脚本作法5:ト書きの流れ(イメージの「つまづき」)

当サイトは「面白い物語を作るため」が方針で、書き方や原稿ルールなど初歩的なことは記事にしません。「脚本作法」シリーズはライターズルームへの共有として残しているものです。シナリオスクールやコンクール応募時のルールとは違う部分があっても、こちらでは責任は負えません。

脚本見本

まずは添削の基本となる脚本をお読みください。米俵さん『魔除け』(初稿)からの引用です。

『魔除け』米俵(サンプル)

※この作品はライターズルームのメンバーによるもので、作者の了承を得た上で掲載しています。無断転載は禁止します。本ページへのリンクは可能です。

1. 小林家・リビング(夜)
一軒家のリビング。白で統一された高級家具が置いてあり、棚の上に白いだるまが置かれている。
小林光輝(12)、ダイニングテーブルで算数を勉強している。
テーブルの上には、中学受験用の教材が重ねて置いてある。
小林久美(35)、光輝の隣に座り勉強をみている。
久美、問題を指さしながら、
久美「光輝、そこ。また間違えてるよ。この前も言ったでしょ」
光輝「……母さん、トイレに行きたい」
久美、時間を確認し、大きな溜息をつく。
久美「またなの。さっきいったじゃない」
光輝「でも……」
久美「分かった。行ってきなさい」
光輝、トイレに行く。
久美、その後ろ姿を見る。

読者のイメージに合わせる

読者は物語を読みながら、頭の中でイメージを作っていきます。

文章に合わせてスーッとイメージしていけように書いてあげると、スラスラと文章を読んでいけて、物語との一体感も高まります。

逆に矛盾や違和感などの「つまづき」があると、その度に流れが止まります。

数行・数ページ戻って理解しなおしたり、イメージの作り直しを強制され、物語から気持ちも離れ、最悪のケースでは読むのが億劫にすらなってきます。

脚本ではとくに映像的なイメージが重要です。

この『魔除け』のどこに「つまづき」があるでしょうか?

一行目からばか丁寧に見てみていきましょう。

「1. 小林家・リビング(夜)」
柱の書き方として何も問題ありません。

一軒家のリビング。白で統一された高級家具が置いてあり、棚の上に白いだるまが置かれている。
「白」「高級家具」という単語で小林家のイメージが伝わります。形容詞を一言付けるとさらにイメージが膨らみやすいかもしれませんが「つまづき」はありません。「白いだるま」はキャラクターに「願掛け」があることを間接的に伝えていて「キーアイテム」であることも予感させます。あとで回収があるのだろうなと興味をそそります。

小林光輝(12)、ダイニングテーブルで算数を勉強している。
テーブルの上には、中学受験用の教材が重ねて置いてある。
書き方としては全く問題ありません。物語としての「つまづき」は特にありませんが、脚本のリズムという技術的な観点では少しつまづきます。この記事ではわかりませんが、この2行のト書きはテンプレート上では4行になっています(サンプルのPDF参照)。この程度の情報であれば、一行ずつでビシッとまとめたい気がします。リズムが悪いのです。情報を精査してみます。この2行に込められた情報は以下です。
1「12歳の少年である」
2「少年はダイニングテーブルで勉強している」
3「内容は算数である」
4「中学受験の勉強をしているようだ」
1と2はセットアップ情報なので削れません。ダイニングテーブルという単語が長いので削りたくなりますが名詞なので仕方ないでしょう。3と4はどちらかをごっそり削れる可能性があります。このシーンにおいて「算数」と「中学受験」がどちらが重要な情報か? 両方必須の情報か? と考えると、先を読むと「後者」が重要だとわかります。このシーン内では算数については触れていませんが、中学受験の雰囲気は「だるま」とのシナジーもありスムーズに流れます。一例として書き直すなら(※答えではありません)
   小林光輝(12)、ダイニングテーブルで勉強中。
   中学受験用の教材が積み重なっている。

「勉強している」を「勉強中」にしたのはテンプレート上で一行に収めるための処理で大きな意図はありません。「重ねて置いてある」と「積み重なっている」はどちらがイメージが浮かびやすいかという言語的なセンスの違いです。「積む」という言葉が何冊も重ねられているイメージを強調するように感じたので、こう修正しました。好みや個人差はあるでしょう。

