「亡き息子へ、あの日から買い続けるジャンプ。「死んだら終わりですか?」母親は問いかける」という記事を読んで、心打たれました。
震災という出来事は多くの日本人に衝撃をもたらして、物語を書く人間には使命感のようなものを呼び起こしたのではないかと思います。
あたりまえにある「日常」が突然、壊れることがある。そういう衝撃です。
今の新型コロナの影響でも「日常」が崩れましたが、震災は瞬間的にそれが起こり、地面が揺れるという身体感覚を伴って、それを突き付けた分、衝撃が大きかったのだと思います。
僕は東京に住んでいて、たしか5度強ぐらいだったと思いますが、とにかく揺れたのを覚えています。
幸いなことに、被害らしい被害はありませんでした。本棚が崩れて、部屋の入口を塞いでしまったことぐらいです。
その日は、ファミリーレストランでの夜勤があった日で、仕事があるのかわからないまま出勤してみると、交通がマヒして帰れなくなった人が、たくさんいました。
僕の働いていた店は特別に人道的な対応などもなく、深夜1時だか2時だかに閉店するといって、残っていた人を帰らせていました。
そのことに対して、特別に文句を言ったお客さんも記憶にありません。
帰宅難民といわれ、「帰れない」ということが大きな問題で、逆にいえば、東京では命に関わるような危険はほとんどありませんでした(それでも天井の照明の下敷になって亡くなった方もいたはずです)。
テレビ番組が、異常なほどに緊迫していて、企業のCMがほとんどなくなり、公共CMが嫌というほど流れたり、流通がストップしたせいでお店からモノがなくなったりしました。
こんなことは、同時代を生きた人たちには、わざわざ記す必要もないことですが、仕事で子供と接していると「小さかったので震災の記憶はない」という世代が、もういるのです。
10年という年月は、自分が10代、20代の頃には測れない長さですが、大人になってからは(いつから大人になったか知りませんが)、「もう10年か」と、しみじみとした驚きをもって思い出されます。
震災の年、僕は震災を題材にしたオーディオドラマを書いて応募しました。10年前です。
今も続いているのか、ちょっと知りませんが、NHK仙台のオーディオドラマの脚本募集というのがあって、初めて応募したのが2008年でした。
そのコンクールには「東北地方を舞台にした」という応募条件がついていたのですが、柳田國男の「遠野物語」が好きで、旅行したことがあったので、その経験を元に「迷い家」という誰も人のいない部屋に迷いこむという現象を題材にして書きました。
コンクールは箸にも棒にもかからなかったのですが、毎年、開催の時期になると、応募者宛にお知らせのハガキが届きました。
当時の僕は「コンクールは手当たり次第だしてやろう!」という気持ちだったので、ハガキが来ると挑戦状を受け取ったような気持ちになって「よし、今年も!」と、捻り出しては応募していました。
とはいえ、体験の裏打ちのない、イメージだけで「雪の国」を想像したファンタジーなど、今思えば(当時も自分でも感じていましたが)、くだらない物語ばかりでした。当然、落選ばかりでした。
そんな中で、2011年の震災があって、その年は、書くのが、とても難しいと感じました。
被災地域である東北のコンクールに、部外者である自分が震災のことを書くなんて、許されないという思いがありました。
同時に、物語を書く人間として、書かなくてはならないような衝動のようなものもありました。
リアリティもないし、失礼な物語であるのも承知で、「思い」を書いてみようと思いました。
内容は避難所にいる中学生の話で、津波が引いたあとに自宅のあった場所へ行き、祖母の形見の楽器を見つけるという、いかにもあざとい話です。今ではこんな不躾な物語は書ける気がしません。
それでも「審査員特別賞」というのをいただきました。一人の審査員の方が気に入って授けてくださったのです。
講評には「すごく怖い。だけど生きていかなきゃ」という中学生のセリフがよかったと書かれていました。そこだけが評価されたのです。
当時も、三幕構成を学んでいました。今ほどではないけど物語構造のことは、それなりに分かっていたつもりです。
「不幸な目にあっても、あるきっかけで、主人公は再生していき、生きる希望を見つける」
こんなのが、多くの物語のセオリーです。
最近、しきりに思うのが、物語には「価値観の押しつけ」があるということです。
神話が昔は君主制の権威づけにつかわれたり、プロパガンダに使われてきたように、物語は観客の気持ちを誘導する力を持っています。
ある主人公の生き方に感動してしまった瞬間、その価値観に呑まれています。
一つの考えを肯定することは、肯定できない立場の人を否定することにもなります。
ニュースや身近な世間話のなかでも、僕たちは気づかないうちに、物語に流されています。
そんな「物語の力」を前にして、自分が何を言うべきなのか?
