脚本のルールとテクニック

脚本は小説と違ってルールやテクニックがあります。

常識的に守っておくべきレベルのルールと、こんな風に書くと物語として効果的だというテクニックのレベルの幅があります。

ルールは、絶対に破っちゃいけないとまで言いませんが、破ったところでメリットはないので、基本的に守っておけばいいようなことです。

テクニックでは、ケースバイケースのことも多く、頭でっかちに「こうしなければいけない」と考えてしまうとマイナスになることもあります。

そのあたりを区別してイメージできるように解説してみます。

レベル1:常識レベルのルール

たとえば、セリフは話し手の名前を書いて「 」をつけて、句点は付けない、なんてルールがあります。

横書きになってしまいますが、以下のような形式です。

太郎「こんにちは」
花子「わたしに話かけないで」

こういったルールはスクールでは一番最初に教わりますし、入門書でも読めばかんたんに理解できます(※当サイトでも一部、解説している記事はありますが、初心者にゼロからは教えていません。本屋にいけば書き方の本がたくさんあるので、自分に合ったものを一冊読んで理解してください)。

ルールは絶対に守らないといけないのか? と言ったら、そんなこともないかもしれません。

たとえば、

太郎「こんにちは。」
花子「わたしに話しかけないでって。」

となっていても「見栄えが悪い」のと「ムダに1文字使う」という弊害があるだけです(弊害があるのから止めた方がいい訳ですが)。

太郎 こんにちは。
花子 話しかけんなって言ってんだろ。

作者の拘りで「 」の代わりに空白スペースを使っても脚本全体がその形式で統一されているなら、まあ、読めます。

ですが、こういった常識レベルのルールが守られていない原稿は「もしかして初心者なのかな?」と思われもします。

コンクールで、それだけで落とされるようなことはないとは思いますが、形式のせいで頁数に影響がでているとしたら応募規定に引っ掛かる可能性はあります。

一次選考をする下読みのなかには、雑に審査をする人もいますから、形式なんかのことで「初心者扱い」されたり、選考に落とされたりしたら損でしかありません。

形式は常識やマナーのようなものです。

仕事の面接に行くとき、皆がスーツを着ていくようなときに、わざわざ奇抜な格好でいくでしょうか?

コンクールの原稿で、文字に色をつけたり書体を工夫したり、写真付きの表紙を付ける人なんかもいるそうですが、物語の世界は、そんなハッタリは通用しません。

見せかけの個性ではなく、内容の魅力で勝負しましょう。

レベル2:読みやすく書く

次のレベルは文章の読みやすさについて。

ここれからはルールというよりテクニックです。従わなくてはいけないではないけど、良い脚本にするためには従って欲しい書き方です。

悪い例を書くのはむずかしいのですが、まずはくどすぎる例を書いてみます。ト書きとして読んでください。

紺の浴衣をきていて右手に焼きとうもろこしをもった太郎と手を繋いでいる花子はピンクの浴衣を着ていて小さな赤い金魚が一匹入った袋を持って歩いている。

英文を訳すみたいに読み解かなくては理解できないかと思います。

読点を打つだけで読みやすさが上がりますが、問題は明らかにそれだけではありません。

情報は少なすぎても伝わりません。

太郎と花子、浴衣。焼きとうもろこしと金魚。歩いてる。

二人とも浴衣を着ているのか、花子だけが来ているのか判断しきれません。

焼きとうもろこしと金魚は持っているか、売っているのか。まさか歩いてる?なんて読めてしまいます。

こういった解釈に幅があるような書き方は脚本では不要です。

読者に考えさせるなんてバカな発想は絶対に持たないように。「脚本の読者とは誰なのか?」を考えれば、わかるはずです。

伝わりづらい文章は、作者の単純な文章力の問題ともいえるかもしれません。

論理的に説明する能力や、的確に説明する能力の問題です。

書き慣れていないだけとも言えるので、たくさん読んで、たくさん書いてるうちに修正はされていくはずです(普通なら笑)。

レベル3:描写する

レベル2でとりあげた例文を整理してみます。

●太郎 → 紺の浴衣、右手に焼きとうもろこし、

●花子 → ピンクの浴衣、左手に金魚の袋(小さな赤が一匹)

