【「文芸」という言葉】(文学#13)

「文学とは何だろう?」という疑問があった。
文学らしきものはたくさんある。だけど、定義づけるのは難しい。

日本には「純文学」なんて言い方があって某という評論家が言い出した言葉らしいが、エンタメ小説を低俗として決めつけて、それとは違う高尚なものといった意味合いをこめたものらしい。

マイナーな例だが、個人的には大乗仏教が、上座部仏教のことを、小さい船(少ない人しか救えないという意味で)小乗仏教と呼んだのを思い出す。
関係ないが、日本人が英語で名乗るときに、名字と名前を反対に言うのも気になる。自分の名前なんだから、そのまま言えばいいと思う。
もっと言えば、自分の国をNipponとは呼ばずJapanと、外国から付けられた呼び方をするのも気になる。

ものを書いていると、言葉のことが気になる。
「文学」というのも、その一つだった。

文学的なものとは、いま、僕の中では「文章をつかった芸術」という感覚でとらえている。
学校で習うような美術史的な芸術ではなく、メッセージ性を込めて既成概念を打ち破る役割としての芸術。
もっとも、美術史的なものも当時ではそういった攻撃性を孕んでいたのだと思う。
そういう意味では、文学は「文芸」だと思う。

この「芸」という漢字は工芸品のような手作りな味わいもある。それは小説を一生懸命に書き上げるかんじにつながる。
また、伝統芸能のような形式美や、曲芸のようなエンタメ性も内包できる。

そう思うとこの「文芸」という言葉がすきになった。
適当という言葉に似ている。
この言葉もすき。

「おまえ、適当だな~」
とか、現代ではおおざっぱ、いい加減という意味の揶揄として使われることが多いけど、もともとは適材適所、「ぴったりのものを当てる」という相反する意味をもっている。

「適当にやろうよ」
と言うと、ベストな方法を考えてやろうという意味を込めつつ、肩の力が抜けるかんじがする。

文芸はかんたんな漢字だから手芸みたいにやわらかい。
「文藝」と書くとカッコよくなる。でも、固有名詞の文藝が浮かんでしまうので、使いづらいときもある。

ブンゲイと書くと新聞っぽい。
Bungeiは気どり過ぎる。
ぶんげいは、なんとなく芸人みたい。
一周まわって「文芸」にもどる。

エンタメの中にも文学的なテーマのある小説があるし、純文学と呼ばれる賞をとっているものでも堅苦しいだけの中途半端なエンタメみたいなものもある。
テレビや映画はもちろん、スマホや動画が普及した現代で、文章でなくては表現できないものとは何なのだろう?
出版不況だなんだと言って、売れるものをもてはやす風潮もあるけど、タイトルの引きが強いだけで中身のないものは、装いだけキレイで味はまずいレストランみたいなもの。そのうち潰れる。
だけど、そこそこの味で安い(読み易い)、ファストフードチェーンみたいなものは、そこそこに売れて、そこそこに客を満足させて、消費されつづけている。
ちやほやされて、才能だと奢ったり、知識人ぶりたければ、そういうのを書くのもいいかもしれない。拘りすぎて潰れる店よりマシかもしれない。

答えなど出ないけど、どういった文芸を磨いていくのかは考えつづけていきたいと思う。

緋片イルカ 2019/09/26

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『初心者のための「文学」』(大塚英志)から考える → 【文学を考える7】

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