしまつです。
「さあ、ご老人の命令だ。なわをといてやりたまえ。」
 明智が刑事にみょうな目くばせをしました。
 すると、今までぼんやりしていた刑事が、にわかにシャンと立ちなおって、ポケットから一たばの捕縄ほじょうをとりだしたかと思うと、いきなり日下部老人のうしろにまわって、パっとなわをかけ、グルグルとしばりはじめました。
「これ、何をする。ああ、どいつもこいつも、気ちがいばかりじゃ。わしをしばってどうするのだ。わしをしばるのではない。そこにころがっている、ふたりのなわをとくのじゃ。これ、わしではないというに。」
 しかし、刑事はいっこう手をゆるめようとはしません。無言のまま、とうとう老人を高手小手にしばりあげてしまいました。
「これ、気ちがいめ。これ、何をする。あ、痛い痛い。痛いというに。明智さん、あんた何を笑っているのじゃ。とめてくださらんか。この男は気がちがったらしい。早く、なわをとくようにいってください。これ、明智さんというに。」
 老人は、何がなんだかわけがわからなくなってしまいました。みんなそろって気ちがいになったのでしょうか。でなければ、事件の依頼者をしばりあげるなんて法はありません。またそれを見て、探偵がニヤニヤ笑っているなんてばかなことはありません。
「ご老人、だれをお呼びになっているのです。明智とかおっしゃったようですが。」
 明智自身が、こんなことをいいだしたのです。
「何をじょうだんをいっているのじゃ。明智さん、あんた、まさか自分の名をわすれたのではあるまい。」
「このぼくがですか。このぼくが明智小五郎だとおっしゃるのですか。」
 明智はすまして、いよいよへんなことをいうのです。
「きまっておるじゃないか。何をばかなことを……。」
「ハハハ……、ご老人、あなたこそ、どうかなすったんじゃありませんか。ここには明智なんて人間はいやしませんぜ。」
 老人はそれを聞くと、ポカンと口をあけて、キツネにでもつままれたような顔をしました。
 あまりのことにきゅうには口もきけないのです。
「ご老人、あなたは以前に明智小五郎とお会いになったことがあるのですか。」
「会ったことはない。じゃが、写真を見てよく知っておりますわい。」
「写真? 写真ではちと心ぼそいですねえ。その写真にぼくが似ているとでもおっしゃるのですか。」
「…………」
「ご老人、あなたは、二十面相がどんな人物かということを、おわすれになっていたのですね。二十面相、ほら、あいつは変装の名人だったじゃありませんか。」
「そ、それじゃ、き、きさまは……。」
 老人はやっと、事のしだいがのみこめてきました。そしてがくぜんとして色をうしなったのでした。
「ハハハ……、おわかりになりましたかね。」
「いや、いや、そんなばかなことがあるはずはない。わしは新聞を見たのじゃ。『伊豆日報』にちゃんと『明智探偵来修』と書いてあった。それから、富士屋ふじやの女中がこの人だと教えてくれた。どこにもまちがいはないはずじゃ。」
「ところが大まちがいがあったのですよ。なぜって、明智小五郎は、まだ、外国から帰りゃしないのですからね。」
「新聞がうそを書くはずはない。」
「ところが、うそを書いたのですよ。社会部のひとりの記者が、こちらの計略にかかってね、編集長にうその原稿をわたしたってわけですよ。」
「フン、それじゃ刑事はどうしたんじゃ。まさか警察がにせの明智探偵にごまかされるはずはあるまい。」
 老人は、目の前に立ちはだかっている男を、あのおそろしい二十面相だとは、信じたくなかったのです。むりにも明智小五郎にしておきたかったのです。
「ハハハ……、ご老人、まだそんなことを考えているのですか。血のめぐりが悪いじゃありませんか。刑事ですって? あ、この男ですか、それから表門裏門の番をしたふたりですか、ハハハ……、なにね、ぼくの子分がちょいと刑事のまねをしただけですよ。」
 老人は、もう信じまいとしても信じないわけにはいきませんでした。明智小五郎とばかり思いこんでいた男が、名探偵どころか、大盗賊だったのです。おそれにおそれていた怪盗二十面相、その人だったのです。
