脚本からみる演出論(演出1)

これまで「物語論」に関する記事はたくさん書いてきたが、今後「演出論」を展開していく。

まずは「ショット」に関すること中心になるが、前提として「演出」と「脚本」の関係を整理しておく。

脚本と他の仕事の関係

「1スジ、2ヌケ、3ドウサ」マキノ雅弘の言葉だそうだ。

映像作品において、作品の質に関わるものを順番に挙げたもので、1スジ(筋)は脚本、2ヌケ(抜け)はカメラやショットによる映像、3ドウサ(動作)は役者の演技。

興収や人気といった観点からは、ちがった順番になりそうだが「作品の質」に関してはそのとおりだと思う。

ハリウッドの金言で「良い脚本から良い映画も悪い映画も生まれるが、悪い脚本から良い映画は絶対に生まれない」という言葉もある。こちらのがわかりやすいか。

ヌケやドウサを「演出」という言葉でまとめるとする。

制作の順序から考えても、脚本があって撮影に入るのだから「演出」より「脚本」が先である。

さらに言えば「脚本」の前には「企画」がある。

プロデューサーがスポンサーからお金を集めて、商業的なターゲットなどを定めてプロジェクトを動かし、その過程で脚本が書かれる。

「なんでそんな作品を作ろうとするのか?」というような弱い企画から、面白い脚本を創るのは至難の技といえる(例えば予算がないのに大作アクションを書くというには工夫が要るし、予算によっては不可能)。

そういう意味では、作品の一番重要なのはプロデューサーの仕事と言えるかもしれない。とくに興収といった面での影響は大きいだろう。

だが作家個人で物語を創る場合、つまり小説だとか、応募用の脚本といった場合では、作家自身が「企画」も兼ねている。これは、物語にはフックが必要ということと通じる。(参考:フックのある企画から

作品の出来を決める大きな要素を、制作の流れで並べてみると「企画」→「脚本」→「撮影=演出」→「編集」がある。

たとえば「企画」として「クールなアクション映画」があったとする。

予算も十分、美男美女のキャストも押さえて、原作マンガも揃ったとする。企画としては及第点。

次に「脚本」が書かれる。

企画が「クールなアクション映画」であるのに恋愛やコメディばかり入れて雰囲気を崩してはいけないし、原作に「クールなアクション」が不足していたら追加する必要もあるかもしれない。

脚本技術については当サイトに膨大な記事があるので、ここでは割愛するが、企画の流れをしっかり汲んで、増大できるかが制作の一連としては重要である。

「脚本」が完成稿となり、撮影に入る。

そこでは監督と役者を中心に、撮影が進められていく。

「脚本」の内容から、現場レベルでの変更がある。これは当たり前のことでもあるし、演出家が優秀であれば歓迎するべきところでもある。

「企画」の流れを「脚本」が増大するように、「脚本」の流れをさらに「演出」で増大できれば、作品はもっとよくなっていく。

そして、撮影をおえた映像素材と、音楽やVFXを合わせて、まとめ上げるのが「編集」である。(※〝音楽と音響効果をつける「ダビング」をやるのは「編集」後なので、厳密に言うとちょっと違う〟とのご指摘をいただきました)

「ない袖は振れぬ」で、「編集」で作品の質を増大させることは難しい側面があるだろう。

しかし、「編集」で台無しにしてしまうこと多分にある。

ここまで「企画」→「脚本」→「撮影」と勢いを増して流れてきた作品を壊さないことが重要といえるだろう。

良い「脚本」を書くには、「企画」の方向性をしっかり汲み取れるセンスが必要だし、「演出」や「編集」を理解した上で書くことが望まれる。

「企画」はプロデューサー、「演出」や「編集」には監督や編集担当がいて、それぞれが、それぞれのプロフェッショナルであるべきだけど、同時に他の仕事を理解していることでスムーズにやりとりができるし、自分が担当する仕事の質を上げることができるのである。

脚本からみる演出論

僕はあくまで脚本家なので、演出効果の専門家ではない。

だけど、脚本家だからこそ「演出」に対して見える部分というのがある。

脚本が良いのに、演出がベタ過ぎたり、もったいないシーンというのがある(脚本>演出)。

逆に、とても映像の印象はいいのだが、セリフは微妙なんてシーンもある(脚本<演出)。

両者ががっちりと噛み合っているシーンは、素晴らしくて引き込まれる。

演出や脚本を追求していない人(もちろん素人も含む)は、シーンを見て勝手に「演技がいい」とか「セリフがいい」とか言っているが、本質的にどの仕事が影響を与えているかは理解していない(区別して理解できていない)と感じる。

観客の目を惹きつけるといった点を追求するのが、演出効果のように思われてしまっているようだが、脚本を専門にしている人間からすると「感情演出」こそが、脚本の流れを汲んで増大させる演出だと思う。

派手な演出でもキャラクターの感情を潰していると、観客の目は引けつけることはできても、没入感を阻害してしまう。

脚本上、驚かせるべきシーンで、わかった上で派手にするのは正しい演出だが、その判断は脚本をしっかり読めていなければ判断できない。

もちろん、そもそも脚本がしっかりとしたアークで書かれている前提でもある。

しっかりアークが描かれていない場合、良い意味で誤魔化す派手さが、作品として効果的な場合もある(それは脚本家の仕事が悪い)。

こういった観点から「脚本からみる演出論」を、今後展開していく。

次から記事では「ショット」について考えていく。

なお、分析例のように「ショット」に関する具体例も挙げていく予定だが、作品の画像を使用するため著作権をふまえて、一般公開はしない予定。

緋片イルカ 2023.10.21

次:「情報」と「印象」を伝える(演出2)

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