ありがたい話を断る

本日、三年ぶりぐらいになるか、久しぶりにお電話をくださった方がいた。
とある事務所の方で、映画会社が有名マンガをシナリオ起しできる人を探していて、やってみないかという話だった。

身に余るありがたい話だった。が、断らせていただいた。
現在、僕がとりかかってるのは、三月末の公募三本。通る保証もないし、間に合うかもギリギリのところになってきている。
シナリオ起しを引き受けたら、間違いなく間に合わないだろう。
その有名マンガを読んだこともないし、とにかく片手間でやれる仕事ではない。

電話をくださった方とのつながりで、仲の良かった友人の顔が浮かんだ。彼らとも、最近は会えてない。

一人は、もったいないと言うだろうな。どんな小さな仕事でも、それが、どこで何に繋がるかわからないから、とりあえずやってみたらいい。というのが彼の考え方だ。それはそうだと思う。数年前なら二つ返事で引き受けていただろう。
だから、僕も断っておきながら、これで良かったのだろうか、とぐだぐだとこんな文章を書いている。

もう一人は、自分で決めたならそれでいいだろ、と竹を割ったような性格の彼はそう言うだろう。それもそうだと思う。
今は脚本と距離を置いている。小説をやろうと決めている。
人間には時間にも能力にも限界があるから、何でもかんでもやることはできない。

恋愛とも似ている。
誰かと交際しているところに、むかしの恋人によりを戻そうと言われても、できない話だ。
その人を嫌いなわけでもないし、気持ちは嬉しくても、どうしても、できないということがある。

いや、そんなの簡単だと複数の相手と付きあうこともできる。
仕事と家庭でもいい。子育てと仕事でもいい。
表面的ならそれも可能だが、時間に限りがあることを思えば、何かを選べば何かを捨てていることになる。
何でも、手に入れようとする人もいる。器用にそれをこなす人もいる。
けれど、何かに時間を使えば、もう一方に時間は使えない。
決めたなら、決めたことをしっかりとやるべきだ。「間に合うかギリギリのところ」なんて言わず、間に合わせるんだ。
それが断った相手に対する礼儀だったりもする。

実は、以前にもありがたい話をいただいて、それなりに現場に入り込んだものの、馴染めなくて断ってしまったことがある。顔を潰してしまった形だ。
それなのに、またこんなに時が経っても、話をもってきていただけるのは感謝以外ない。
シナリオ起しという話があったときに、一番に僕の顔が浮かんだといって、電話をくれたとまで言ってくださった。
それを断るのだから、己の書くべきことを書くしかない。
また、飯でも行きましょうと言ってくださった。いい報告をできるように、いいものを書くしかない。
きちんと結果を出せれば、いつか、こちらから話を持っていって恩返しできるかもしれない。

人生は小さな決断の連続で、大きい問いには悩むことがあるけれど、ほんとうは、それ以前の小さな決断に動かされている。
今日一日、何をするか。
だらだらとネットをするか、たまたま点いていたテレビを見るか、それらをやめて書くか。
日々の小さな決断で、大きな流れができる。
自分が、いま、どんな流れにいるのか。
きっと、シナリオ起しを引き受ける流れではないのだと思う。数年前なら、二つ返事で引き受けていた。

我が道を行くことは、けして孤独ではない。
何年も会わずとも、連絡とらずとも、見えないところで繋がっている誰かに支えられている。

やるべきことを、やるだけだ。

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