執筆・鑑賞の参考値

参考値の共有

個人的なデータですが、過去の記録が残っていたので参考程度に共有しておきます。

僕が脚本を学びだしたのは2007年9月頃でした。

受賞までのコンクール応募数
2007年:2(4ヶ月分)
2008年:6
2009年:6
2010年:2
2011年:7
上記の合計(4年4ヶ月):23

2011年の6本目で、初めて受賞をしたので22本目ということになります。ショートショートなどは入れていないので最低30分もの以上のコンクールへの応募です。
受賞したのはラジオドラマの奨励賞で、賞金もなく、仕事に繋がる話なども一切なかったのですが、ただただ嬉しかったのを覚えています(賞状と盾はありました笑)。
この他にスクールに通っていたので課題として毎週10枚ほどのものを50本はこなしました。自主映画用とか細々したものはカウントしていません。

この時期に見ていた映画の本数
2007年:37(2ヶ月分)
2008年:204
2009年:213
2010年:286
2011年:260
合計(4年2ヶ月):1000

足してみてちょうど1000本だったのでビックリしました。
当時は、ビートシートどころか三幕構成の翻訳本すらほとんど手に入らなかったので「起承転結」など自己流の分析はしてしましたが、もちろん、すべての作品をやっていた訳ではありません。

ニートをしていた時期なんかもありますが、基本的には生活のための仕事をしながらこなしていった量です。

今、振り返ってみて多いとは思いません。けして「俺はこんなにやったぞ!」なんて自慢ではありません。

コンクールにはすべて出すという多作な人もいるでしょうし、映画鑑賞が趣味な人で年に1000本見てるなんて人もいます。

あるいは年に一本しか応募しない人とか、「最近映画見てないな~」なんて言って一年ぐらい見ていないなんて人もいました。

こんな人たちは、プロを目指すのに論外なのは言うまでもありません。

量と質

創作に上達するには「見ること」と「書くこと」が不可欠です。

そこに「量」と「質」の考えも大事です。

そもそもの量が足りていない人は、あれこれ考えるより量をこなすべきです。見えてくるものが必ずあるはずです。

ある程度、量はこなしている人の中には「こなすこと」が目的になってしまっていて、質に目がいっていない可能性があります。

スポーツで考えるとわかりやすいと思います。

プロを目指すなら、最低限の「量」が必要です。練習量は仕事としているプロと、趣味に過ぎないアマの絶対的な差です。

量をこなしているプロの中で勝ち上がるには、さらに「質」が求められます。

アニメなんかに出てくる努力などしなくても天才的な能力をもっているなんて人は、ゼロとは言い切れませんが、ごく少数の、限られた天才だけで、そんな人はこのサイトで、こんな記事など読んでいないで、とっくにデビューしているでしょう。

とはいえ、プロとして仕事するには天才である必要はありません。

良くも悪くも「仕事」です。

「良質の物語を期日までに仕上げる」という仕事。

1回だけでなく、それをコンスタントに続けていくことができれば作家という「仕事」になります。

求められる能力も高く、競争率も高い職種だと思いますが、天才でなくてもなれます。

これは大学受験に似ています。

「自分には無理」「こんなことは身につけたくない」なんてワガママに勉強していると合格は遠いですが、傾向と対策に合わせて能力を身につけていけばパスできます。

受験など覚えることばかりなので、やるべきことは簡単です。

物語では「解答が曖昧」という側面があります。

「どうしてこんなものが受賞作?」なんて、勉強されている方の多くが感じたことがあると思いますが、それも「傾向」の一部に過ぎません。

物語では、スポンサーや選考委員の都合や社会情勢で、よくわからないものが受賞することがあります。そういうものです。

ですが、誰もが認める受賞すべき作品が、きちんと受賞しているものもたくさんあります。

物語に対しての観点に、幅が少ないのは「見ること」の「量」が足りていないせいかもしれません。

たくさん見れば、何が「良い物語」かはわかります。

ジャンルや時代を加味したり、差し引いたりして、「良い物語」とは何かがわかってきます。

人間の時間には限りがあるので、プロを目指すのであれば、目標の「量」を決めて、何年かけて、こなしていくのか? という設定が必要です。

データをとってカウントなんかしなくても、好きで好きで、知らず知らずに「量」をこなしているような人であれば「質」だけを考えればいいでしょう。

「面白いとは何だろう?」なんて問いばかり考えてしまうような人は「量」をこなすことを考える方がいいかもしれません。

ある程度の「量」をこなす中で、「質」の高いものを書く能力が身につけば、多少の運はあれど、必ずどこかで認められるでしょう。

くり返しますが、冒頭にあげた僕の参考値は、多いとも少ないとも思いません。

これぐらいこなせば受賞できるなんて言うには少なすぎるかもしれませんし、物語論が普及して効率よく学べる今ならもっと少なくてすむとも思います。

仕事や家庭など、学習に使える時間も人それぞれです。

1年で5本書くぞという人もいるでしょうし、2年で10本書くという人もいるでしょう。

1年で5本であれば、2~3ヶ月に1本は書かなくてはいけません。

2ヶ月としたら8週間。

現状、あなたは1週間で何枚書けていますか?

スクールにいた人で、思い出す人がいます。

彼女はプロになりたいと公言していましたが現実と噛み合っていないところがある印象のある人でした。

「私は〇〇賞をとる!」なんて、SNSに宣言しては毎年落ちていました。

1年に1回、そのコンクールに応募を続けて、何年後に受賞するつもりなのか、そこに至るまでのステップは見えているのか、話していて疑問でした。

現在は何をしているか知りませんが、少なくとも「〇〇賞」には受賞していません。

コンクールで評価されるのは「作者の気持ち」ではなく「作品のレベル」です。

やるのは自分

目標の量をこなすということは、別の何かの時間を削るということでもあります。

こんなに大変なら、プロになるのはやめて、違うことをやろうと気いたとしたら、それも素晴らしいと思います。

一度きりの人生、自分に向いていない目標を目指しつづけるのはもったいないかもしれません。

(とはいえ、夢みがちに生きることも、また人生とも思いますが)

仕事としての作家は、好きなように書いて印税でウハウハといった甘いものではありません。それは、一部の天才でしょう。

作品の質がおちて商品価値がなくなれば仕事はなくなります。潰しが効かないとも言えるかもしれません。

趣味で書いている方が、楽しいこともいっぱいあるでしょう。

それでも、物語を書くということを仕事にしたいのであれば、きちんと量をこなせば到達できるでしょう。

方法論は、このサイトにたくさん提供しています。「量」さえこなせば、「質」はついていくるはずです(※模索しながら、方法論も改善していきます)。

何年かけて、どれだけの量をこなすか?

それを決めて、自分の生活と向き合いながら、しっかりこなす。

それは自分自身にしかできないことです。

緋片イルカ 2022.12.16

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