次回の読書会より、分析だけでなくて創作の要素をとりいれていくことにしました。
「作品合評会」と称して参加者から作品の応募を募り、講評したりしてしていきます。それに伴い、書いてみたいけど、どう書いたらわからないという方へ向けたヒントを書いていきます。(第一回はこちら)
説明文
前回は改行について考えましたが、その中で脚本の「ト書き」について触れました。
今回は小説における「地の文」とシーンの違いを考えてみます。
たとえば小説では、こんな書き出しが可能です。
東京の下町と山の手の境い目といったような、ひどく坂や崖の多い街がある。
表通りの繁華から折れ曲って来たものには、別天地の感じを与える。
つまり表通りや新道路の繁華な刺戟に疲れた人々が、時々、刺戟を外ずして気分を転換する為めに紛れ込むようなちょっとした街筋――
福ずしの店のあるところは、この町でも一ばん低まったところで、二階建の銅張りの店構えは、三四年前表だけを造作したもので、裏の方は崖に支えられている柱の足を根つぎして古い住宅のままを使っている。
(岡本かの子『鮨』)
舞台となる鮨屋の雰囲気から始まりますが、これを映像でやるにはモノローグが必要になります。
モノローグなしに映像だけ見せても「刺激に疲れた人々が」「気分を転換する為め」といったニュアンスは消えてしまいます。
NHKの「テレビ小説」であれば小粋な役者のナレーションで雰囲気を伝えていけますが、モノローグばかりの映像は紙芝居的になってしまいます。
こういった文章は、地の文の中でも「説明文」といえます。
描写文
脚本は「セリフ」と「ト書き」しかないので、すべてがシーンから成り立っています。
小説でいうシーンは以下のようなものです。同じ作品から引用します。
ともよの父親である鮨屋の亭主は、ときには仕事場から土間へ降りて来て、黒みがかった押鮨を盛った皿を常連のまん中のテーブルに置く。
「何だ、何だ」
好奇の顔が四方から覗き込む。
「まあ、やってご覧、あたしの寝酒の肴さ」
亭主は客に友達のような口をきく。
「こはだにしちゃ味が濃いし――」
ひとつ撮んだのがいう。
「鯵かしらん」
すると、畳敷の方の柱の根に横坐りにして見ていた内儀さん――ともよの母親――が、は は は は と太り肉を揺って「みんなおとッつあんに一ぱい喰った」と笑った。
それは塩さんまを使った押鮨で、おからを使って程よく塩と脂を抜いて、押鮨にしたのであった。
「おとっさん狡いぜ、ひとりでこっそりこんな旨いものを拵えて食うなんて――」
「へえ、さんまも、こうして食うとまるで違うね」
客たちのこんな話が一しきりがやがや渦まく。
「なにしろあたしたちは、銭のかかる贅沢はできないからね」
「おとっさん、なぜこれを、店に出さないんだ」
「冗談いっちゃ、いけない、これを出した日にゃ、他の鮨が蹴押されて売れなくなっちまわ。第一、さんまじゃ、いくらも値段がとれないからね」
「おとッつあん、なかなか商売を知っている」
(岡本かの子『鮨』)
この文章は、そのまま脚本にして映像にできます。
こういった文章はシーンといえ、地の文でも「描写文」と呼べそうです。
語り文
すべてを「描写文」にした小説は可能です。映像脚本がそうだからです。
しかし、映像が苦手とする「内面」や「背景」が書きにくいといった欠点もあります。
一方、すべてが「説明文」という小説は単調です。
セリフのない小説を想像してみてください。
実際、それに近い、読みづらい小説を目にすることもありますが、
「ある人物がいて、その人はこうだった」と説明されても、あらすじを聞かされているような物足りなさがあります。
読者は理屈や思考ではなく、五感や雰囲気といった感覚を通して、人物や物語を感じたいものです。
そのためには「描写文」で物語の世界へ引き込むことが大切です。感動の種もそこにあります。
ただし「説明文」も必要です。説明してしまった方が早いときもあります。
ならば、「うまく説明」すればいいのです。
上にあげた『鮨』の描写文は、実はまだ鮨屋の説明(セットアップ)の一部です。物語の本題(メインストーリー)には入っていません。主人公や鮨屋の説明が単調にならないように、また雰囲気が伝わるように「描写文」を挟み込んで説明しているのです。
書き慣れた作家は、このように「うまく説明」します。ちょうど説明文と描写文の混じった「語り文」とでもいうような文章で、説明を説明と感じさせないのです。
「さすが、うまいなあ~」と思う例を引いてみます。ある小説の冒頭です。
「こわいのか?……え、そんなにこわいのか、女房どのがよ」
ずばり、金子辰之助に指摘をされると、さすが「その通り」だともいえず、三浦源太郎も騎虎のいきおいというやつで、
「なあに……」
