※この記事は結末までのネタバレ含みます。
あまりにもむごい戦争の厳粛な史実が存在していた
旧ソ連でドイツ軍による集団虐殺を体験した少年
衝撃鮮烈かつ陰惨な戦闘・虐殺シーンで知られるロシアンカルトフィルムの1本。モスクワの西、白ロシア(現ベラルーシ共和国)地域は、
第2次世界大戦中ドイツ軍にいちばんひどい目にあい、628の村が虐殺の犠牲になった。
当時、地下組織に加わっていた主人公の少年が村に戻ってくると死体の山だった。
つぎの村では筆舌に尽くしがたい苦難を体験した。
ドイツ兵は女子供を大きな納屋に詰めこみ、火をつけたのである。
事件を目の当たりにし脱出した少年の顔には老人のような深いしわが刻み込まれていた…。(Amazon商品解説)
一個人の感想:
視聴メモなので、感想のみ書くつもりだったのですがが、補足情報を書きます。次回の読書会でとりあげる『戦争は女の顔をしていない』の前書きに以下のようにあります。
あるとき偶然に「わたしは炎の村から来た」というA・アダモーヴィチとYa・ブルィリャとV・コレスニクの共著の本をわたしは手にした。これほどのショックをうけたのはドストエフスキイを読んだとき以来だった。これまでにない形があった。人間が生きている現実そのものの声が集まって作品になっている。わたしが子供の頃に聴いたこと、街で、家の中で、カフェで、トロリーバスで、耳にしているその声が集まって。そうだ! 分かった! わたしが探していたものを見つけた。そういう予感があった。
とあります。「わたしは炎の村から来た」(未訳)はベラルーシのハティニ虐殺を題材にした本で、作者のA・アダモーヴィチは同じモチーフで『ハティニ物語』(未訳)という小説を書いたそうです。そのアダモーヴィチと監督のエレム・クリモフが脚本を書いたのが、この映画です。
タイトルは「ヒトラーを殺せ」が却下され、聖書の一節から「来て、見よ」となったそうですが、邦題の『炎628』の628という数字は、当時、焼かれた村の数だそうです。パッケージの、ドイツ兵に頭を掴まれ銃を向けられている少年が主人公です。
この記事を読んで、見ようと思う人はいないと思いますが、途中、実際のものと思われる悲惨な戦争映像が入りますので、苦手な人は注意です。配信はないのでDVDしかありません(見たければ貸します)。
映像が残酷というよりも、展開が残酷です。
主人公の少年の家族は隣人まで皆殺しにされ、別の村では村人を教会に閉じ込めて火が放たれます。ドイツ兵たちは、その様子を楽しげに写真撮影したり、楽しんでいますが、直後に立場が逆転します。
パルチザンによって捉えられたドイツ兵たちは、命乞いをしたり、最後まで罵声を吐く者もいたり。戦争の生々しさが描写されています。
この映画を含めて「衝撃的な」といったキャッチコピーがフィクション映画につくことは、よくありますが、途中で挿入される実際の映像にはフィクションは敵いません。
残酷さとか、衝撃性のために映画を見るのは間違いだと、僕は思います。
映画自体は、アクト2が「少年が食料捜しに出る」展開で、けっこう疲れます。
BGMや、嘆き叫ぶ描写などもくどくて、うんざりしてくるところが多くあります。その嫌悪感を観客に抱かせるために長くしているなら、そうなのかもしれませんが。
そんな中で、映画として、一番、興味を引かれたシーンは、少年がヒトラーの肖像画を見つけて撃つシーンです。
一発撃つごとに、フラッシュで、実際のヒトラーの映像が逆回しで流れます。
そして、最後には赤ん坊のヒトラーが母親に抱かれている写真になり、少年は撃てず、涙を流します。
これは物語としての解釈でいえば、ヒトラーへの理解や許しのように見えます。
それまで、ドイツ人とパルチザンが罵り合って、殺し合う様を見せた後でのシーンです。
戦争の本質はヒトラーではない、ヒトラーだって一人の赤ん坊だった、と表現しているように見えます。
シーンとしては、少年はまたパルチザンへ戻っていきますが、それは、1985年の映画ゆえの限界だったのかもしれないと思います。
1985年は、ゴルバチョフがペレストロイカを行った年ですが、かなり規制があったそうです。
アメリカの映画で、ヒトラーへの理解を示すようなシーンは僕は見たことありません(誰か知っていれば教えてください)。
タイトルを「ヒトラーを殺せ」にしようとしていたことを踏まえるなら、主人公の少年が撃てないことは「ヒトラーを殺せなかった」ようにも解釈できます。
戦争の本質は、敵国でも、その指導者でもない。そんな本質を捉えようとした映画に思えました。
緋片イルカ 2021/10/17