また、この2行のト書きを改行するか、ひと続きで書いてしまうかは「ショットを2つに分けてほしいかどうか」で決まります(※ひと続きで書いて2行になるのと、改行して2行になるのは意図が違うということです)。
2行に分けるなら、ショットとしては以下のようになります。
ショット1「ダイニングテーブルで勉強している少年が映る」(映像では人物の名前は伝わりません)
ショット2「積み重なっている参考書のアップ」
1行で書いた場合は、ワンショットで勉強している少年と、重なった参考書が同時に映ります。
ちなみに、
   重ねられた中学受験用の教材。
と、体言止めで書くと、よりアップへの要望が強くなります。
カメラを動かしてなめるように撮って欲しいのであれば、
   算数、国語、社会、理科……何冊もの教材が積み重なっている。
などと各教科を強調するように書けば伝わりやすいるでしょう。
ただし、どう撮るかを最終的に決めるのは演出家や撮影監督です(カメラの動きまで指定するなら、自分で撮れよという話でもあります)、
脚本家がするべきなのは、あくまでイメージへの演出です。ストーリーやキャラクターを的確に伝えるためにも、脚本家も演出する必要があるのです。

話が逸れましたので戻ります。

このシーンにおいて「改行して2行=2ショット」と「ひと続きで書く=1ショット」のどちらが的確か?は作者が「観客(読者)へ何を伝えたいか?」によります。
2行目(ショット2)の「参考書のアップ」によって伝わるのは「中学受験生であること」です。これをインパクトに残したいのであれば、2行に分けることが効果的といえそうです。

ただし、高度な演出を考えるときには画面上にモノのアップが映るということは、観客を情報に注目させることで説明的になる危険もあります。ここで本当に伝えるべきなのは「中学受験生である」という設定情報なのか、それとも別の主人公の心情などなのか? もちろん後者であるべきです。すると、考えるべきは「中学受験生」であることは、このアップを見せる方法以外で伝えられないのか? 他の部分で充分に伝わるなら主人公のことをもっと見せたい(映したい)と考えるべきでしょう。これは全体の演出トーンとも関わってくるので、脚本全体との統一感、さらには実際問題としては演出家との相性とも関わってきます。

ここまで考えていくと「改行を入れる」だけでも、どちらがいいかは一概に言えなくなります。誰が読んでも、流れを止めてしまうような大きな「つまづき」が良くないというのは技術レベルとして明確に指導できますが、その先の演出的なレベルに入ると正誤はありません。演出のレベルまで踏み込むと「作者自身がどうしたいか」という明確な意図をもって書かなくてはいけないということでもあるのです。

脚本に戻って、次のト書きへ進みます。

小林久美(35)、光輝の隣に座り勉強をみている。
ここに大きな「つまづき」があります。ここまでのト書きで読者のイメージには「テーブルで勉強している少年」が浮かんでいるはずです。そこへ突然「久美がいたこと」が伝えられ、読者はイメージの修正を強いられます。「隣に座って勉強をみている」なら最初から一緒にイメージしておいた方が流れます。撮影でも少年を映せば、自然と久美も映ってしまうでしょう。あえて少年をアップで映すことで、母親を見せない撮り方は可能ですが、その場合は演出的な意味や意図があるか?です。母親を映さないでおいて(=少年が一人と思わせておいて)、唐突に母親が画面に現れることで観客(読者)は驚きます。「お、母親もいたんだ!」と驚く感じです。ホラー的な演出であり、この母親のキャラクターを踏まえると間違った演出ではないようにも感じます。それが狙いであるなら「ハッキリと演出意図が伝わる書き方」して欲しいのです。前述したように、演出は作者が責任をもつ部分なので書き直しはしませんが、ヒントを示すと観客を少年に感情移入させたいなら「観客が母親に驚く」演出と「少年が母親に驚く」がリンクするようにすると効果的です。観客は自然と少年の気持ちにリンクして、物語に感情移入していきます。ある程度は演出家に任せるとしてシンプルに「つまづき」を無くす書き方はどうすればいいか? ここまでの説明でおわかりかと思うので、これもあえて書き直しはしません。読者の気持ちになって書けば、答えは出るはずです。

これ以降の会話にも問題は多々ありますが、とりあえず、この記事では「つまづき」ということを説明したかったので、ここまでとします。

緋片イルカ 2023.1.17

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