と、胸を張り、
「行く。行くとも」
きっぱり、こたえたものである。
「よろしい。それでこそ男だよ。おい」
辰之助はふとい鼻をうごめかし、毛むくじゃらのたくましい腕を突き出し、がっしりとした体軀をゆさぶるようにして、
「さ、出かけよう」
立ちあがった。
よく晴れわたった晩春の昼さがりであったが、この湯島横町にある[千草屋]という茶漬やは大繁盛で、入れこみの大座敷には客がいっぱいである。
温飯に季節の魚菜をそえた[五色茶づけ]というのが此店の名物だ。
源太郎は、辰之助に肩を押されるようにして、奥の小座敷から庭づたいに外へ出た。
物語が描写文から始まるので、すぐに引き込まれます。
どこに行くのか(想像はつくものも)はっきりしないため、謎が残って、興味を惹かれます。
「女房が怖いのか?」と煽る辰之助と、「行く。行くとも」と虚勢を張る源太郎という、キャラクターも対比で伝わります。
(※個人的には「立ち上がった。」の一行が抜群だと思います。我々素人は、つい「源太郎は」と主語をつけてしまうところですがバサっと「立ち上がった。」でいいのです)
このつづきを引用します。以下は、説明文です。
下谷・二長町の屋敷がとなり合せで、幼年のころからの仲のよい友だちの二人なのだが、気質もちがえば体質もちがう。
神田・相生町に一刀流の道場をかまえる井狩又蔵の門下で、剣術のほうでは相当な腕前の辰之助はいかにもそれらしい風貌の所有者だが、源太郎のほうは長身ながら、腰に横たえた大小の刀の足がふらつきかねぬたよりなさで、
「親しゅうがねがっている間柄ゆえ、はきと申しあぐるが、このお子は、よほどに気をつけなさらぬと二十までは保ちますまい」
と、源太郎の実父・長島左内の友人で、表御番医師をつとめる吉田九淵が、源太郎が生れて間もなく、両親にもらしたこともあるそうな。
そのことばのとおり、幼年から少年時代にかけて、年中、病気ばかりしていた源太郎だが、十七の夏の大病の後は、すっかり病みぬいてしまったのか、めきめきと丈夫になり、その素直な人柄を見こまれ、
「ぜひ、むすめの婿に……」
と、江戸城・本丸留守居番をつとめる五百五十石のの旗本・三浦忠右衛門の養子に入ったのが、今年の正月であった。
その三浦家の長女・満寿子、年齢は二十歳。武家のむすめとしての教養百般に通じているという。
これが何かの折に、路上で源太郎を見かけ、その美男ぶりに、
「永島様の御次男なれば、よろこんでわたくしの夫に……」
父の忠右衛門にいったとかいわぬとか……ともあれ源太郎は、養子縁組に申しぶんのない三浦家へ入ったということになる。
なにぶん、武家の次三男は養子口がなければ父や兄の世話になったまま、肩身のせまいおもいをしながら一生を送るより仕方がないのだから、実家の父も兄の主馬も大よろこびだったし、むろん、源太郎自身もほっとするおもいであったのだ。
「いや、めでたい。めでたいにはちがいないが、あの三浦のむすめの面はまずいよ、おい。そのことだけは覚悟しておけ」
いつか金子辰之助が源太郎にいったことがある。なるほど美女ではない。どこかこう、ずんぐりした小柄な体つきだし、小さな両眼が妙に白く光る、いくらか三白眼の、やぶにらみじみた人相で、鼻の穴が正面からはっきり見える。それにしても二十歳の肌のかがやきは、彼女の顔貌をさほどみにくいものと源太郎に感じさせなかった。
自分と同じ次男坊に生れた辰之助が、
(私をうらやんでいるのだろう)
彼のにくまれ口にも、源太郎は寛大な微笑をもってこたえたのみである。
ところが……。
いざ満寿子と夫婦のちぎりをかわし、三浦家の人になってみると……。
さあ、いけない。
俗にいう「処女の生ぐささ」というやつで、一月もすると源太郎、げんなりとしてきた。
これまで源太郎は、まったく女の肌身を知らなかったわけではない。
そこはそれ、金子辰之助のような幼な友だちがついていたことだから、彼の案内で数度、岡場所へ足をふみ入れたこともある。
むろん、新妻の満寿子は処女であったけれども、新婚の日々が経過するにつれ、次第にどのような味わいをおぼえこんだものか、すこぶる大胆な所作をするようになった。大きな鼻の穴を層倍にふくらませて鼻息も荒々しく、不躾に身もだえする態が露骨をきわめはじめ、
(ああ……岡場所の女たちのほうが、ずっと、つつましやかだし、色気もある。こ、これが……これが五百石の旗本のむすめなのか……)
と、源太郎は興ざめがしてきはじめた。
それでいて、日中の満寿子は、夜の狂態など、どこのだれがするのか、といった顔つきでつんと見識高くすましこんでい、なにかにつけて、源太郎を養子あつかいにするのだ。父母はもとより、奉公人や来客にいたるまで、満寿子はおのが教養の高さをこれみよがしにただよわせ、気取りきっている。
