マスタリーのための努力
「頑張ります」「頑張って」
日常的に励ましの気持ちから使われる言葉です。僕も使います。
「頑張ります」というのはたいていは真摯に取り組みますという意思表示であり、「頑張って」というのは応援していますという気持ちの表明に過ぎません。
しかし「頑張る」という言葉が、一人歩きしだすと「頑なに張る」という漢字のとおり、意固地に「我慢する」ことに繋がりかねません。
心身が頑なになって上手くいかなくなると、もっと頑張ろう、頑張らなくちゃと悪いループに陥ることもあります。
そんなことを続けていると、苦しくなって続けることも嫌になってしまうでしょう。
創作に限らず、スポーツでも学業でも芸術でも「継続的に努力すること」は必ず必要です。これを疑う人はまずいないでしょう。
けれど、やり方がまずいといくら努力しても成長しないことがあります。
「努力すること」と「我慢すること」はイコールではありません。
物事に熟達・精通することをあえて「マスタリー」とカタカナで呼んでみます。
マスタリーに必要なものは何でしょう?
正しい知識や、適切な技術を身につけることです。
物語創作でいえば、面白いとは何かがわかり、それを作品内で表現できること。
辛いことを我慢していれば、マスタリーに到達するわけではありません。
まずは、我慢と努力を履き違えないように注意しましょう。
必要なトレーニング
我々は小学生ぐらいで「文字」を習いました。
何度も何度も同じ文字を、くりかえし書いて覚えたはずです。
「『あいうえお』と書いて」と言われれば、ほとんどの人は書けるでしょう。
どこかで習っていなければ書けません。外国人や幼児は書けません。
習ったことがあっても、くりかえし練習した経験がなければ迷います。
外国人が「ね」と「わ」を混乱したり、アルファベットを習った日本人が「b」と「d」を書き間違えたりするのを目にしたことがあるでしょう。
人間は、ある種の行動をパターン化し、自動化することで慣れます。
慣れるためには同じような作業の繰り返しをして、身体や脳に覚えさせる必要があります。
この繰り返しはマスタリーにとって必要なトレーニングです。
文字を覚えると「文章」が書けるようになります。そもそも文字は文章を書くためのものです。
母国語であれば日常会話をしているので、話し言葉を文字にすることは簡単そうです。
しかし、正しい文法を学んでいない人の文章は、独特だったり、読みづらかったり、ときに意味が通らないことすらあります。
(学校的な意味での)正しい文章を学べば「よく書けています」と丸がもらえます。
国語の授業を疎かにしてきた人は、大人になっても拙い文章を書きます。
読書感想文や作文にも得意不得手があったと思います。そこでは文法だけでなく思考力や情緒も求められます。
物語を創作するということは、それより高度です。
辻褄が合っているストーリーをつくるだけでも大変なものですが、その上で読者の感情を揺さ振るように組み立てなくてはいけません。つまり面白くなくてはいけません。
日本ではこういった技術を的確に指導できる人が少ないのが困りものですが、それでも、たくさん読んで、観て、書くことを続けていれば、少しずつ向上していきます。
このサイトでも紹介しているビートのような物語の基礎も「分析」などを繰り返すことで身についていきますが、本を読んで理解しただけでは自作に活用はできません。
文字をすらすら書けるようになるまで繰り返し体に覚えさせたように、「分析」も繰り返さなくては身につかないのです。
こういったトレーニングは、単調な繰り返しになりがちで、退屈で苦痛なことも多いでしょう。
続けているうちに「こんなこと、やって本当に意味があるのか?」なんて思い始めます。
マスタリーにとって必要なら、やるしかありません。
必要だと思っているのに、やらないのは怠けているだけです。
必要ではないと思うなら、何が必要かしっかりと考えましょう。
自分で考えもせず、成長しないのを他人や指導のせいにしているのは無責任というものでしょう。
マスタリーは誰かに強制されて身につけるものではありません。自分が身につけたいと思う能力を、しっかりと身につけることです。
センスの幅
「筋肉は裏切らない」なんて言う人がいます。
筋力アップのメカニズムは解明されているので、適切に負荷をかけて、栄養をとり、回復の時間をとれば筋トレは成功するでしょう。
学業も似ています。受験勉強には「正しい解答」が用意されていますので予備校や学習塾が成り立ちます。
物語はどうでしょう?
