批評について

批評家や評論家というとテレビのコメンテーターや宣伝ライターのような印象を持ってしまいがちです。あるいは揚げ足や難癖をつける嫌味なイメージさえあるかもしれません。
しかし、鋭い視点で書かれた批評は、それ自体が「批評作品」のようだと思います。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のビフはトランプ大統領がモデルだと言われますが、映画批評をとおして今の政治に対して意見することができるかもしれません。作品に新しい見方があることを提示することは批評の価値だと思います。

一方、商品レビューのように不特定多数の人が思い思いに述べるような場では、偏向的な意見や、鋭いとは言いがたい意見も多いのですが、一定数以上のレビューがあれば集団的知性としての視点をもってくるように思います。

専門家の鋭い意見、集団的知性、どちらにもなるほどと思うところがあります。

また、作品の穴や情報不足をファンが補完する形で、物語が進化していくということもあります。それに対して作者自身がインタビューなどで答えのように意見を述べることもありますが、これは国語テストの作者の考えを述べよという問題の解答に、作者自身が「オレはそんなこと考えてない」というのに似ている気がします。テストでは作者より出題者に沿わなければ点数がもらえません。鑑賞としてみたときも作者の意見が絶対的に正しいわけではありません。

創作に対する対価としての著作権は守られるべきですが、作品は作者だけのものではないのです。創作中の作者は、作品を自由につくる神でいられますが、発表してからは、もう作者だけのものではないのだと思います。

スポーツで「ケガをしてなければ勝っていました」といっても通じません。作者もケガをしないように発表する前に創り上げておくべきですし、一度、発表したからには観客の反応を結果として受け止めるべきだと思います。

納得いかなければ次の作品を創ればいいのです。
専門家であれ素人のレビューであれ、そういった批評が作者自身を育てることもあるのではないでしょうか。

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