彼を一目(ひとめ)見た瞬間、彼と付き合うことはわかった。
入学式の時だった。
私は教室の場所が分からなくて、キョロキョロしていた。
嫌な汗が背中に滲んでいるのがわかった。
キョロキョロしている自分が恥ずかしくて余計に汗が出た。
「ねえ、何組?」
そんな時に声をかけてくれたのがコバヤシ君だった。
「1組。」
「じゃあ、一緒だ。俺コバヤシ。よろしく。」
「よ、よろしく。」
それが彼との出会いだった。
コバヤシ君…ではなく、コバヤシ君の隣にいたのが彼だった。
彼は小さく頭を下げたが名前も言わず目を逸らした。顔がさくら色に染まっていた。
「どこの中学? 同中いないの? 中学の時、何部だった?」
コバヤシ君は立て続けにわたしに質問をして、わたしは彼の名前を聞きそびれてしまった。
入学式の後のホームルームで名前を呼ばれるのを聞いて、彼の名前がナガシマコウスケであると知った。
入学式から一週間した放課後。そろそろ、どこか仮入部でもしようかな、と思っていたところだった。
「中学のとき、バスケ部って言ってたよね?」
コバヤシ君が聞いてきた。
「そうだけど。」
「また入るの?」
「まだ決めてない。バスケは好きだけど、かけてる訳じゃないし。先輩とかいい人いれば、そこにするかも。」
「そうなの? 俺、今からバスケ部行くんだけど、女バスも隣りだから、一緒に行かない?」
その時、ナガシマコウスケがやってきてコバヤシ君に言った。
「先、行くぞ。」
コバヤシ君は追いかけるように教室を出て行った。
わたしは次の日、女子バスケ部の見学に行って、先輩が悪い人ではなかったので入部した。
それは失敗だったのだろうか?
わたしは、女子バスケ部に3年間を捧げることになった。
ナガシマコウスケは男子バスケ部に入ったが、3ヶ月で先輩とケンカして退部した。それきりどこにも入らなかった。
代わりに男子バスケ部に残ったコバヤシ君とは、仲良くなった。電車が同じ方向だったので、帰りが一緒になるとよく話した。わたしを待っていたのかな、と思うときもあったがそれは自惚れすぎかもしれない。
ナガシマコウスケもコバヤシ君とも3年間同じクラスだったが、ナガジマコウスケとはコバヤシ君と100分の1くらいしか話したことがなかった。一つだけ、よく覚えている会話があった。
しばらくして、練習試合で行った私立の学校の男の子に告白されて付き合うことになった。特に断る理由がなかったからだ。
わたしは恋人が出来たことを誰にも言わなかった。隠すことではないが、誰かに報告することでもないと思っていた。
夏休みの部活合宿の夜に、そういう話になったので、恋人がいることを告白した。
合宿中には男子バスケ部に伝わっていてコバヤシ君が、確かめにきた。
「本当か?」と聞かれたので「本当だよ。」と答えた。
2学期の始業式の日、ナガシマコウスケがわたしの席にやってきて、突然聞いた。
「どうして付き合ったの?」
「どうして…? 告白されたから、かな?」
「告白されれば誰とでも付き合うのかよ?」
「そんなことないけど。断る理由もなかったし。」
「何だよそれ?」
ナガシマコウスケが感情を表に出すのを見たのは、3年間でそれが最初で最後だった。
私立の彼とは夏休み中に一回プールへ遊びに行ったが、それ以外はどこへも行かなかった。彼は進学校だったので勉強が忙しくて、わたしもわたしで何となく始めたバイトが忙しくなって、会う時間がなかったのだ。メールだけは続けていたが、それも途切れ途切れになって、やがて来なくなった。
バイト先で2つ上の大学生に告白されたが、その人とは付き合わなかった。私立の彼との関係もはっきりしなかったし、断る理由はなかったけど付き合う理由もなかったから、付き合わないことにした。しばらくして、その大学生を待つ女性が現れた。彼女は、大学生が終わる10分前には必ずやってきて、彼が着替えるのを、手をこすりあわせながら外で待っていた。
わたしは彼女を見て、やっぱり付き合わなくてよかったんだ、とほっとした。わたしが大学生と付き合っていたら彼女を悲しませていたかもしれないし、わたしは彼女ほどその大学生を好きになることはできなかったからだ。
卒業式になって、ようやくナガシマコウスケはわたしを呼び出した。大人の顔になったナガシマコウスケは、何度も練習したスピーチみたいに淀みなく告白した。
「今さらって感じだけど、一応伝えるだけ伝えときたかったから…。」
「それだけ? 付き合おうとかないの?」
「でも、好きでもないのに付き合ってくれてもうれしくないし。」
「あるよ。付き合う理由。」
「え?」
「待ってたんだから。入学式の日から。」
わたしの頬がさくら色に染まった。
わたしとナガシマコウスケが付き合うことになったら、コバヤシ君は泣いて喜んでくれた。
(「さくらの予感」おわり)