「ショットの要素」の記事:
概略
1:「トーン」
2:「フレーミング」
3:「キャラクター」
4:「ムーブ」
5:「タイム」
6:「トランジション」
7:「サウンド」
まとめ
2種類のムーブ
ムーブmoveは動きのことですが、特に映画で使われる用語ではなく、僕が名づけました。movementとかmotionとかのが相応しいかもしれませんが日本人英語として。紛らわしいとか相応しい呼び方があれば呼び変えるかもしれません。
大きくは2種類あって「画面内での役者などの動き」と「画面自体の動き」に分かれます。言い換えると「カメラの中で何かが動いている」か「カメラ自体が動いているか」です。両者は効果が大きく違います。
画面とは「観客の視点を強制すること」だとは、以前の記事でも書きました。
演劇では舞台上のどこを見るかは観客の自由です。セリフを喋っている役者を見ていてもいいし、聞いている相手方の表情を見てもいい。場合によっては、袖で準備している役者が目に入ってしまって見てしまうということもあります。
ですが、基本的には舞台上で物語が展開されるので、演劇では「舞台全体」が「画面」「フレーム」だということができます(変な客がいて客席が気になる場合は、映画館でも同じなので考慮しない)。
映像では、画面に映った範囲の中で、何を見るかは自由です。
画面を固定して、その中で演じれば、演劇に近い演出になります。ただし、映像の基本はカメラを意識させないことなので「固定していること」を意識させてしまう場合「演劇くささ」に繋がってしまう場合もあります。
以前の記事で書いたように、観客は画面の中で自然と視点が誘導されるものがあります。大きいもの、鮮やかなもの、奥行や集中点にあるものなどです。ひっくるめていえば「目立つもの」です。こう考えると目立つという表現は面白い表現だなと思ったりします。
フレーム内で「目立つもの」に目がいくというのは静止画での自然な反応です。目立ちにくいものでも、動いていると、それだけで目立つようになります。部屋にいて本を読んでいるようなときでも、小さな虫が視界に入ると気がつくような体験は誰でもしたことがあるでしょう。
主人公が会話をしている背景で、ちょこまかと動く子供や猫が画面に映りこんでいたら、それだけでノイズです。
逆に言えば画面内で「動かす」ということは、そこに注目をして欲しいという意味合いが出てくることになります。
観客の視点をどこに、どう誘導するかというのはショット演出の基本であり、本質です。
もう一つのムーブである、カメラ自体を動かす場合はどうでしょう?
こちらでは、画面内でのムーブより、視点を強制的に誘導していくムーブです。
ホラーなどでこんなシーンを見たことがあると思います。主人公がふり返り「あ!」という驚いた顔をする。けれど、何を見たかは画面に映らず焦らされる。もちろん観客を焦らすためにやっているのですが、そのときの観客の気持ちは「何を見たんだ? 早く見せてくれ!」です。だけど、視点を強制され、観客は知ることができないのです。
その後、驚いた主人公の顔から、カメラがゆっくりと180°回転する動きは、よく考えると露骨なカメラの動かし方ですが、観客の気持ちとのっていれば気になりません。むしろ「早く早く!」という気持ちになるでしょう。あるいは「怖い、見たくない!」という観客もいるかもしれませんが。
驚いた主人公の顔から、一気に切り返して、見たものを映す編集もありえます。どちらが良いかなどは、作品や演出方針次第なので、どちらも合ってるときと合わないときがあるので作品ごとでしか言えません。
ここで伝えたいのはカメラ自体のムーブは、ショットが切り替わるのと同等の効果があり、トランジションの一種となりえるということです。
詳しくは「トランジション」の記事で書こうと思いますが、むやみにカメラを動かすことは、観客を振りまわすことになり、注意が必要だということです。
フレーム内ムーブ
改めて、2つのムーブについて考えてみます。
画面内でのムーブの代表は人物=役者です。歩く、走る、立ったり座ったり、手や指の動きなど、それらは人物の心理を表す「印象」となります。
