「ストーリーエンジン」という言葉は、ハリウッド関連の書籍でときどきみられますが、厳密な定義はなく「ストーリーを前に進める駆動力」の表現として使われています。
ここでは「読者につづきを読みたいと思わせるものは何か?」という視点から、いくつかのパターンに分類して考えてみたいと思います。
人はなぜ物語を読むのか?
本屋で何気なく手にとって、冒頭のページを立ち読みすると、ぐいぐいと引き込まれて、つづきが気になり、買ってしまう。
そんな経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか?
一方、タイトルに惹かれて手にとってみたものも、少し読んで、そっと本棚に戻すこともあるでしょう。
この違いは何が原因でしょうか?
ここで、路上で歌のライブをしている人を思い出してみてください。新宿なんかでよく見かけます。
前を通るほとんどの人が、ライブをしていることには気がつくし、歌声も耳に入っているのに素通りしていきます。
けれど、ものすごく好みの歌が聞こえてきたら「誰だろう?」と思って足を止めてしまうかもしれません。
あるいは、あなたが、誰かと待ち合わせしていて遅れそうだったら「いいな」と思っても、走り抜けていくでしょう。
トイレに行きたかったら? 我慢して聴くでしょうか?
どんなに素晴らしい歌だとしても、限界があるでしょう。
やや前置きが長くなりましたが、その歌を聴くか、聴かないか、それを決めているのは「観客」です。
もっと言えば、観客の「事情」と「感情」です。
読者が次のページをめくるかどうかも同じです。
「事情」で読む人
待ち合わせという「事情」があると路上ライブを聴いてられないのとは反対に、ライブをやっているのが親しい友達という「事情」があれば興味がなくても聴きにいくでしょう。東京に住んでいる人は、演劇や様々なパーフォーマンスで、この手の「観に来てね」の人間関係を経験していることが多いのではないでしょうか。
本でいえば、読書感想文を書かなくてはいけないと宿題が出されれば、興味がなくても、推薦図書から選んで読むでしょう。
この「事情」は大学生ぐらいまではつづくでしょう。
研究者にでもなった人は、さらにつづいていくでしょう。
書評家やサイトに記事を書くような人も、読まなくてはいけない「事情」で読む人がいます。
いずれにせよ、外的な「事情」によって読まされるのは苦痛です。
映画であれば、ぼーっと眺めていても2時間もすれば終わりますが、本は自らページを捲っていかなくては終わりません。
しかし、読まされている場合でも、読み始めたら面白くて「事情」を忘れて、さいごまで一気に読みきってしまったということも、よくあります。
それは、読者の中で「おもしろい!」「次はどうなる?」といった「感情」が芽生えているからです。これが、まさに「ストーリーエンジン」が動きだす瞬間です。
「感情」というガソリン
「感情」にはさまざまな種類がありますが、それらを体内の化学物質でみれば「エンドルフィン系」「ドーパミン系」「オキシトシン系」の三つに分けられます。(参考記事:【物語の快感】(文学#22))
感情を表す代表的な言葉で言い換えておくなら、
「昂奮」
「快感」
「安心」
の3つでしょうか。
以下、これらの感情と物語の展開を組み合わせて「ストーリーエンジン」について考えていきます。
ストーリーエンジンの種類
ミステリー
物語をひっぱるものは「ミステリー」と「サスペンス」だと言い切る人がいるぐらい強いストーリーエンジンの一つです。「ミステリー」の解決を知りたいと思う感情は好奇心という言い方もできますが、その根本にはストレスがあります。人間はわからないことがあると不安やストレスを感じます。ストレスから逃れたいと思い、答えを求めます(余談ですが、これは社会不安が強いとナショナリズムや過激思想が台頭してくるのと同じ原理です)。ミステリーはそういった感情をガソリンとして、謎が解けるまで読者を引っ張ります。謎がとけたときには「快感」(ドーパミン)も得られ、もっと読みたいと思えば、同じ探偵のシリーズが作られていくでしょう。構成上は「謎」と「解決」という単純なビートで仕込むことができます。
サスペンス
「ミステリー」と「サスペンス」の違いをかんたんに言うなら「かくれんぼ」と「おにごっこ」です。子どもたちがこういった遊びに夢中になるのは快感があるからでしょう。「おにごっこ」の面白さは「鬼になって捕まえるとき」や「鬼から逃げ切ったとき」の達成感です。それに伴って、戦略を考えたりをする知的楽しみも付随します。「刑事」「泥棒」「犯罪」「戦争」といったキーワードに関わる物語の多くはサスペンスが働いています。もちろん「ミステリー」とセットになってるものも多いので、ミステリーとサスペンスというジャンルは混同されがちです。日常のドラマでも「ボールを追いかけた子どもが車道に出た」ようなシーンにサスペンスが働いています。構成上では「危機」のビートを仕込むことでサスペンスの状況がつくれます。
ホラー
