ビート説明04「脚本ビートと演出ビート」(三幕構成18)

以下は、過去に映画の勉強会に参加していた方達にビートを説明した際に用いた資料です。HDDから発見したので公開しておきます。映画を初見でプロットポイント1、2、ミッドポイントがつかめるぐらいに三幕構成を理解している方に向けています。初心者の方はどうぞこちらからご覧ください。

脚本ビートと演出ビート

前回までで物語論としてのビートと映画のビートの違いを説明した。
最後に映画のビートを、脚本のビートと演出のビートに分ける。

ビートを刻むといった表現の「打つ」という言葉通りリズムをつくるためのものである。物語として言えば、変化をつけて物語にリズムをつける。
音楽で言えば、打楽器の打たれるところ、楽譜で音符があって音がなるところ(音楽に疎いのでこんな表現しかできない)

音楽の三大要素と言われる、リズム、メロディ、ハーモニーのリズムを作っているのがビートと言える。(ちなみにメロディはアークだと思うが、ハーモニーは何だろう?)

音楽と物語の関係は、原始的な語り部による物語にも原始的な楽器や、声の調子による抑揚がつけられていたし、リズミカルに語るということはなされてきた。またオペラや能のような歌劇的なものから、リアリズム主義が物語(演劇)の部分だけを切り離していったが、リアルに徹し過ぎたものは、時に見る側に苦痛をしいることも多い(要は眠くなる)。

音楽を廃した最たるものは小説だろう。
映画と小説の違いは、映像か活字かの違いといえるが、脚本と小説の違いはとなると、ページ制限があるかどうかである。これが物語の構成に制約を与えている。おおよそ30分、60分、90〜120分といった中で完結する物語を作るという制約があるため、必然的に1分も無駄にできず、効率よく物語を伝える必要がでてくる。(だから連続ドラマの構成はまた違う)

よって、脚本もビートを入れてリズミカルに読めるようでないと、伝わりづらいし、そもそも企画が通らなかったりする(ここにはセリフやト書きの書き方の脚本技術も多少は入るが)

以下、演出のビートの話。

さて、仮に脚本が完璧なビートとして整ったものとして書かれていても、当然、映像化した時には当然ズレる。ト書きに一行で書かれたものが映像にしたら3秒(400字=20字×20行=1分→1行=3秒)になるとは限らない。

「○○が笑う」といった動作しか書かれていない時に、どういう気持ちから笑っているのかを役者の演技、カメラのショット、ライティング(前提としてのロケ場所やプロップ)などを指示(direction)するのが演出家、監督(director)の仕事である。
監督は脚本のビートが読めないといけないし、脚本にビートが足りない時に演出でビートをつける必要があるし、演出力によって脚本以上の面白いシーンを作る必要があるし、それでいて全体のバランスを崩さないように注意する必要があるし、さらに現場をまとめるといった細々とした作業もこなし、作品全体の完成度を高める必要がある。

脚本に書かれている内容を、映像表現で的確に観客に伝えることができるというのは、脚本のセリフやト書きの技術と一緒で、演出の最低限の技術である。これはイルカの専門ではないので他に譲るが、文章で「書いている本人は伝わたってるつもりになっていても、読んだ方は意味がわからない」ということは多々あり、映像でもそれと同じことが起きているようには思う。

次に、監督が掴んでおくべきビートのポイントについて。

アクト1のビート
オープニングイメージ :これは脚本よりも演出によるところが大きいビート。全体を表すテーマとして機能しているかどうかは問われるところだが、オープニングクレジットなどの関係で入っているものもある。

ジャンルセットアップ :ジャンルが何であるかをきちんと、すぐにわからせること。場合によってはオープニングのイメージ自体がそれを担っていることもある。セリフが下手な本だと、コメディなのかリアルなのかわからないようなものがある。コメディならコメディ、ホラーならホラー、アクションならアクションといったことを最初に見せなければ観客が立ち位置に混乱する。「フロムダスクティルドーン」とかスティーブンキング原作ものような、あえてジャンル変化を狙っているなら、差別を明確にする演出があるべき。

CC:最重要。主人公が誰であるか、どんな性格であるか、何を目指しているかは最低限わかるように。描けるなら心理的に抱えている問題は何なのかといったところまで描く。サブキャラと同じような配分でショットを作ったりすると、どちらが主人公なのかがわからなかったりする。逆に小津安二郎の映画であったが、駅のホームの群衆のようなシーンでもショットを工夫すれば主人公であることはわかる。

カタリスト:ジャンル、主人公のセットアップが終われば早く事件を起こすこと。5分から遅くとも10分以内。ここまでがきちんとできていれば観客はストーリーについてきてくれる。また、PP1とカタリストは似ているビートなので違いを明確にしておくこと。

アクト1のまとめ:アクト1はセットアップであるが、何をセットアップするかといえば、いつ、どこの話で、誰が主人公で、アクト2でどんなことを起きていくのかを観客にきちんと伝えること。またサブキャラは、アクト1の間できちんとセットアップしておくこと。脚本ではト書きにキャラの名前があるのでサブキャラであることはわかるが、演出が弱いとアクト1で1シーンしかないようなキャラが、あとで出てきた時に「誰?」となってしまう。主人公より出過ぎてはいけないが、他のエキストラやモブキャラにまぎれないようにしなくてはいけない。ハリウッド映画だと、衣装や体型で露骨に印象づけていることもある。同様に、アクト3で再びでてくるような舞台や小道具は、フリだとわからない程度には印象づけておく必要がある。