一つの動作だけで的確に伝わるとは限りませんが、細かい動作の積み重ねで、観客の中で、その人物の感情が確信になっていきます。
日常でもいますがボディランゲージを読み取れない観客は、セリフで言われたことしか理解できず、ミニプロット系の映画や、繊細な感情表現を楽しめません。映像に対するリテラシーが低いと言えるかもしれません。
余談ですが、アニメは古い時代は作画に限界があるため、「情報」が混乱しないようセリフで補うという傾向がありました。説明セリフが必要だったのです。その影響か、リアルな描写ができる現代でもアニメでは説明セリフが多用されています。脚本家の書き方が変化していないとか、マンガのセリフの影響もあるといえそうです。マンガのセリフは読み物としてのセリフなので、発声するセリフとは違うので、脚本でそのまま使うと説明セリフになりがちなのです。とはいえ、説明セリフは初心者ほど多用しがちです、アニメかどうかだけでなくライター自体の腕の問題もあるでしょう。声優さんは説明セリフをうまく処理する技術をもっている方が多く、実写の役者ではうまく言えていないので悪目立ちしているというのもよく見かけます。
閑話休題。
画面内でのムーブには、役者のアドリブ演技と、脚本上のト書きがあります。
以下のシーンは、ワンショットで収めている構図とします。家具や冷蔵庫の配置は自由に想像していただいて構いません。
例:
〇リビングキッチン(夜)
夫、テレビを見ている。
仕事から帰ってきた妻がやってきて、
妻「昨日の昼、あなたと田中さんの奥さんが歩いてるの見たって聞いたんだけど」
夫「え? 気のせいだよ。昨日は家でDVD見てたよ」
これだけ読むと夫が怪しいのか、妻の思いすごしかわかりません。妻に伝えた誰かが悪意のある嘘をついている可能性もあります。
例:
〇リビングキッチン(夜)
夫、テレビを見ている。
仕事から帰ってきた妻がやってきて、
妻「昨日の昼、あなたと田中さんの奥さんが歩いてるの見たって聞いたんだけど」
夫、冷蔵庫へ行きながら、
夫「え? 気のせいだよ。昨日は家でDVD見てたよ」
「冷蔵庫へ行く」というムーブを加えました。話から逃げているように見える「印象」があります。
これだけで夫が誤魔化しているとは断定できません。観客も同じです。ですが「怪しいかも」という小さな緊張感が生まれます。「でも、まだ確定ではないから、つづきを見てみないとわからない」と、この小さな緊張感の連続が、観客を映像に惹きつけるのです。
なお、脚本上の意図が伝わらないと思ったら「夫、逃げるように冷蔵庫へ行きながら」と丁寧に書き加えても構いません。
そんなことしなくても監督や役者が読み取ってくれると思えばうるさい形容詞です。このシーンで「逃げるような」をはっきり強調して欲しい重要なト書きなのかどうかにもよります。脚本全編にわたって形容詞がついてると、重要なシーンでの強調が読み落とされてしまうかもしれません。この辺りは監督含めチームとの相性もあるので、正解はありません。
同じシーンで、妻を動かしてみます。
例:
〇リビングキッチン(夜)
夫、テレビを見ている。
仕事から帰ってきた妻、冷蔵庫へ行きながら、
妻「昨日の昼、あなたと田中さんの奥さんが歩いてるの見たって聞いたんだけど」
夫「え? 気のせいだよ。昨日は家でDVD見てたよ」
夫と田中さんの奥さんとの話を、妻は全然気にしていないようにも見えます。あるいは妻が「気にしていないフリを装っている」可能性もあります(それなら、そうわかるト書きがもう一つ必要でしょう)。
いずれにせよ「動く」ということは意味があるということを理解した上で、ト書きは書くべきです。
例:
〇リビングキッチン(夜)
夫、テレビを見ている。お笑い番組で二人組がコントをしていて間欠的に笑い声が響く。
仕事から帰ってきた妻、冷蔵庫を開けて牛乳を取り出す。コップに注ぎながら、
妻「昨日の昼、あなたと田中さんの奥さんが歩いてるの見たって聞いたんだけど」
夫「え? 気のせいだよ。昨日は家でDVD見てたよ」
情報が増えると、小説のようになっていきます。このシーンで「お笑い番組」や「牛乳」がストーリー上で重要なのか?
