※漢字の答えは広告の下にあります。小説内にお題の漢字が出てくるので、よかったら推測しながらお読み下さい。
「今日は何時に帰りますか?」
妻からのLINEを既読したときは、車でホテルに向かっているところだった。助手席には女が乗っていた。初めて会った女だ。
「やっぱり、やめますか?」
スマホを見てから浮かない顔をしている、と彼女はつけ足した。鋭い女だ。
「ああ、いや、たいしたメッセージじゃないんだ……」
妻とは日常的に連絡をしている。帰りの時間を聞かれることも珍しいことではなかった。
ただ、身内特有のタイミングというのがある。
帰宅時間を尋ねてくるのは夕食の前であったり、0時近くになって眠くなってきて待つか、先に寝るか迷っているときであったりで、今、このタイミングで聞かれるのはなんとなく違和感があった。
22時を過ぎている。夕食ではないし、眠るにはまだ早い。
「まだわからないが、何かあったのか?」
既読がつかず、何度もスマホを確認していたので助手席の女が気にしたのだった。
「やっぱり、今日はやめませんか?」
車をホテルに停めると女が言った。
「今日あったばかりですし……んん、まあ、それは、いいんですけど。実は、なんか来ちゃいそうなんですよね」
と、女はみぞおちの辺りをさすった。
「わかった」
安堵している自分がいた。俺は妻に罪悪感でも感じているのか。まさか、今さら。ありえない。
駅前で女を降ろして改札を抜けていくのを見送った。妻の既読はまだついていなかった。
二ヶ月ほど前、偕老同穴の契りを結んだ妻が浮気した。
子ども達さえ心配させなければ、俺にとってはどうでもいいことであったが、妻の方ではずいぶんと気にしているらしく、同衾することがなくなった。以前は、毎日のように妻から求めてきたいたのだが。
家に帰るとリビングは真っ暗だった。暖房がついていないので空気も冷たい。
「あ、パパ、おかえり」
風呂上がりの娘だった。冷蔵庫へ行ってお茶を飲んでいる。
「ママ? なんか、今日は疲れたから寝るって」
流し台には食べたままの食器が残っている。
「風邪でもひいたのか?」
「なんか元気なかったかも。疲れたんじゃない? パパの奥さんでいるのに」
冗談めかして言う娘に鼻で笑って、寝室へとむかう。
ベッドには妻のふくらみがあった。こちらに背を向けてぐっすり眠っていて微動だにしない。息すらしてないかのようだった。
俺は妻の肩に手を置いて、静かに名前を呼んだ。
ぴくりと体を震わせて、妻は振り返った。
「あ、おかえりなさい」
「ただいま」
メッセージに既読がつかなかったことを責めると、眠ってしまっていたと言って慌てて確認して詫びた。
「まったく……心配させるな」
「すみません」
「風呂に入る」
妻のベッドから立ちあがると、背中のあたりで上着が何かにひっかかった。見ると妻がつかんでいた。
「どうした?」
裾を引っ張る妻の手が強くなる。俺は察した。
「さみしかったんです……」
事を終えると、汗ばんだ裸体を密着させてきた。
俺は首の下に手を潜り込ませて、抱き寄せてやった。
床に置きっぱなしのバッグの中でスマホが鳴った。さっきの女からだろう。
あとで返そう、と思いながら妻にキスをした。背中に当てていた掌を、触れ馴れた腰へと這わせていくと、突然、気がつく。
俺が一番多く抱いている女はこの女なのだと。
今日の漢字:「同衾」(どうきん)
「衾」は「ふすま」とも読みます。和室の仕切りにつかう「襖」(ふすま)とは違って、掛け布団のことです。なので、同衾というのは「衾を同じにする」=同じ布団で寝るという意味です。ほとんどが男女が寝ることの婉曲表現として使われるそうですが、『我が輩は猫である』は猫が子供と寝るという文章で使われています。
(緋片イルカ2018/12/2)