レイモンド・ムーディーの臨死体験の構成要素

「臨死体験」などというタイトルで驚かれた方がいらっしゃるかもしれませんが、スピリチュアルなことが話す訳ではないことを、はじめに断っておきます。今回の「臨死体験の構成要素」というものがモノミスとの類似点を指摘するために取り上げました。

【臨死体験の構成要素】
1 体験内容の表現不可能性
2 死の宣告を聞く
3 心の安らぎと静けさ
4 異様な騒音
5 暗いトンネル
6 体外離脱
7 他者との出会い
8 光との出会い
9 人生回顧
10 生と死の境界線の出会い
11 生還

これはレイモンド・ムーディーという方の『かいまみた死後の世界』(評論社)という本にあるそうですが、僕は立花隆さんの『死はこわくない (文春文庫)』という本で読んだので孫引きしました。立花隆さんについては説明するまでもないかとも思いますが、政治から科学まで幅広い分野で鋭い評論を書かれている方です。E・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』についても触れていました。

この構成要素は、臨死体験をした方の話から、共通の体験を抽象化してリストにしたものです。8「光との出会い」は神様や仏様に出会ったとか、10「生と死の境界線の出会い」というのは三途の川で死んだ祖母が「こっちへ来るな」と言ったというような体験です。日本では三途の川を見る人が多いのですが、国によって境界線になるものが異なるそうです。むしろ文化的な装いをはがして構造だけ見れば、どの国の人も似ているということの方が興味深いと思いますう。世界中の神話や民話から構造を抜き取ってモノミスが作られているのと似ています。

2「死の宣告を聞く」はビートシートで言えば「カタリスト」ですし、5「暗いトンネル」は「プロットポイント1」ですし、6「体外離脱」は非日常の状態、死への旅が始まったようにも見えます。7「他者との出会い」は旅先で出会う新たな仲間=「ピンチ1」ですし、「光との出会い」は「ミッドポイント」に相当します。実はビートの説明をした「プロットを考える」シリーズでは深く踏み込みませんでしたが、モノミスの「神格化」「究極の恵み」という要素はブッダの悟りのようなものであると書かれています。現実的な映画などではここま掘り下げる必要はないのですが、構成上はミッドポイントと一致するのです。
10「生と死の境界線の出会い」は、こちらの世界へと戻ってくるというのはイザナキが黄泉の国から戻ってくるくだりを連想させます。これらの「臨死体験」の構成要素は、モノミスの「旅をして帰ってくる」構造そのままなのです。臨死体験をした後には人生観が変わる方も多いそうですが、それも旅を経て変わる「主人公」そのものです。

なぜ、これほど似てるのか?という疑問には一つ簡単な解釈があります。
人間は夢や臨死体験など、言語化の難しい感覚を話そうとすると知っている言語に置き換えるのです。たとえば、小さな子供が「グレープフルーツ」という言葉を知らなければ説明するときに「丸いレモン」とか「黄色いみかん」と呼びます。「死」は生きている人間は誰一人として、経験したことないので、それを説明する言葉がないのです。それでも伝えようと「こんなかんじ」「あんなかんじ」と話しているうちに無意識に納得しやすいストーリーの形になっていく。これは民話が語り継がれるうちに、聞き手が納得する形に洗練されていく働きと同じです。だから、モノミスと似ているのは当然と言えば、当然なのです。

映画『ラブリーボーン [DVD]』では死後の主人公が描かれていますが、こういった臨死体験者の感覚を参考にしたのではないかと思うところがありました。ファンタジーなどでは死の体験を描くこともあるので、ストーリーのモデルにも応用できるかと思います。

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