わたしは生まれて初めて、新築の家というものに入った。
「すごい、広い!」
「まだ家具が入ってないからだよ」
不動産屋は、
「クローゼットがありますので、広さは保たれると思いますよ?」
「どう? 気にいった?」
「うん。」
「ここなら駅も近いし、ここにしよっか?」
「…うん。」
「どうしたの? 何か不安?」
「うんん、逆。嬉しいの。」
わたしとカズナリさんはもうすぐ結婚する。
わたしは初めての新築の家で、初めての結婚生活を始めるのだ。
「うちボロい木造だったから、フローリングも初めて」
ゴムスリッパがフローリングに擦れてキュンという音を立てた。
その音はわたしが昔、「初恋」と名付けた音と同じだった。
中学2年の3学期だった。始業式で掃除が終わればホームルームだけして帰れるし、久しぶりにあう同級生もいて、みんな浮かれていた。
女子はおしゃべり、男子はホウキでチャンバラしていた。
ガッ!
男子の弾かれたカタナがわたしの方へ飛んできた。
「きゃ」
わたしは顔を覆う間もなく、飛んでくるホウキを直視していた。
パッ。
横から飛び出してきたツジ君は、そのホウキを空中でつかみ取り、うわばきがキュンと鳴って彼は着地した。すぐに男子の方へととって返し走っていった。
「大丈夫?」
隣にいたルカが聞いた。
「ツジ君、かっこよかったね。」
こういうことをサラッと言ってしまうから、ルカには変な噂が立つのだと思った。
「え? …うん。」
「赤くなってるよ?」
「なってないよ…違う…怖かったから。」
チャイムが鳴った。
わたしは、うわばきのつま先をこするようにして歩いてみたが、同じ音はしなかった。
ツジ君にしか鳴らせない音なんだ、と思ったら、自分で考えたくせにドキリとした。
ホームルームが終わると、ルカが声をかけてきた。
「一緒にかえろ?」
「え? めずらしい…いいよ。」
ルカと帰るのは初めてだった。
何を話していいかわからず黙ったまま歩いていたが、校舎を出て二人になると、ルカは言った。
「ねえ、いつ告るの?」
「え?」
「ツジ君、好きになったんでしょ?」
わたしは自分でも顔が真っ赤になったのがわかった。
「もしかして、まだ誰ともヤッたことないの?」
「ないよ!」
わたしは強く否定してから、「ヤる」というのが何のことか分かってしまったことが恥ずかしくなった。
「そうなんだ…。ごめん…」
しおらしく謝るルカを見て、急に同い年だという気がしてきた。
「もしかして付き合ったこともない?」
ルカが優しく聞いたので、わたしは正直にうなずいた。
「そっか、じゃあ、初恋?」
わたしは、わからないぐらい小さく頷いた。
「いいな~、初恋か。あたしも思い出すな。つっても去年だけど、本当に好きだったんだよね…。」
わたしはルカの噂を思い出した。
「どんな人だったの?」
「大学生。家庭教師してくれてたんだけど…。かわいいっていつも言ってくれたから信じたけど、一回ヤッたら『やっぱり、こういうのはよくない』とか言い出してさ。」
「…」
わたしには世界が大きすぎて言葉使いがわからなかった。
「そのあと7人付き合ったけど…」
「7人!!」
「そう、7人。でも、最初の先生が一番ドキドキしたかな…。あんたも初めては妥協しちゃダメだよ?」
「妥協…?」
「そう、きちんと伝えて、とことん追わなきゃ!」
その時のルカの屈託のない笑顔は今でも忘れない。
ルカはあんまり学校に来なかったので、会えば二言三言会話はしたけど、ちゃんと話したのはそれが最初で最後だった。
わたしはルカの「初めては妥協しちゃだめ」という言葉と、渡せなかったラブレターを握りしめたまま卒業した。
高校も大学も好きになった人はいて、何度かデートしたりはしたけど、ちゃんと付き合ったのはカズナリさんが初めてだった。
「カズナリさん。中学のこと覚えてる?」
わたしは聞いた。
「中学…ガキだったからな~」
「じゃあ、掃除の時間にわたしを助けてくれたの覚えてないの?」
「………。」
「わたしの初恋の人なんだよ。」
「うそ! 本当! 初めて聞いたよ?」
「初めて言ったもん!」
わたしはこれからも、この人といろんな初めてを経験していくのだと思ったら、胸がキュンとした。
(了)