「情報」と「印象」を伝える(演出2)

前回:脚本からみる演出論(演出1)

「情報」とは?

今回はショットから伝わる「情報」と「印象」について考えていく。

説明する前に、一枚の写真を見てもらった方が早いだろう。

フリー画像のサイトから、適当に拾ってきたものである。

この写真には、どんな「情報」が含まれているだろうか?

あるいは、この写真にタイトルをつけるとしたら、何とつけるだろうか?と聞いてもいい。

シンプルに考えれば「クリスマス」や「雪の国」などが浮かぶ人が多いだろう。

元サイトでのタイトルは「煌びやかにライトアップされたクリスマス一色の街の様子の無料AI画像素材

リンク先のカテゴリーを見ると「イルミネーション」「ライトアップ」「冬」などもついている。AI画像生成で作ったものらしいので「AI画像」というのもある。

どれも、多くの人がこの写真を見たときに浮かべる言葉だし、誰かに言われても納得もする言葉だろう。

つまり、この写真から伝わる「情報」と言えるだろう。

「印象」とは?

もう一度、同じ写真を見てもらう。

どんな「印象」を受けるだろうか?

「情報」ではなく、どんな「印象」を受けるか?

クリスマスからの連想で「楽しさ」「賑やかさ」を感じる人は多いかもしれない。

色味として暖色系であり「暖かさ」も感じさせる。画面左と右下のフォーカスの合っていない部分は、炎のゆらゆらしたものも連想させる。

「AI画像」だと強く感じた人であれば「違和感」「作りもの感」「偽物感」をもったかもしれない。

ファーカスの合っている部分が、画面中央の家の屋根、右側の建物、手前のツリーあたりと、アンバランスで何を伝えたいかわからないという印象があるが、いかにもAIらしい。

カメラであれば撮影者が何を撮ろうとしていたのかが構図やフォーカスに出る。

人間は写真を(限らずだが)見たとき、客観的な情報を受け取り、同時に主観的な印象を持つ。

「印象を与える」という言葉があるが、撮影者が構図やフォーカスを工夫して、伝えたい方向に誘導することが演出である。

もっと、わかりやすく言えば「盛る」とか「映え」か。

自撮りでかっこよくかわいく見せたいと思えば、撮り方に工夫する。加工アプリなどは編集段階でのカラコレやVFXと変わらない。

盛られていても、相手がいいと思うかどうかは、個人差もある。

それでも、ある程度は印象操作はできるし、物語に感情移入させていくには演出が欠かせない。

演出とは?

人物の設定やそのシーンでの状況(何が起きているのか?)などの伝えるべき「情報」を過不足なく的確に伝えるというのは、演出以前の基礎技術といえる。

その基礎技術を土台に、物語(脚本)に沿って伝えたいものへと観客を誘導していくのが演出といえる。

たとえば「主人公が人通りの多い駅前を歩いているシーン」があるとする。

これを遠くから撮って主人公が人混みに紛れていたら、観客は認識しづらくなる。主人公が「主人公である」と伝わらない。

ちゃんとカメラで寄って、主人公の顔をアップで見せてあげれば「ああ、この人が登場人物なんだな」と認識できる。

カメラが寄るということは、観客に「この人を見てね」と誘導することである。

もちろん、ミヒャエル・ハネケのような、あえて人混みに人物を置くような演出もあるが、その場合は、じっくりと観客がその画面から意義を探す時間を与えていて(ざっくり言えばウォーリーを探せだけど)、そのショットの長さがあるからこそ成立している。基礎をきちんと分かっている監督だからこそできる、応用技術といえる。

基礎技術は撮影のスクールなどいけば基本として教えてくれるだろうし、本でもわかりやすく書いてある。

専門用語など知らなくても、体感的に「わかる、わからない」の判断ができる人であれば、習わなくても分かる。

基礎技術はこういう単純な話である。むしろ、人類に共通ぐらいの感覚であるからこそ基礎技術といえるのである。

当たり前だがストーリーに無関係な人物の顔が寄ったりしたら、観客に誤解を与える。

プロの作品でも、エキストラの顔が印象に残るような撮り方をしてしまっている例はよく見る。

おそらく、シーンの状況を説明しようとすることに意識がいってしまっていたり、自分の美学でかっこよくとろうとするあまり、観客がどう思うかが疎かになってしまっているのだろう。

観客は、そういったブレたショットが入る度に、無意識的に、主人公から興味が離れていってしまう。

「目移り」するともよく言ったものであるが、カメラで映すということは、観客の視点を強制することである。

『時計じかけのオレンジ』にあるような強制的に映像を見せることは拷問にも似ているし、つまらない映画を見せられると劇場から出ていきたくなるのである。

これは演劇と映画の演出の差異にもつながる。

演劇では舞台上のどこを見るかは観客に委ねられている。

それゆえ、注目を集める工夫が必要になり「芝居がかった」というような大げさな演技が効果的になることもあるが、同じことをカメラで映した途端、嘘くさく見えてしまう。

演劇との違いも機会があれば記事にしたいと思う。

緋片イルカ 2023.12.1

次:「情報」や「印象」を脚本に書く(演出3)

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