脚本家が演出に踏み込みすぎともいえます。実際の撮影では、監督やスタッフがこのシーンにぴったりのテレビ番組や飲み物を考えます(テレビを消すとか、飲み物以外を取り出すという選択肢も含めて)。
「牛乳がとくとくとコップに注がれる画」が綺麗に撮れて、意味深に見える可能性もありますが、作品全体から見て重要でないようであればノイズになってしまう可能性があります。
あるいは監督が、脚本にはない描写を入れすぎてノイズになってしまう可能性もあります。
脚本家と演出家も「人物がどう感じて、その動きをしているか?」「それを見て観客がどう感じるか?」から離れてはいけません。
カメラのムーブ
先のホラーの例で書いたように、カメラを動かすときは「観客の気持ち」に合わせて動かすというのがポイントの一つです。
POV(人物の視点)は代表的なショットです。人物の視点を、そのまま観客に共有するショットですから、観客が見たいと思っていないときに使うと説明的で、ノイズにもなります。観客と人物の気持ちが合ってるときにこそ効果を発揮するショットです。
ビデオゲームのFPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)では全編が主人公=プレイヤーとなるのでノイズがありませんが、映画では全編POVというわけにはいきません。
TPS(サードパーソン・シューティングゲーム)のように、人物の真後ろをカメラがついていくショットはPOVとは効果が違います。人物とイコールではなく、その人物についていく視点ですので「決意した主人公がどこかへ乗り込むとき」などに多用されます。観客に「俺についてこい!」という印象を与えます。
背後からではなく、人物がフレーム内で動きながら、それに合わせてカメラも同期して動くショットもあります。これは基本的なショットなので、どんな映画でも使われていますが、人物の動きと、カメラの動きのバランス次第で、スピーディに見せたり、ただの説明的になったり、印象が変わります。
カメラをゆっくり動く場合もあります。テレビでアハ体験というのを見たことがある人は多いと思います。極めてゆっくりと変化するものは人間は認知しづらいのです。
以前の記事で主人公のアップに寄っていくことが重要だと書きましたが、ゆっくりゆっくりズームしていくことで、カメラを意識させずに観客の視点を人物に誘導していく演出もあります。
「フレーミング」の記事で書いてもよかったのですが「フォーカス」による演出もあります。いわゆるカメラのピントです。フレーミングとしてはピントを合わせることで、そこに視線を誘導することになりますが、ゆっくりとピントが合っていく映像というのはムーブの一種と言えるでしょう(分類が目的ではなく、総じて演出なので、どっちでも構いません)。
カメラのムーブに関しては、演出の領域が大きく、演出意図としてはショットの切り替えと同じなので、脚本で意識する必要はとくにありません。
ショットの切り替えや繋ぎ=トランジションとして意識することは大事ですが、そこをカメラのムーブにするかショットの切り替えにするかは演出の領域ということです。
まとめ
以上、ムーブという点に注目してきましたが、ショットとしては「フレーミング」の延長であるし、次以降の記事でとりあげる「タイム」や「トランジション」との関係も大きく、すべてが関連しあって「ショット」の演出につながります。その点はすべての要素に共通です。
また、考えるべきポイントとして共通してると言えるのは、
①「脚本上でキャラクターアークをしっかり描くこと」
↓
②「それに合わせた演出やショットを選ぶこと」
↓
③「テーマなど言外の意味が滲み出るような演出に全体を仕上げること」
脚本家であればしっかり①を書くこと、演出家であれば脚本を読み取り②を選ぶこと、③は両者の延長線上にあるのはもちろん、企画の方針自体に制限される場合もある(例えば予算とかキャスティングとか)ので、チームで認識を共有していなければ、辿り着くのは難しいかもしれません(規模によっては才能ある監督がワンマンで実現することもあるかもしれませんが)。
イルカ 2024.2.4
補足
フレーミングの記事で画面内の左右差について書くといっていて忘れてしましたので補足しておきます。
アメリカ映画では左から右への動きが自然の動きと認識される傾向があり、そのことが書かれていても納得のいく根拠が示されていないことも多いです。人間の心臓が左寄りなので左寄りが安心するとか、英語が左からの横書きになっているからとか、その程度です。画面内に文字が出てくることも多いので(看板とか)、文字の向きには納得感がありますが、外国ではどうなのか?という疑問が残ります。ただ、少なくとも日本ではアメリカ映画に見慣れている人が多いので「左安定」に基づいて撮られた映画を見ている経験も多くなり、日本やヨーロッパではこの効果は通用すると考えて良いと思います。アメリカ映画があまり入っていないような地域の映画をみると、方角が意識されていないものも多く、それは「左安定」どころか、そもそもの技術力の問題を多く感じるので、どちらとも言えません。日本で左安定のことを言っている人として『映像の原則』を記憶していますが、そこでも納得できる根拠は示されていなかったはずです。アニメの画コンテでは、画面の横にセリフを横書きするので、英文と似た印象を持つのかもしれません。そもそも演出効果というのは、観客の感情をコントロールすることですが、どういうものを見たときに、どう感じるかというのは、人間の身体などに基づく原始的なもの(上下方向=重力のような)と、文化や地域に根差したものや、その作品固有のものがあります。文化や地域的なものというのは無数にあるし、説明はいらないかと思いますので割愛します。作品固有のものというのは、これこそが脚本家や演出家がしっかり意識するべきことですが、長くなりそうなので、また別の記事で書こうと思います。