タカハシさんは地味な子、と誰もが思っていた。
長い黒髪に、黒縁の眼鏡をかけて、俯き加減に歩く彼女。休み時間になると教室のすみっこで、仲良しグループとひそひそと話している。テレビや音楽の話でもしている、おそらく男子や恋の話はしていないだろう。部活は、何に入っているかわたしは知らないが、運動部ではないのははっきりしている。
わたしがタカハシさんについて感じていたことと言えばそれくらいだった。
理科のグループ実験の時だった。わたしは名簿順でタカハシさんと同じグループになった。
「そこの試験管、もう少し上げた方がいいよ?」
それは、わたしがタカハシさんに初めて話かけられた言葉だった。
「どうやんの?」
タカハシさんはわたしの方へ回って、試験管を直してくれた。
「ありがと」
タカハシさんは目を合わせずに小さく頭を下げてテーブルの反対へ戻っていった。わたしの前を通った時、タカハシさんの髪から、百合のような甘い匂いがふんわりと漂ってきた。
わたしの心臓がドキンと鳴った。
男子がそしらぬ顔をしてタカハシさんの後ろを歩いて、仲間達のもとへ戻っては「におう、におう」「次、俺も嗅いでくる」などと言って騒いでいた。
わたしが「タカハシさんに彼氏が出来たらしい」という話を聞いたのは、それから1週間してからだった。
部活の後、更衣室でミズキが教えてくれた。
「相手は誰? クラスの人?」
わたしはミズキに聞いた。
「何か、年上って噂だよ?」
「年上って三年生とか?」
「いや、先生とか」
「先生? それはさすがにないでしょ? だって若い先生って…いなくない?」
「まあ、噂だからね。」
「そういえば理科の実験の時、いい匂いしたよ。」
「うん。オーデコロンつけてるんだって。」
「何か、いいね。」
「そう? 何、色気づいてんのって感じするけど?」
「…まあ、そうだね…。」
「ユミのグループも、何かキレてた。」
「へえ…そうなんだ…。」
わたしの心臓がドキンドキンと波打った。
ミズキとわたしが校舎を出ると、駐車場のところに、うちの生徒が集まっていた。
それは近づくまでもなく、タカハシさんを囲むユミのグループだと知れた。
ユミがわたし達に気付いた。
「部活の帰り?」
「うん。」
ミズキが答えた。
「おつかれ~? もうすぐ大会だったっけ? 頑張ってね?」
「ありがと。」
「じゃあね?」
ユミが言った。
「うん。じゃ、また明日。」
ミズキの横でわたしは薄ら笑いをうかべていた。
駐車場から離れるとミズキが言った。
「あれ、やばくない?」
「…うん。誰か呼ぶ?」
わたしが言った。
「いや…。無理でしょ…。」
「無理…?」
「あたし達も気をつけようね?」
「え…?…うん…。」
横断歩道の青信号が点滅しはじめた。
「あ、渡っちゃおう?」
ミズキはそう言って走り出し、わたしもそれに続いた。
信号は赤に変わったが、わたしの心臓はドキンドキンドキンと点滅しつづけているようだった。走ったせいだけではなかった。こんな心臓はいっそ赤になって止まってしまえばいい、とわたしは思った。
(了)