Win-Winという言葉について

Win-Winという言葉が、僕は苦手です。

誰が言い出したのかは知りません。おそらくビジネス関係から出てきている言葉なのだろうと推測しています。

ビジネス関係の用語は、利益追求を善とする資本主義を前提としています。

経済学者などが、最初に使用した意味では、そうでなかったとしても、理論だけが簡易的に流用されて、用語だけが一人歩きして、軽薄なビジネスマンが多用するようになって、広まるせいかもしれません。

Winの対義語がloseであると考えるなら、Win-Winという言葉は不自然です。

draw(引分け)ではなく、両者とも勝つというのは、論理的に矛盾しているようです。

Win=儲かるという意味でしょうか。

たとえば、土地を持て余している企業と、お店を開きたくて土地を探している企業が出会えば、土地の賃貸契約を結ぶでしょう。

お互いの利害は一致していますが、借りる側が一方的に支払うので、Win-Winにはならないでしょう。

しかし、土地代を払う変わりに、その土地で売り上げた利益の一部を支払うという形であれば、売上げが両企業の儲けになり、Win-Winとなるでしょう。

もちろん、金額とか法律の問題などは無視した仮定でしかありません。

問題なのは、この二つの企業は誰に勝っているのか?ということです。

この企業が成功することで、近くで経営していた同業種の店が潰れてしまうかもしれません。

それは資本主義という競争社会では仕方のないことです。

いや。

本当にそうでしょうか?

「本当にそうなのか?」という疑問を持つことさえ、弱者の思考のように扱う態度が、資本主義社会にはあるように思います。

勝つこと、儲けることが「善」という前提のもと経済成長を突き進んできた結果が、物質的には豊かになっても、心の豊かさを失ってしまった現代社会の姿ではないでしょうか。

経済活動ではなく、思いやりという観点では、Win-Winは成立するでしょうか?

たとえば、自分の庭の木に大量の柿がなったとします。自分の家だけでは食べきれず、そのままにしておいてもカラスに食べられてしまうだけだから、誰かにあげたいと思っている。

そこで近所の人にお裾分けする。たまたま、通りかかった人に譲る。

あげた方も、もらった方も喜ぶ。Win-Winでしょうか?

けれど、柿を食べられなかったカラスはエサを失って(lose)います。

カラスなんて、と思う人もいるかもしれませんが、エサを得られなかったカラスが、ゴミ箱を漁るようになったらどうでしょう?

知らず知らずうのうちに、どこかで新たな被害を受ける人が出てくるのではないでしょうか?

勝者の背後には、必ず敗者がいる。

そんなことは、ある程度、年をとれば誰にでもわかります。

相手を敗者にしないためには、自らが敗者になるしかないのでしょうか。

経済活動でいえばボランティアです。だからボランティアは高尚にみえるのでしょう。

フェアトレードのコーヒーやチョコを買うように、もっと安いものがあるのを知った上で、損を選んでいくこともできるでしょう。

一部の人が、そういった行動をとることは、けっして無意味ではありません。

それは、燃えさかる大きな炎に、スプーン一杯の水をかけるような微々たるものかもしれません。

けれど、スプーン一杯の水でも多くの人がかければ、炎を消す力になるでしょう。

周りの人に協力しようと思わせるためにも、誰かがスプーンを手にとらなくてはいけないのかもしれません。

話がずいぶん逸れてしまいましたが、Win-Winという言葉には、視野の狭い思い込みや、敗者や弱者を無視した冷酷な響きを感じて、僕は好きでないのだと思います。

緋片イルカ 2021/12/30

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