時代に抗う物語(文学#96)

映像を倍速で見る観客が多い、コスパやタイパを重視する人が多い、それが良いか悪いかの評価はどうでもいい。

世界のあらゆるものは加速してきたし、今後もしていく。そんな社会批評なんかもどうでもいい。

自分も含めて、コスパやタイパを求める人が増えているのはただの事実で、そういう人たちを観客に含めた上で、作家として何を書くかのが大事。

自分がどんな作品を倍速にするか、どんな作品は通常で見るか。それは何故か。

倍速にしないと耐えられないのは、作品自体の力不足、作り手の技術不足の可能性も大いにある。

飽きさせなければ早送りなどしない観客も多い。

自分が、倍速にされるレベルのものを書いていないか自省して、作家が物語のプロであるなら技術を上げるべき。

だけど、技術やアルゴリズムに基づいた「よく見られるもの」を作るだけでは消費されるだけ。

観客の時間や注目(インプレッション)を奪い合うレースに参加するだけ。

それは、アルゴリズムや法則に則れば則るほど勝てる。そこに作家性など不要。

芸術家の魂とか、そんな曖昧に聞こえるきれい事は捨てて、下品な作家になればなるほど勝てる。稼げる。

このレースでは、やがて作家自体が不要になるかもしれない。

お金を稼ぐためだけに「物語」というネタを使っているのは、もはや作家ではない。消費される物語を量産する機械に過ぎない。

稼ぎたいだけなら、作家より、もっと手っ取り早い稼ぎ方がたくさんある。作家を目指すこと自体、コスパもタイパも悪い。

技術やアルゴリズムを学ぶだけでは、作家になれない。

技術にはもちろんビートも含む。ビートなど、作家の前提技術にすぎない。

では、何が必要か?

人生において映画やドラマには、興味を持たない人が大多数で、そういう人に人生の時間を使ってでも見るべき価値のあるものは何か?

面白いだけでは足りない。本気で面白いか。見なければ、人生で損するほど面白いか。

何百万人という観客の人生の貴重な時間を奪うに値する物語なのか。

具体的な例えのが好みなら、映像化にはどれだけのお金が動くかを考えるだけでもいい。自分の物語に何億円を動かす価値があるのか?

何より、そういった覚悟をもって書いているのか?

一作品で結果を出せるとは限らない。むしろ出せないことが多い。

野球の毎打席でホームランを打てるわけではない(大谷の打率を見ればわかる)。

三振したとて、一振りにどれだけの気持ちを込めているか(そして、三振しても大谷の一打席にいくらの価値があるか)。

一振り、一振りの努力が、長い人生においてはライバルとの差になってくる。

数をこなすことは当たり前に大事だが、数だけで成長するつもりなら、尋常でない量をやるべき。

そこで、ライバルとの差がつく。

だが、それだけなら始めた年齢やセンスで勝てない相手もいる。AIには量やスピードでは絶対に勝てない。

一振り一振りへの魂の込め方で変わる。

魂というのは、もちろん抽象的な例えで言っているだけで、課題は一人一人違う。

「出来ない」と悩んだり、「自分は頑張っている」と気合いを入れることが、魂を込めることではない。

自分の足りない部分は? 欠点は? それらを改善するにはどうしたらいいか?

考えなければ頑張っていても、成長しない。機械と同じ。

他人の意見にもしっかりと耳を傾けるべきである。

いつまで同じような指摘をされているのか。本気で改善する気があるのか。

いつかできる? それは何年後? どういう根拠でできる?(下読みで何年経っても問題点が改善していない人の話もあった)

自分の作品が良ければ、観客は「面白い」「最高」としか言わない。有無を言わせないレベルのものを書けば良い。

そのレベルのものなら、必ず世に出れる。社会から求められる。

観客がわかってくれないなどという言い訳はいらない。

自分が書きたいものを書いているだけなら、プロにはなれないし、趣味で書いて自費出版でもしてればいい。

作家とは何たるか。

答えは一つではないが、誰かが言ってる言葉の受け売りで、自分を飾るな。

自分自身の人生から、自分にしか出せない答えを見つける。

見つからなくても見つけようとすること。

そこを向き合えない者には作家の資格はないと思う。

イルカ 2026.6.30

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