いつだったか、ちょっと前から、youtubeの低評価の数が表示されなくなりました。
うちのサイトでもyoutubeでラジオやイベントの録音をアップしていますが、再生回数の平均10~20回ぐらいのもので、ほとんど近しい人しか聞いていないと思っているし、こちらも、そのつもりでアップしているだけなので、数字は気にしたくないと思っています。
それでも、ときどき高評価をつけて下さる方がいると「あの人かな? この人かな?」なんて想像しながら嬉しい気持ちになるし、低評価をつけられれば、なんでこんなネットの隅っこで活動しているような人に、わざわざ低評価を押していくんだろう?という、ちょっと寂しい気持ちになります。
気にしたくなくても、気になってしまうのは、人間の性なのだと思います。
数字を気にして「次はもっと上がるように、こうしよう!」なんて気にしたりはしませんが、高評価があれば嬉しいし、低評価があればがっかりという気持ちが起こるのは当然だと思うのです。
これは、たとえば、街中で「そのセーター、すてきですね」なんて声をかけられれば嬉しいし、擦れ違いざまに舌打ちをされたら嫌な気持ちになると似たようなものではないでしょうか。
youtubeの低評価の数が見えなくなったことに対して、その動画が、煽りのような悪質な動画かどうかを判断する基準がわからなくなるという意見を目にしました。
疑問が浮かびます。
低評価の数がなくても、再生数に対して高評価が少なければ、あまり評価されていないことはわかります。
そもそも、評価の数で判断する必要があるのでしょうか?
物語で言えば、売れているから面白いとは限りません。
他人の評価ではなく、自分の目で見れば、面白いかどうかは判断できます。
自分には合わないと思えば、次からは見なければいいだけのことです。
たとえば、電車で、ヘッドホンから音楽が大きな音が漏れている人がいたとします。
嫌だと思えば、隣りの車輌に移ればいいだけです。
その音楽のせいで迷惑している人がいて、注意したいと思うなら「すみません、迷惑している人がいるので、少し音量を下げてもらえませんか?」と丁寧な言葉で、伝えればいいだけのことです。
これは動画でいえば、コメントを残すという行為でしょう。
youtubedではアカウント名が表示されてしまうので、コメントしたくないという人が多いと思いますが、それは「自分は注意はしたくない」という気持ちに似ているかもしれません。
自分から注意はしたくないけどイライラする。だから舌打ちするように、低評価を押す。隣の車輌に移ればいいじゃないですか。
もう一つ、忘れてはいけないと思うのは「ヘッドホンから大音量が漏れていること」は、マナーが悪いし、迷惑をする人がいるかもしれないけれど、違法ではないということです。
違法動画に対して通報するのと、低評価を押す行為は全くべつものです。正義をふりかざして、度が過ぎる人は、このあたりを混同しているように思います。
そもそも、動画とか商品に、レビューや評価ボタンがついたのはいつだったからでしょうか?
覚えてませんが、初めの頃はそういった機能はなかったと思います。
参考になるようにと、便利さのために付与された機能に、いつのまにか、みんなが振り回されるようになってしまっているようにも思います。
この世界では、いろんな人が生きています。
価値観も、考え方も、文化も違う人たちが無数に生きています。
合わないからといって排除することはできません(度が過ぎれば違法で、自分が排除されるのです)。
このサイトでは、主に物語論を記事にしていますが、これが絶対的に正しいなど思っていません。
僕にとっては正しいと思っています。だから、書くのです。これは僕の自由です。
だからといって、他人に押しつけるつもりはありません。
読みたい人がいれば読めばいいし、共感してイベントなどに参加してくれる人がいると嬉しいです。
反対意見は大歓迎です。低評価なんか付けてるんだったら、きちんと文句を言ってくれればいいのにと思います。
話してみれば、お互い、勘違いに気付いたり、新しい発見もあるかもしれません。
合わなければ「合いませんね」という事実を確認するだけです。
他人同士ですから、そういうこともあります。もちろん勝ち負けなんかでもない。
どちらかが意見を変える必要もない。ただ自分と意見の違う人がいるという事実を再確認するだけです。
ネットでは匿名を保持する便利な機能が増えた反動で、当たり前に人と会話をすることのハードルが上がってしまったように思います。
インターネットは全世界と繋がっているといっても、勇気と責任をもって言葉を扱えないと、誰とも繋がれないのかもしれません。
同じ電車に乗っていても、みんな無言で、自分のスマホを見ている。顔を上げれば、すぐ隣に友達になれる人がいるかもしれないのに。
緋片イルカ 2021/12/14
学生時代、イヤホンで音楽を聴きながら電車に乗っていたら隣に座っていた外国籍の男性にアナタ、イヤホンノ音ウルサイヨ!!とめちゃくちゃ怒られたことを思い出しました。
それはともかく正義感ゆえの行き過ぎた批判は……たぶん一種の快楽かもと思います。
わたしも気をつけます( ⚯̫ )