さらに、である。
一心流の薙刀の名手だとかで、この新妻の膂力の強いことは大したものだ。
夜のひめごとの最中、真剣に相手をつとめている夫の源太郎の背中へ、満寿子がむっちりした両腕をまわし、いきなり、
「うむ!」
妙な声を発してしめつけると、恐ろしい痛みが走って、
「あっ……」
源太郎、おもわず悲鳴をあげてしまう。
夫の、その悲鳴がおもしろいのか、
「うふ、ふふ……」
新妻は、気味のわるいふくみ笑いをもらし、
「いかが、いかが?」
尚も、強くしめつけるのだ。
「これ……よさぬか。やめて下さい」
「うふ。ふふ……いかが?」
「痛い。あ……あっ、痛い……」
「うふ、ふふふ」
腕のちからをゆるめたかとおもうと、今度はもう火焔のような鼻息を夫の顔へ押しつけ、強烈な愛撫を要求するのであった。
(ば、ばかにするな、おのれ……)
あきれ果てて男のちからも萎え、満寿子の体からはなれてしまうと、さあ承知をしない。手をねじられたり、尻をつねられたり、さんざんにいためつけられ、二十六歳の源太郎が翌朝、体の痛みに耐えかねて床から起き上れないことがあったほどだ。
養父の三浦忠右衛門は、まだ退役前であるから、御城へ出て行くけれども、源太郎は一日中、屋敷にいて、この新妻の相手をしなくてはならない。
薙刀の相手をつとめさせられたこともある。
源太郎の剣術のなぞというものは、まるで無きにひとしい、というわけだから、これまたさんざんに叩きのめされる。
かといって、これを実家の父母や兄にうったえるわけにもゆかぬ。みっともなくて、だれにはなしもできぬ。そうなれば、源太郎のこぼしばなしをきいてくれるのは、金子辰之助のみといってよい。
すべてをきいて辰之助は大笑いをした。
「おれならなあ。おれなら、満寿子どのを見事、屈服せしめてくれようが……ふむ、そうか。そんなに源太。夜になるとすさまじいのか?」
剣術も好きだが色事も大好きという辰之助は、異常な興味をそそられたらしく、夜の閨房のありさまを執拗に問いかけてやまない。
「ふむ、ふむ、なるほど。しかし、おれならなあ、おれなら……」
であった。
それほどに自信があるのなら、いっそ辰之助に代ってもらいたい。自分は部屋住みの身で、ひっそりと実家の厄介者で一生を送ってもいいのだが……と、つくづくそうおもうのだが、いったん、養子に入った身が自分の一存で勝手なまねはゆるされぬ。そこは現代より百何十年も前の封建の世であるから、実家・養家の恥さらしになることは何としてもつつしまねばならない。
「それほどのことは我慢しろ。五百石の家の主になれる身ではないか」
と、辰之助はうらやましげにいう。
「それはそうだがなあ……」
「いっそ、満寿子どのの縁談が、おれのところへ来ればよかったのに、な」
「ああした女を妻にしたいのか、辰之助さんは……」
「おもしろいではないか。夜のその、すさまじいところなど、大いに気に入った」
「そうかなあ……」
五色茶づけの[千草屋]で酒をのむうち、
「たまには息ぬきもしろ」
と、辰之助がすすめ、
「近ごろな、ちょいと、おもしろい遊所を見つけた。どうだ?」
「うむ」
わるくないと思った。毎夜の満寿子ではたまったものではない。そっと浮気をしてやるのも、いえば猛妻への復讐というわけであった。
「夜は出られぬぞ」
「むろん、昼間さ」
そこで、五日後の京都なったわけである。
ついつい、長々と引用してしまいました。
歴史物が苦手な人は「表御番医師」「岡場所」といった言葉にひっかかるかもしれませんが、ぐんぐんと読み進めてしまったのではないでしょうか?
説明をしながらも「」や()を入れてリズムをつけていたり、
「ところが……。」といった改行のタイミングは絶妙な語り口ではないでしょうか?
この小説は、前回の改行の記事でも紹介した池波正太郎の短篇です。ちなみに池波正太郎は小説を書く前に劇作家をしていました。
ここまで原稿用紙10ページ分で、「一」と書かれた章が終わります。
たった10頁ともいえるし、あっさりと10頁読ませてしまうともいえるような文章です。
この後、源太郎がどうなるのか、つづきが気になりませんか?
こんな文章が書ければ、本が売れるのは間違いないでしょう。
閃いたら、勢いで書こう!
何かひらめいくものがあったら、考えすぎずに書いてみることをオススメします。
どこかで見たことあるようなアイデアでも恐れる必要はありません。
作品には必ず、作者の視点が入るので、同じアイデアでも全く同じになることはありません。恐れずに書きましょう。
一番、大切なことは書き上げることです。
書き上げなければ、誰かに見せることもできません。
すてきな作品ができましたら、ぜひ「作品合評会」にご参加ください。お待ちしております。
緋片イルカ 2020/08/01