書籍『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』(読書メモ)

『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』

※あらすじはリンク先でご覧下さい。

感想:
脚本のテクニックというタイプの本ではなく「物語とは何か?」に対する本です。作家は読者をただ「楽しませる」というテクニックと同時に「誰に、何を、どのように」投げかけるのかという哲学やポリシーのようなものが必要なのではないかと僕は考えます。物語は、人間個人においても、人類にとっても必要不可欠なものです。たとえば「水」のようなインフラ整備の仕事を考えてみたとき、耐久性や便利さといった技術的に優れたものを作るというのは「ものづくり」の大前提でしょう。それは作家でいえば「楽しませる」テクニックです。しかし、アフリカの貧しい地域で高度な技術で井戸を掘ったところで管理、補修、点検をできる人間がいなければ、地域に価値あるものにはならないでしょう。そういったところまで考えてインフラを整備することは、物語でいえば哲学やポリシーにあたります。ときにはエンタメ性が弱く、一見すると面白くなかったり、難解に見える物語にも、とても文学的な価値があります。哲学のない作家は、ただ売上や人気だけに振り回される資本主義的な作家止まりです。この『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』という本は、多様な研究や事例を元に、物語に対する捉え方を深めてくれる一冊でした。2021年出版の本なので、情報が新しいことも今読む価値がある本だと思いました。

以下、気になる一文の引用
「ナラティブ・トランスポーテーションは、慎重な評価と議論なしに持続的な説得効果をもたらす心理状態である」。言い換えれば、優れたストーリーテラー主張の内容を精査し評価する脳のプロセスを巧みに回避する。理性の吟味を経ずに情報や信念(それも往々にしてきわめて強い)を植え付けることができるのだ。(p.51)

同性愛に理解ある態度の予測変数としては、性別、教育水準、年齢、さらには支持政党や所属する宗教よりも、同性愛の友人か家族と日常的に接しているかどうかのほうが優れている、という研究結果が出ている。しかも、これは私たちがフィクションの登場人物との間に形成する架空の人間関係についても言えるらしい。つまり、私たちはドラマ『フレンズ』の登場人物たちと、実生活上の友人であるかのように心を通わせている。その登場人物との間に形成する関係があまりに本物らしく思えるために、関係が終わると私たちは心に痛みを覚える。『フレンズ』が終了したとき、多くのファンが現実の友人関係が破綻したときのような一種の鬱状態に陥り、その影響は孤独な視聴者ほど大きかった。(p.55)

ストーリーテラーはあたかも現実のような錯覚を作り出さなければならない、と多くの作家が指摘してきた。しかもその錯覚は高度な加工を施したものであるとも彼らは指摘している。典型的な物語は現実の生活とは違う。それはアルフレッド・ヒッチコックの言う「つまらない部分を取り除いた」現実に似ている。言い換えれば、物語は感情に訴えない部分を取り除いた現実に似ている。(p.75)

「振り返り的省察(retrospective reflection)に関する最近の研究につながる。ストーリーテリングのプロセスの最終段階を心理学者はこのように名付けた。「振り返り的省察」とは、物語の消費者が本を閉じ、あるいは映画館から出て、物語の思想や情報を自分がもともと持っていた世界観に統合する瞬間を指す。その研究によれば、話が終わった後も私たちをストーリーランドから離さないだけの魅力と考えさせる余白があるとき、物語は最も説得力を持つ。(p.83)

感情を動かす物語を共有したいという私たちの衝動は「文化、性別、年齢層にかかわらず広範に立証されてきた。人が強烈な感情を経験するほど、あるいは感情を大きくかき乱されるほど、物語は社会で共有されやすく、また長期間にわたって繰り返し共有されやすい」(p.111)

偽情報が退屈な真実に勝つというこの力学は、思想とナラティブの市場ではより良質な情報が最終的に勝つという信念を覆す。実際には、悪質な情報でもよくできた物語になりさえすれば、良質な情報を揃えていても退屈な物語に勝つ傾向がある。(p.123)

私たちは生まれ持ったストーリーテリング心理の構造のせいで、(1)典型的なよくできた物語にならない、もしくは(2)よくできた物語にはなるが不適切なほうの感情、つまり不活性化する感情を喚起する物語全般に、うまく対処できないのではないだろうか。(p.133)

コミュニケーション学者のイェンス・ケルゴー=クリスチャンセンは『Graphing Jane Austen』の私たちの成果を一部参考にしながら、強力な敵役を造形するためのマニュアルを作っている。「進化心理学がインパクトのある悪者の基本的な青写真を提供する。悪者は利己的かつ搾取的で、加虐趣味がある。社会の助け合い精神に背いている」。クリエイティブ・ライティングのためのちょっとしたアドバイスとして彼はこう続ける。「敵役は超個人主義で弱い者いじめをする人物でなければならない。社会秩序をおびやかして主人公の義憤を煽り、主人公とその仲間が結束し、反撃して、最終的に自分たちの向社会的価値観を再確認するきっかけを与えなければならない」。(p.162)

歴史家のリン・ハントは著書『人間は創造する』(松浦義弘訳、岩波書店、2011年)で、1700年代後半のいわゆる人権革命――奴隷制、家父長制、司法手続きとしての拷問など、昔から人間が行なってきたことが突如として非難されるようになった――の大きな原動力となったのは、新しいストーリーテリングの形態、すなわち小説の登場だと主張している。劇場とは異なり、小説は読み手に人物の外面的な言葉や行動だけでなく内面の考えや感情にまで、じかに、透けて見えるかのように触れている錯覚を与えた。ハントによれば、小説は自分の家族や血族や国やジェンダーの外にいる人々に共感することを教え、それによって人類史においてもっとも重要な道徳革命のきっかけを作った。
 ハントの主張の主な根拠は、小雪の台頭と普遍的な人種という概念の誕生に相関関係があると思われることだ。しかも彼女の主張の信憑性はその後、共感を生み出す物語の効果に関する集中的な研究によっておおいに上がった。『アンクル・トムの小屋』のような物語には白人の読者に黒人への共感を高めさせるだけにとどまらない効果があることを複数の研究が示している。それらの研究は、共感は筋肉のようなもので、フィクションを消費することによって動かすほど強くなっていくと示唆している。よく知られている研究は、フィクションの消費の多さが共感力テストの高い得点と相関することを示した。もともと共感力の高い人がフィクションに惹かれやすい可能性を調整しても、この結果は成立するようだ。(p.173-174)

ナラティブは世界を理解するためにある。それを、世界を単純化することによって行う。すべてのナラティブは還元主義である。そして私たちはひとたび自分の存在に一貫性と秩序を与えてくれるナラティブを手にすると、無我夢中でそれを守る。自分の特別なナラティブを失うのは、いきなり重力がなくなって意味が宙に舞いどこかへ行ってしまうようなものだ。つまりナラティブを検証することにではなく、ナラティブを守ることに心のリソースを注ぎ込んでいる。(p.212)

緋片イルカ 2022.10.25

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