 ああ、なんというとびきりの思いつきでしょう、探偵が、すなわち、盗賊だったなんて。日下部老人は、人もあろうに二十面相に宝物の番人をたのんだわけでした。
「ご老人、ゆうべのエジプトたばこの味はいかがでした。ハハハ……、思いだしましたか。あの中にちょっとした薬がしかけてあったのですよ。ふたりの刑事が部屋へはいって、荷物を運びだし、自動車へつみこむあいだ、ご老人に一ひとねむりしてほしかったものですからね。あの部屋へどうしてはいったかとおっしゃるのですか。ハハハ……、わけはありませんよ。あなたのふところから、ちょっとかぎを拝借はいしゃくすればよかったのですからね。」
 二十面相は、まるで世間話でもしているように、おだやかなことばを使いました。しかし、老人にしてみれば、いやにていねいすぎるそのことばづかいが、いっそう腹だたしかったにちがいありません。
「では、ぼくたちは急いそぎますから、これで失礼します。美術品はじゅうぶん注意して、たいせつに保管するつもりですから、どうかご安心ください。では、さようなら。」
 二十面相は、ていねいに一礼して、刑事に化けた部下をしたがえ、ゆうぜんと、その場をたちさりました。
 かわいそうな老人は、何かわけのわからぬことをわめきながら、賊のあとを追おうとしましたが、からだじゅうをぐるぐる巻きにしたなわのはしが、そこの柱にしばりつけてあるので、ヨロヨロと立ちあがってはみたものの、すぐバッタリとたおれてしまいました。そして、たおれたまま、くやしさと悲しさに、歯ぎしりをかみ、涙さえ流して、身もだえするのでありました。

巨人と怪人

 美術城の事件があってから半月ほどたった、ある日の午後、東京駅のプラットホームの人ごみの中に、ひとりのかわいらしい少年の姿が見えました。ほかならぬ小林芳雄君です。読者諸君にはおなじみの明智探偵の少年助手です。
 小林君は、ジャンパー姿で、よく似合う鳥打ち帽をかぶって、ピカピカ光る靴をコツコツいわせながら、プラットホームを行ったり来たりしています。手には、一枚の新聞紙を棒のようにまるめてにぎっています。読者諸君、じつはこの新聞には二十面相に関する、あるおどろくべき記事がのっているのですが、しかし、それについては、もう少しあとでお話しましょう。
 小林少年が東京駅にやってきたのは、先生の明智小五郎を出むかえるためでした。名探偵は、こんどこそ、ほんとうに外国から帰ってくるのです。
 明智は某国ぼうこくからの招きに応じ、ある重大な事件に関係し、みごとに成功をおさめて帰ってくるのですから、いわば凱旋将軍がいせんしょうぐんです。本来ほんらいならば、外務省とか民間団体から、大ぜいの出むかえがあるはずですが、明智はそういうぎょうぎょうしいことが大きらいでしたし、探偵という職業上、できるだけ人目につかぬ心がけをしなければなりませんので、公おおやけの方面にはわざと通知をしないで、ただ自宅だけに東京駅着の時間をしらせておいたのでした。それも、いつも明智夫人は出むかえをえんりょして、小林少年が出かけるならわしになっていました。
 小林君は、しきりと腕時計をながめています。もう五分たつと、待ちかねた明智先生の汽車が到着するのです。ほとんど、三月みつきぶりでお会いするのです。なつかしさに、なんだか胸がワクワクするようでした。
 ふと気がつくと、ひとりのりっぱな紳士が、にこにこ笑顔をつくりながら、小林少年に、近づいてきました。
 ネズミ色のあたたかそうなオーバー・コート、籐とうのステッキ、半白はんぱくの頭髪、半白の口ひげ、デップリ太った顔に、べっこうぶちのめがねが光っています。先方では、にこにこ笑いかけていますけれど、小林君はまったく見知らぬ人でした。
「もしやきみは、明智さんのところの方かたじゃありませんか。」
 紳士は、太いやさしい声でたずねました。
「ええ、そうですが……。」
 けげん顔の少年の顔を見て、紳士はうなずきながら、