●二人は手をつないで歩いている。

小説であれば、ひとつひとつ文章にして描写していくことで、夏祭りの雰囲気を漂わせる小道具として効果的かもしれません。

映像でも、アップにしたり、さりげなく映すことで同様の効果が得られます。

ただし問題は「どこまで脚本に書くべきか?」です。

書くべきかではなく「どこまで考えるべきか?」なら、考えられるだけ考えておいた方が良いと言えます。

「考える」というのは、ひとつには論理的な側面からシミュレーションすること。

「太郎が焼きとうもろこしを片手で食べるのは、ちょっと食べづらいはずだ」とか「この日は8月で夕立が降ったからじめじめして汗ばんでいるはずだ」といった細かいことなど、考えられることは、何でも考えておきましょう。

「片手で食べづらい」という問題は、役者が演技したときに不自然な動きになる可能性がありますし、それを逆手にとって「花子がつないでいた手を離そうとするけど、太郎は離したくないと言って、あえて食べづらいまま片手で食べ続ける」といったリアクションを考えたりもできます。

「汗ばんでる」ということは、花子の気持ちに影響するかもしれません。二人の身体的な距離が近づいたとき、恥ずかしいがって、そっと距離をとってしまったり、セリフで言うかもしれません。

こういった細かい「想像力」が、キャラクター描写の土台になるのですから、考えられるだけ考えたおいた方が良いのです。

論理的だけでなく、映像的な側面からも考えて(イメージして)おきましょう。

たとえば、金魚の袋には「一匹の金魚」にしていますが、これは観客にどんな映像効果を生むでしょうか?

透明のビニール袋に一匹の金魚が泳いでいる映像は、綺麗だとしても、ストーリー上の意味が込められるでしょうか?

たとえば「金魚を二匹」にしたらどうでしょう? 二人の象徴に見えるか? それなら金魚の色は、浴衣の印象と合わせて「黒と赤」がいいかもしれない。

いや、そもそも、この二人のイメージは「紺」と「ピンク」でいいのか? 男女だからと、安易な配色になっていないか?……

考え出すとキリはないのですが、正しい方向へ「想像力」を働かせているなら、考えれば考えるほど良いシーンになるでしょう。

考えた末、自分の中でシーンが固まったとします。それをすべて書いてしまうのは小説です。

情報量が多すぎると「レベル2」で書いたような、読みづらい文章になってしまいます。

思い描いたイメージをすべて再現したいというのであれば監督や漫画家になるべきであって、脚本には「脚本の役割」があります。

現場を信頼して、任せるところは任せる。

脚本では「脚本に必要なもの」だけを的確に書き込んでいくのです。

レベル4:想像力を働かせる

では「脚本に必要なもの」とは何でしょう?

それを判断するには物語に対するセンスが問われます。

一つの目安は、作者が必要だと思っても、読者が意味を感じないなら、あまり効果的ではないということです。

読者のリテラシーも関わりますが、多くの読者や、信頼できる読解力をもっている人に伝わらないのであれば、独りよがりかもしれません。

他人の感想や意見に耳を傾けることで「脚本に必要なもの」が何か、あるいは不要なものが何かのセンスが養われていきます。

同時に他人の脚本を読むことも、同様の勉強。良い例、悪い例ともに参考になります。

企画によってケースバイケースというのもあります。

もし、あなたが監督兼脚本家であれば、独りよがりの脚本を書いても許されるかもしれません。

ショットや、カメラのレンズの指定までした脚本を書く人もいますが、そういったものは「撮影台本」を兼ねた脚本です。

自主映画のような少人数での撮影であれば問題ないかもしれませんが、撮影規模が大きくなればスタッフの数が大幅に増えて、困るスタッフが出てくるかもしれません。

脚本の役割は「ストーリーの設計図」です。

撮影ありきで脚本を書くと、演出ばかりに拘っていて、肝心な人間ドラマ部分が手薄になるということもあるでしょう。

反対に、ドラマに拘るあまり現場に無理難題を押しつけるようでは、作品の完成度を悪くしてしまうこともあります。

映像作品には「企画~撮影~ポスプロ」といった流れがあって、たくさんの人が関わる集合芸術です。

脚本家とはいえ、脚本以外の現場のことなども知らないと「脚本に必要なもの」が何かを判断できません。

現場は企画ごとに違うのだからコミュニケーション能力も必要です。

経験によって学ぶことは多いですが、時間には限界もあるので「想像力」や「コミュニケーション能力」が必要です。

企画や現場のことを想像する力、読者がどう感じるかを想像する力。

配慮、心配りなどと言い換えてもいいかもしれません。

学校の国語のテストのように、正しい答えが一つあるようなものではありません。

先生に質問して答えを教えてもらえるようなものではないのです。

自分で「想像力」を働かせないかぎり、一生わからないかもしれません。

緋片イルカ 2023.8.14

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