ジャンルとして嫌いな人も多くいますが、好きな人は好きです。ホラー的な雰囲気が好きという人は後述する「ムード」が好きということになりますが、ドキドキしたり驚かされるのが好きな人は、恐怖によって「副腎皮質ホルモン」が放出されるためスッキリするといった快感を得ていると思われます。ジェットコースターでも似たような現象が起きているでしょう。幽霊やゾンビのようなモチーフやBGMのような演出でホラーを感じる人もいますが、物語的には「一人暮しの部屋に誰かがいた形跡がある」といった状況がホラーに感じられるでしょう。幽霊にしても、侵入者の形跡にしても、原理的には「ミステリー」や「サスペンス」と同じで、そこに強いストレスが発生すると恐怖になります。
笑い
笑いは身体的な現象にちかいといえます。作り笑いで口角を上げるだけでもホルモンがでますが、思わず笑ってしまったときはやはり気持ちいいものです。笑いのセンスやバリエーションは多種多様です。「オヤジギャグ」で笑う人もいれば白ける人もいます、「ブラックジョーク」に引く人もいればゲラゲラ笑う人もいます。役者の顔が面白いとか、子どもであればオナラだけで笑うかもしれません。これらは構成に仕込むものではないので、作者のセンスに寄ってしまいますが、三段オチのような型式的な笑いは構成で仕込むことも可能です。「緊張」と「意外性」というビートでつくれます。
セックスアピール
性欲は基本的欲求でもあるので、これらが観客・読者に昂奮を与えるものであることは疑いようがありません。お色気シーンや、キスシーン、ベッドシーンといったシーンがそのままビートとなります。「サスペンス」と絡みあって、読者に「この先、二人はどうなるのか?」という感情を持たせることでエンジンとして機能します。「恋」は次に紹介する愛に近い場合もあるので、言葉だけでくくることはできません。映像であれば、モチーフとしてセクシーな女優やイケメンが出演しているだけで、一部の人にはエンジンとして働きます。小説であれば、性的な用語、比喩、隠語などで表現されます。食べることも、基本的欲求で快感を伴うことは同じなので、アピールするように描けば効果は同様です。
愛
セックスと愛を混同している人がいるかもしれませんが脳内物質でいえば違いあります。愛は「安心」です。あたたかい布団に包まれて眠るような安らぎ、自己肯定感などが含まれます。構成上はシンプルで「苦痛」と「受容」というビートで構成できます。「苦痛」が大きければ大きいほど「受容」されたときの愛も大きく感じられます。聖書でいう「赦し」にも通じます。
リズム
目をつぶって音楽を聴いているときのように、すらすらと文章を読んで浸れたら、ストーリーがどうであれ気持ちがいいでしょう。これがリズムによるストーリーンエンジンです。映画でいえば音楽やシーンの編集リズム、役者の声色。小説でいえば文章の読みやすさやテンポ、表現技法でいえば反復法、頭韻、脚韻などが関連します。いずれも作者のセンスに寄るところが大きいですが、構成でいえば、大きなビート(つまりはプロットポイントなど)をどれぐらいのタイミングで、どのくらいの強さで、起こしていくかが構成のリズムになっていきます。ミニプロット系といわれるヨーロッパ映画とハリウッドの大作映画では構成のリズムがまるきり違います。ゆっくりとなかなか事件が起きないストーリーもあれば、次々に展開していくアップテンポなストーリーもあるのです。ガソリンとしての快感は、心拍や胎内にいるときの安心感が心地よさとして影響していると思われます。
ムード
ファンタジーも含め、舞台や衣裳、時代といったモチーフが、ある種の人には好きと感じられます。個人による「好み」なので多様です。その世界への憧れのような「昂奮」を感じる人もいれば、懐かしさのような「安心」を感じる人もいるでしょう。これらをストーリーエンジンとして使う場合は、雰囲気(まさにムード)を壊さないことです。ムードが壊された例から考えるとよくわかります。歴史もので時代考証があまいから嘘っぽく見えるとか、先に挙げたホラーでいえば前半は怖かったのに途中からコメディみたいになって白けたとか、そういうことをしないようにすること。観客・読者をしっかりと浸らせてあげることです。文章でいえば言葉の選び方がムードをつくる場合もあります。ひらがなだらけの文章と、漢字だらけの文章を想像してみてください。
ライフ
テーマともいえます。人間は、年齢や環境に合わせて、悩みを抱えて自分の人生を生きています。似たような悩みを持つ人には共感し、応援したくなります。仲間をみつける喜びは、帰属意識からくる「安心」といえます。物語では、題材やキャラクターの葛藤としてセットアップすることでストーリーエンジンとして動きます。主人公に共感すると、読者・観客は最後まで見届けたくなるのです。
エンターテイメントであれ、アートであれ
読まなくてはいけない「事情」がある人はともかくとして、人は物語に触れることで「快感」を得ています。
エンターテイメントやアートといった括りは、快感の種類のちがいに過ぎないといえます。
プロの作家はテクニックとして、いくつかの『ストーリーエンジン」をもっていて、それが読者にとって気持ちいいので、その本は売れるのです。おいしいから食べるのと同じです。
いくつかのエンジンは構成上のビートとして簡単に仕込むことができますが、またいくつかのエンジンはセンスに寄るところが大きく学ぶことが難しいものもあります。
緋片イルカ 2020/09/07
2020/09/08加筆・訂正