「わたしは、外務省の辻野つじのという者だが、この列車で明智さんが帰られることがわかったものだから、非公式にお出むかえにきたのですよ。少し内密の用件もあるのでね。」
と説明しました。
「ああ、そうですか。ぼく、先生の助手の小林っていうんです。」
 帽子をとって、おじぎをしますと、辻野氏はいっそうにこやかな顔になって、
「ああ、きみの名は聞いていますよ。じつは、いつか新聞に出た写真で、きみの顔を見おぼえていたものだから、こうして声をかけたのですよ。二十面相との一騎いっきうちはみごとでしたねえ。きみの人気はたいしたものですよ。わたしのうちの子どもたちも大の小林ファンです。ハハハ……。」
と、しきりにほめたてるのです。
 小林君は少しはずかしくなって、パッと顔を赤くしないではいられませんでした。
「二十面相といえば、修善寺では明智さんの名まえをかたったりして、ずいぶん思いきったまねをするね。それに、けさの新聞では、いよいよ国立博物館をおそうのだっていうじゃないか。じつに警察をばかにしきった、あきれた態度だ。けっしてうっちゃってはおけませんよ。あいつをたたきつぶすためだけでも、明智さんが帰ってこられるのを、ぼくは待ちかねていたんだ。」
「ええ、ぼくもそうなんです。ぼく、いっしょうけんめいやってみましたけれど、とても、ぼくの力にはおよばないのです。先生にかたき討うちをしてほしいと思って、待ちかねていたんです。」
「きみが持っている新聞は、けさの?」
「ええ、そうです。博物館をおそうっていう予告状ののっている新聞です。」
 小林君はそういいながら、その記事ののっている個所をひろげて見せました。社会面の半分ほどが二十面相の記事でうずまっているのです。その意味をかいつまんでしるしますと、きのう二十面相から国立博物館長にあてて速達便がとどいたのですが、それには、博物館所蔵の美術品を一点ものこらず、ちょうだいするという、じつにおどろくべき宣告文がしたためてあったのです。例によって十二月十日というぬすみだしの日づけまで、ちゃんと明記してあるではありませんか。十二月十日といえば、あますところ、もう九日間しかないのです。
 怪人二十面相のおそるべき野心は、頂上にたっしたように思われます。あろうことか、あるまいことか、国家を相手にしてたたかおうというのです。今までおそったのはみな個人の財宝で、にくむべきしわざにはちがいありませんが、世に例のないことではありません。しかし、博物館をおそうというのは、国家の所有物をぬすむことになるのです。むかしから、こんなだいそれた泥棒を、もくろんだものが、ひとりだってあったでしょうか。大胆だいたんとも無謀ともいいようのないおそろしい盗賊です。
 しかし考えてみますと、そんなむちゃなことが、いったいできることでしょうか。博物館といえば、何十人というお役人がつめているのです。守衛もいます。おまわりさんもいます。そのうえ、こんな予告をしたんでは、どれだけ警戒がげんじゅうになるかもしれません。博物館ぜんたいをおまわりさんの人がきでとりかこんでしまうようなことも、おこらないとはいえません。
 ああ、二十面相は気でもくるったのではありますまいか。それとも、あいつには、このまるで不可能としか考えられないことをやってのける自信があるのでしょうか。人間の知恵では想像もできないような、悪魔のはかりごとがあるとでもいうのでしょうか。
 さて、二十面相のことはこのくらいにとどめ、わたしたちは明智名探偵をむかえなければなりません。
「ああ、列車が来たようだ。」
 辻野氏が注意するまでもなく、小林少年はプラットホームのはしへとんでいきました。
 出むかえの人がきの前列に立って左のほうをながめますと、明智探偵をのせた急行列車は、刻一刻こくいっこく、その形を大きくしながら、近づいてきます。
