2115
●2115:年配の夫婦でしょうか。散歩の途中にタンポポの綿毛を見つけて、交互に吹く。それだけの物語にも見えます。ふつうすぎて「これのどこが面白いの?」思ってしまう方もいるかもしれません。そんな方には、こう問いかけてみたいと思います。「タンポポは何の比喩でしょう?」 「私」は「茎を折ってはいけない」と吹くがびくともしない。今度は、夫が代わりに吹くも「揺らんゆらんと揺れるだけ」(漢字とひらがなの組合せも面白い)。「酸欠になりながら」も散歩は続きます。「現状の位置」という表現は硬くて、タンポポには不釣り合いに感じます。これは、作者自身の日常言葉が出たのか、あるいは比喩を踏まえての表現なのか。作者がどこまで意識しているかは判別できません。もしも、作者が「比喩なんて込めていない」と言ったとしても、そういう読み方ができてしまうことに作品の価値があります。作者が無意識でなにかを捉えていて、それが作品ににじみ出ることも多々あるのです(※文章技術的には視点や描写とも関連しますが)。このタンポポをどう読むかは、読者の自由ですが、僕は綿毛は種子だという視点から楽しませていただきました。
2116
●2116:上の2115の作品は、感情描写がないことによって想像の幅がある作品ですが、こちらは正反対でより主観的な感情に注目した作品だと思います。「大事な人に、大事だと言われた」その瞬間の気持ちを、たたみかけるような文章で表現しています。言われた瞬間、「ただそれを受け取って、それ以外聴こえていなかった」。その気持ちが結晶化したのか、初めて感じる「強く、綺麗なもの」になった。結婚指輪にはダイヤモンドが用いられますが、そんな宝石のようなに感じられたのかもしれません。このブロックに限らず、応募作品には、感情描写に専念した作品がいくつかありましたが、説明的、理屈的になると、メッセージや思想のように聞こえてしまいます。作者にとって強い思いが込められていても、残念ながら、読者には一般論に聞こえてしまうのです。「すごい、すごい」と叫んでいるだけでは、すごさは伝わらないのです。この作品でも一般的な言い回しが残っていて、やや拙さも感じないでもないですが、前半の「心が動いた。僕の全部が動いたのを感じた。」といった表現など、この作者の中から吐き出された言葉だという感じがして、とても好感をもてました。