Twitterで「バズったら宣伝してもいいと言われたので……」というのをときどき見かける。
バズった「ご褒美」のような感覚で、悪気はないのだろうけど、その心理的背景には、
「バズる=おもしろいこと言ったんだから宣伝してもいいよ」
さらに裏を返せば、
「他人を楽しませないで、自分の宣伝ばっかりしてるんじゃねえよ」
という前提があるようで好きじゃない。
おもしろい人を言える人は宣伝する権利がある、つまらないやつは宣伝するんじゃない、という怒りのようなものすら感じるときがある。
企業による執拗なコマーシャルに辟易することはある。一方で、そのスポンサーが出したお金で、無料で提供されているものが、ある。テレビはもちろん、Twitterのシステムメンテナンスやあれやこれやだって、誰がやっているのか、無料で使えるのだ(と、しまうまさんがどこかで言っていた)。
エンターテイメントを職業にして、お金をもらって「おもしろさ」を発信している人であれば、ある程度は仕方のない部分はある。
レストランでいえば料金に見合った「おいしさ」や「食事の愉しみ」を提供して欲しいように、エンターテイナーはそれなりの「おもしろさ」を提供しなくてはいけないし、ときには、到らなくてクレームを言われるも仕方がない。
けれど一般人のツイートでおもしろさを求めるのは、言論に圧力をかけているのと同じだと思う。
すっかり、昔のことになってしまった感はあるけど「愛知トリエンナーレ」の問題でも、展示作品の良し悪しはともかくとして、展覧会を中止させるのは、やり過ぎだったと思う。クレームを入れた人の中には、展覧会に足を運んですらいなくて「○○さんが言っているから」というだけで、脅迫めいた電話を入れた人もいた(後悔した本人がNHKの取材に答えていた。NHKのやらせでないとは前提とする)。
趣味として自由に表現活動をしている人だっている。
それは、プロに比べれば拙いものだし、それこそバズってプロになっていく人に比べたら、おもしろくないだろう。
その作品に値段をつけている人もいる。100円だろうが、500円だろうが、お金をとる。
けれど、プロかというと、それを職業にしている訳ではないだろう。
手作りアクセサリーのようなものに材料費、作業費がかかるように、創作活動にも作業費はかかる。
誰かが趣味でつくったものを、買いたい人が、買えばいいだけのこと。それを宣伝する権利だってあるはずだ。つまらないという理由で、それが奪われてはならない。
ツイートはふと思っただけのことを、つぶやくこともある。
tweetは「小鳥のさえずり」という意味らしいが、日本でツイートは「つぶやき」と訳される。
「はあ、疲れたな」と呟いただけで「みんな、疲れてるんだ!」と批判される。
冗談めいて「死にたい」と呟いただけで「本当に苦しんでいる人に失礼だ!」と否定される。
「言いたいことも言えないこんな世の中」ではストレスも溜まる。
「POISON~言いたいことも言えないこんな世の中は~」1998年の曲らしい。ところでググりついでに「この曲はヒットしたが、poisonとは毒という意味であるため、この年に発生した和歌山毒物カレー事件の影響で、反町はこの年の紅白出場者に選ばれなかった。(Wikipedia)」ってなんだよ……。
もう20年以上も前からこんな社会に生きているらしい。
バズろうが、つまらなくても宣伝していい。言いたいことを言えばいい。
何人も、表現する者を黙らすことはできない。
聴きたくない意見はブロックすればいい。されど、批判する者を黙らしてもならない。
緋片イルカ 2020/04/24