 サーッと空気が震動して、黒い鋼鉄の箱が目の前をかすめました。チロチロとすぎていく客車の窓の顔、ブレーキのきしりとともに、やがて列車が停止しますと、一等車の昇降口に、なつかしいなつかしい明智先生の姿が見えました。黒い背広に、黒いがいとう、黒いソフト帽という、黒ずくめのいでたちで、早くも小林少年に気づいて、にこにこしながら手まねきをしているのです。
「先生、お帰りなさい。」
 小林君はうれしさに、もうむがむちゅうになって、先生のそばへかけよりました。
 明智探偵は赤帽にいくつかのトランクをわたすと、プラットホームへおりたち、小林君のほうへよってきました。
「小林君、いろいろ苦労をしたそうだね。新聞ですっかり知っているよ。でも、ぶじでよかった。」
 ああ、三月みつきぶりで聞く先生の声です。小林君は上気じょうきした顔で名探偵をじっと見ながら、いっそう、そのそばへよりそいました。そして、どちらからともなく手がのびて、師弟していのかたい握手がかわされたのでした。
 そのとき、外務省の辻野氏が、明智のほうへ歩みよって、肩書きつきの名刺をさしだしながら、声をかけました。
「明智さんですか、かけちがってお目にかかっていませんが、わたしはこういうものです。じつは、この列車でお帰りのことを、ある筋から耳にしたものですから、きゅうに内密でお話したいことがあって、出むいてきたのです。」
 明智は名刺を受けとると、なぜか考えごとでもするように、しばらくそれをながめていましたが、やがて、ふと気をかえたように、快活に答えました。
「ああ、辻野さん、そうですか。お名まえはよくぞんじています。じつは、ぼくも一度帰宅して、着がえをしてから、すぐに、外務省のほうへまいるつもりだったのですが、わざわざ、お出むかえを受けて恐縮でした。」
「おつかれのところをなんですが、もしおさしつかえなければ、ここの鉄道ホテルで、お茶を飲みながらお話したいのですが、けっしておてまはとらせません。」
「鉄道ホテルですか。ホウ、鉄道ホテルでね。」
 明智は辻野氏の顔をじっと見つめながら、何か感心したようにつぶやきましたが、
「ええ、ぼくはちっともさしつかえありません。では、おともしましょう。」
 それから、少しはなれたところに待っていた小林少年に近づいて、何か小声にささやいてから、
「小林君、ちょっとこの方とホテルへよることにしたからね、きみは荷物をタクシーにのせて、一足ひとあし先に帰ってくれたまえ。」
と命じるのでした。
「ええ、では、ぼく、先へまいります。」
 小林君は赤帽のあとを追って、かけだしていくのを見おくりますと、名探偵と辻野氏とは、肩をならべ、さもしたしげに話しあいながら、地下道をぬけて、東京駅の二階にある鉄道ホテルへのぼっていきました。
 あらかじめ命めいじてあったものとみえ、ホテルの最上等の一室に、客を迎える用意ができていて、かっぷくのよいボーイ長が、うやうやしくひかえています。
 ふたりがりっぱな織おり物ものでおおわれた丸テーブルをはさんで、安楽イスに腰をおろしますと、待ちかまえていたように、べつのボーイが茶菓さかを運んできました。
「きみ、少し密談があるから、席をはずしてくれたまえ。ベルをおすまで、だれもはいってこないように。」
 辻野氏が命じますと、ボーイ長は一礼して立ちさりました。しめきった部屋の中に、ふたりきりのさし向かいです。
「明智さん、ぼくは、どんなにかきみに会いたかったでしょう。一日千秋せんしゅうの思いで待ちかねていたのですよ。」
 辻野氏は、いかにもなつかしげに、ほほえみながら、しかし目だけはするどく相手を見つめて、こんなふうに話しはじめました。
 明智は、安楽イスのクッションにふかぶかと身をしずめ、辻野氏におとらぬ、にこやかな顔で答えました。
「ぼくこそ、きみに会いたくてしかたがなかったのです。汽車の中で、ちょうどこんなことを考えていたところでしたよ。ひょっとしたら、きみが駅へ迎えに来ていてくれるんじゃないかとね。」
「さすがですねえ。すると、きみは、ぼくのほんとうの名まえもごぞんじでしょうねえ。」