面白い物語を書くための力を、才能やセンスと定義する人がいます。
才能がなければ面白いものは書けない?
それならデビューしていないあなたは才能がないんですか?と問いたくなります。
才能はあるけど運がないだけとか、世の中が追いついていないといった幼稚な言い訳をしているかもしれません。
こういった考え方(マインドセット)は、継続的な努力などムダだという姿勢につながります。
絵画や音楽のような芸術では、センスや閃きの影響が大きいように思います。
感情の赴くままに表現したものが、評価されることもあるでしょう。
ですが、物語は言語を使った芸術です。色や音のように原始的な感覚に向けて働きかけるものではなく、後天的能力に基づいて構成されます。
だから才能に寄る幅が狭いのです。
語彙力なんか努力次第です。足りないと思うなら、たくさん入力すればいいだけです。
暗記テストじゃないので類語辞典などの使い方がうまくなればケアできます。
物語センスという意味では、他人の感情を察知する能力は、物語の面白さに大きく影響するとは思います。
それでも本格ミステリーのように感情が無視されても成立するジャンルもあります。
才能に寄る幅が狭いということは、それだけ努力が影響するということです。
けれど、努力しない作家は絶対に向上しないと断言します。僕は。
クリエイティビティ
「努力が必要。よし頑張ろう!」
マスタリーのために繰り返しトレーニングすることは必要です。
たとえばビートを身につけるためには「分析」を続けることが必要だと言いました。
ビートなんか必要ないと考える人でも、自分なりの課題があるはずです。
現状の自分に課題がないと言うなら、あなたの作品は完璧でしょうか?
すでに最高傑作を書きあげているなら、必要なのは営業努力だけかもしれません。
それなら、その「営業努力」が課題ということになるでしょう。
「わからなすぎて、何が課題かもわからない」という人もいます。
自分と向き合い、見つめ直す時間が必要なときもあります。
「課題を見つけること」が課題でしょう(そういう人は指導を受けた方が早いかもしれませんが)。
悩んでいても基礎的なトレーニングは続けられます。
スポーツで伸び悩んでいても筋トレはできるし、英語のテストで成績が上がらなくても英単語を一つでも多く覚えることはできます。
明らかに、繰り返して損はない努力というのがあります。
どんな芸術にも、必ず基礎トレーニングがあります。
物語が浮かばなくて書けないというなら模写をすればいいだけです。
参考:リハビリ触媒:「模写」「半模写」「脚本起こし」「演出模写」
けれど、基礎トレーニングだけでは身につかない技術があります。筋トレだけでスポーツで勝てません。スポーツごとの技術がいります。
物語でいえば、文章力や語彙力、構成力があれば、上手に書けるようになります。そこそこ面白くは書けるようになります。
ですが、本当に面白い物語はクリエイティビティと向き合ったときに生まれます。
物語は後天的な学習能力に支えられていると言いましたが、物語にとってもクリエイティビティが必要です。
それは、頑なになることで見失いがちになります。
歴史的な発見などが、ふとリラックスしたときに閃いたというのはよく聞く話だと思います。
たくさん頑張って努力して、力が抜けたときに、ふっと閃く。
この繰り返しが成長を支えます。
ただリラックスしているだけでは閃きは生まれません。
頑なに頑張ったあとのリラックスで生まれるのです。
「頑張ること」と同じぐらいに「力を抜くこと」は大切です。
けれど「力を抜くこと」と「怠けること」はもちろん違います。
この緊張と緩和のリズムを意識しながら、継続的に努力していくことが、マスタリーへの到達の道なのです。
イルカ 2023.4.3