アクト2のビート
F&G:アクト2に入った感じを出すために、物語論的に門をくぐるとったことがよく言われるが、それは解釈論的な理屈で観客を門など意識して見ていないことが多い。もし、それを演出するなら他のシーンで門をくぐる動作をなくさなくてはいけない。門をくぐるという動作は日常的になされているので、それをPP1として見せるならそれなりの演出が必要である。門以上に、非日常感を出すのは、アクト2での演出そのものである。観客に物語の本題が始まったという印象、インパクト、キャラクターの変化。音楽やショットでも工夫できるかもしれない。脚本に明確なビートがあれば、自然と非日常に入った感じは出てるはずだが、演出の方でもそれを盛り上げるのが望ましいと思う。(リアリズムにこだわるアート映画的な演出をするなら逆にアクト2に入った感じを出さないというテクもあるが、ここでは考慮しない)

MP:行き着いた感じ。ファン&ゲームからの盛りあがりがMAXになる感じ。ピークエンドの法則のピークとしての演出。ただし、これは脚本によっては、物語上のMPとズレることがあるので、その場合は過度に演出しない方がスムースに流れる。この場合は、フォールの印象を強めてインパクトを強めた方がよい場合もある。

フォール(迫り来る悪い奴ら) :MPからフォールまでの時間がかかると停滞する。危機感の演出。いずれにせよMPとのバランスがあるが、どちらにせよアクト2の中間なので、変化は欲しい。

ピンチ1と2(サブプロット):メインストーリーにリズムをつける伴奏のようなもの。長編には欲しいが、尺によってはいらないことも。メインとサブは明確にわけて理解する。

オールイズロスト(PP2) :アクト2に入った時のファン&ゲームの対比、あるいはMPとの対比。アクト2が終わる感じ。次のダークナイト(オブザソウル)とTP2までの流れにどれくらいの間を作るかは演出によるところが大きい。ほとんどなく、勢いでアクト3に入っていくものもあるし、一度、ここで明確に区切られているようなものもある。不自然に感じるのは、ここで区切る必要はないようなストーリーなのに、主人公が落ち込んだりするようなパターン。これはビートに引きずられている悪い例だと思う。いずれにせよ脚本をきちんと読んで、演出の度合いを考える。アクト3感を出すのはビッグバトルの方なので、この辺りが弱くても問題ないと思う。

アクト2のまとめ:非日常感、冒険感などをどう演出するか。ある意味、監督のやりたいことが一番入っていいいのかもしれない(ストーリーとお互いをダメにするような演出でなければ)。MPあたりのビートは時間的リズムとして一つは欲しいところ。さらに必要ならサブプロットとしてのピンチを加えたり。

アクト3のビート
ビッグバトル:アクト3はとにかくビッグバトルそのもの。クライマックス感、最終決戦な感じ。ロッキーの試合のような盛り上げ方。ここがアクト2のバトルより地味になってはいけない。同時に長いシークエンスになるせいでツイストが脚本で弱いと、間延びしてダラダラ戦ってるように見えてしまう。カットの早さとか、インパクトだけのビートで持たせるのもありだと思う。

エピローグ(エンドイメージ):とにかくだらだらしない。本題は終わったので、後始末だけしてさくっと終わるかんじ。ホラーなどでここでさらにツイストを入れる場合もあるが。

以上、物語のビートを映画として演出する時に、(脚本家からみて)おさえておいて欲しいポイント。
これとは別に、演出上だけのビートというのがある。たとえば脚本ではト書きで「○○が押し入れを開ける。しかし誰もいない」とだけ書いてあったのを、映像では震える手で、じっくりと手を伸ばしていって、つばを飲み込んで、押し入れを勢いよくあける。といったホラー演出のようにすることもできる。これは観客にとっては緊張する瞬間で、一つのビートであると言える。こういうものがコンスタントにあれば、脚本が絶望的につまらなくても間が持って、見れたものにはできると思う(その映画をもう一回見たいとは思わないだろうけど)。こういうのは演出家の力だと思うけど、こういうあざといテクニックに陥りすぎて、脚本=物語の本質を見落としてしまっているものはもったいないと思う。逆に言えば、個人的な脚本家からの意見としては、物語としての押さえるべきポイントとしてのビートさえきちんと押さえていてくれれば、あとは何してくれてもいいという感じもします。もちろん脚本がきちんと書けてる前提ですから、そうでない脚本があふれる中で、演出家が工夫して面白くしていくというのも現場レベルでは必須でしょう。また、ビートの理屈としては欲しいところだけど、ストーリーを考える上ではあまり必要ないようなビートを入れるよりは、演出の方で、汲み取ってうまく流してくれた方が、完成度は高まるんだろうなとも思います。
以上、ビート解説はすべておわります。

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