 辻野氏のなにげないことばには、おそろしい力がこもっていました。興奮のために、イスのひじ掛けにのせた左手の先が、かすかにふるえていました。
「少なくとも、外務省の辻野氏でないことは、あの、まことしやかな名刺を見たときから、わかっていましたよ。本名といわれると、ぼくも少しこまるのですが、新聞なんかでは、きみのことを怪人二十面相と呼んでいるようですね。」
 明智は平然として、このおどろくべきことばを語りました。ああ、読者諸君、これがいったい、ほんとうのことでしょうか。盗賊が探偵を出むかえるなんて。探偵のほうでも、とっくに、それと知りながら、賊のさそいにのり、賊のお茶をよばれるなんて、そんなばかばかしいことがおこりうるものでしょうか。
「明智君、きみは、ぼくが想像していたとおりの方でしたよ。最初ぼくを見たときから気づいていて、気づいていながらぼくの招待に応じるなんて、シャーロック=ホームズにだってできない芸当げいとうです。ぼくはじつにゆかいですよ。なんて生きがいのある人生でしょう。ああ、この興奮の一時ひとときのために、ぼくは生きていてよかったと思うくらいですよ。」
 辻野氏に化けた二十面相は、まるで明智探偵を崇拝すうはいしているかのようにいうのでした。しかし、ゆだんはできません。彼は国中を敵にまわしている大盗賊です。ほとんど死にものぐるいの冒険をくわだてているのです。そこには、それだけの用意がなくてはなりません。ごらんなさい。辻野氏の右手は、洋服のポケットに入れられたまま、一度もそこから出ないではありませんか。いったいポケットの中で何をにぎっているのでしょう。
「ハハハ……、きみは少し興奮しすぎているようですね。ぼくには、こんなことは、いっこうにめずらしくもありませんよ。だが、二十面相君、きみには少しお気のどくですね。ぼくが帰ってきたので、せっかくのきみの大計画もむだになってしまったのだから。ぼくが帰ってきたからには、博物館の美術品には一指いっしもそめさせませんよ。また、伊豆の日下部家の宝物も、きみの所有品にはしておきませんよ。いいですか、これだけははっきり約束しておきます。」
 そんなふうにいうものの、明智もなかなか楽しそうでした。深くすいこんだ、たばこの煙を、フーッと相手の面前めんぜんに吹きつけて、にこにこ笑っています。
「それじゃ、ぼくも約束しましょう。」
 二十面相も負けてはいませんでした。
「博物館の所蔵品は、予告の日には、かならずうばいとってお目にかけます。それから、日下部家の宝物……、ハハハ……、あれが返せるものですか。なぜって、明智君、あの事件では、きみも共犯者だったじゃありませんか。」
「共犯者? ああ、なるほどねえ。きみはなかなかしゃれがうまいねえ。ハハハ……。」
 たがいに、相手をほろぼさないではやまぬ、はげしい敵意にもえたふたり、大盗賊と名探偵は、まるで、したしい友だちのように談笑しております。しかし、ふたりとも、心の中は、寸分すんぶんのゆだんもなくはりきっているのです。
 これほどの大胆のしわざをする賊のことですから、その裏面には、どんな用意ができているかわかりません。おそろしいのは賊のポケットのピストルだけではないのです。
 さいぜんの一ひとくせありげなボーイ長も、賊の手下てしたでないとはかぎりません。そのほかにも、このホテルの中には、どれほど賊の手下がまぎれこんでいるか、知れたものではないのです。
 今のふたりの立ち場は剣道の達人たつじんと達人とが、白刃はくじんをかまえてにらみあっているのと、少しもかわりはありません。気力と気力のたたかいです。うの毛ほどのゆだんが、たちどころに勝負を決してしまうのです。
 ふたりは、ますますあいきょうよく話しつづけています。顔はにこやかに笑みくずれています。しかし、二十面相のひたいには、この寒いのに、汗の玉がういていました。ふたりとも、その目だけは、まるで火のように、らんらんともえかがやいていました。

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