その自問はいまも続いています。
エンターテイメントの構造は、三幕構成がわかってくると、つくるのはわりと簡単です。
それをやれば、おおよそ売れたりもするでしょう。
さきのオーディオドラマで審査員特別賞をいただいた翌年、別のテレビ局の賞をいただきました。
それは、ある有名映画のプロットに当てはめたエンタメ構造の物語でした。
観客が「あっと驚く」構造で書いただけなのです。
当時は受賞して浮かれたり、調子にものっていました。
けれど、今思えば、くそくらえです。何の「思い」もない作品です。
物語はとても強い力をもっていると思います。その強さに、作者が振り回されたりもします。
震災の当事者が、震災を描いたとしてもドラマタイズされると、嘘くささがでてしまうでしょう。
それでも「思い」が込められた物語には、本物が宿ります。
冒頭でリンクを貼った記事。
「語り部」として伝え続ける丹野祐子さんは、津波で亡くされた息子・公太さんが好きだったジャンプを買い続けているそうです。
友達2人が家に遊びに来た時、3人揃ってそれぞれ買ってきたジャンプを読んでいた姿を思い出す。
「みんな読むなら1冊買って回し読みすればいいじゃない」。そう言う丹野さんに、公太さんは「1人1冊じゃなきゃダメなんだよ」と、反論した。
そんな公太さんの記憶や、
震災直後、ボランティアが買ってきたジャンプを避難所で子どもたちに渡していたのを見て、丹野さんの頭には「うちの子も、きっとジャンプを読みたがる」という思いが頭をよぎった。
避難所での記憶。
ある日、本棚を眺めていると『週刊少年サンデー』と『週刊少年マガジン』が紛れ込んでいることに気付いた。
「まずいな、バレたら大変だ」
丹野さんは、抜けていたバックナンバーをメルカリやAmazonで買い求めた。
こういったささいなことまで、すべてが本物の物語だと感じて、とても心を打たれました。
人間は、意識しなくとも自分の物語を生きています。
何かを願ったり、過去を振り返ったり、悲しんだり絶望したりしながら、それでも生きていかなくてはいけない。
『ペスト』を書いたカミュに言葉に「人生は苦しんでまで生きるに値するかどうか。これが哲学の根底にある質問である」というものがあります。
生きる意味などというのは、人間だけが考えることなのかもしれません。生きる上では必要のないことなのかもしれません。
それでも考えてしまうのも、また人間です。
生きる意味を考えるとき、人間には「物語」が必要です。
「どんなに今がつらくても、いつかは幸せが訪れる」
「もう老い先は長くない、それでも死ぬ前にやり遂げたいことがある」
「もう望みは亡くとも、死後の世界や、生まれ変わりを思い描く」
そういったものも、言ってしまえば、すべて物語です。
物語と向き合うことは、自分と向き合うことでもあるのだと思います。
今のコロナ禍については、もう言いますまい。
何を書くべきか、それが誰かを傷つけるかもしれないこともわかった上で、それでも物語を紡いでいく。
そういう人たちは、みな同時代を生きる仲間なのだと思います。
緋片イルカ 2021/03/11
偶然ヨブ記についてのおもしろいツイートがありました。
https://twitter.com/MyoyoShinnyo/status/1370606172705751043
また、
https://www.youtube.com/watch?v=n4hXlksr7rU
吉本隆明のヨブ記についての動画です。
ご参考までに