ストーリーサークル3「視点」(文学#36)

今回はストーリーサークルの「視点」について説明します。

その他の要素については以下のリンクからご覧ください。
「ストーリーサークルとは何か?」という概略は1「題材」にて説明しております。

ストーリーサークル目次
1「題材」(概略含む)
2「人物」
3「視点」
4「構成」(題材∩人物)
5「テーマ」(題材∩視点)
6「描写」(人物∩視点)
7「物語」(構成∩テーマ∩描写)

「視点」とは……

一言でいうならば、作者の「モノの見方」「価値観」「思想」「哲学」などです。

これは作者が意識しなくても、物語に大きく影響しています。

たとえば「戦国時代、織田信長の本能寺の変」という「題材」をあつかうとしましょう。

「明智光秀が信長を討った」ことは歴史的事実ですが、「どうして明智は信長を殺したのか?」には様々な意見があって、これは歴史的解釈です。

明智を好きな作者と、嫌いな作者では、書き方も展開も変わるのも想像できます。これが「視点」のちがいです。

資料として、明智と同時代の人が「これこれの理由で信長を殺した」というものがあったとしても、書き手の主観に過ぎません。やはり解釈です。

ましてや、創作になれば、資料の有無など関係ありません。

「信長は死んでいなかった」とか「タイムスリップして現代に来る」とか、そんな物語が無数に創られています。

同じように信長や明智を扱っていながら、それぞれ違うストーリーになっています。

作者が違うからです。作者が違うということは「視点」が違うことに他なりません。

「視点」の違いは、オリジナリティにもつながるのです。これについては「題材」と「視点」の共通部分にあたる「テーマ」の記事で、改めて説明します。

エンタメとアート

「視点」を測るための一つの尺度として「エンターテインメント」と「アート」という対極を置いてみます。

どちらも定義が広い言葉なので、一概には言えませんが、いくつかの対義語で示してみますので感覚的に掴んでください。

「エンターテインメント」は観客を楽しませるもの、「アート」は観客を考えさせるもの。

「エンターテインメント」は観客をいい気分にするもの、「アート」はときに観客を不快にする(だから怒る人がいる)。

「エンターテインメント」は安全な価値観で描かれる、「アート」は危険な価値観の提示。

「エンターテインメント」はハッピーエンドが多い、「アート」はバッドエンドも許される。

「エンターテインメント」はマジョリティを対象とする、「アート」はマイノリティを対象とする。

「エンターテインメント」は売れやすい、「アート」は売れにくい(けれど何かの拍子にバカみたいに売れることもある)。

どれも厳密な定義ではありません。雰囲気として捉えてください。

小説でも映画でも、こういった違いがあることは、感じられると思います。

一応、一つずつ作品を挙げておくなら、

エンターテインメントは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、

アートは『アンダルシアの犬

とでもしておきます。

小説では直木賞はエンターテインメント作品、芥川賞は文学作品に与えるという分類があります(文学とエンタメの境界はなくなってきているとも言われますが)。

シネコンのような大手映画館と、単館映画で上映しているものでは、作品の系統に違いがあります。

マンガでも、週刊誌連載されているものと、書き下ろし漫画(たいてい本が大きい)ではテーマや内容も違いがあります。

経済活動の流れにのっている「物語」は、売上げに影響されるのが大きな原因ですが、「物語」の内容からも違いが生まれるのは言うまでもありません。

売れるからといって『バトル・ロワイアル』を岩波少年文庫に入れるわけにはいきません。

これが法律になるとPG-12とかR指定などのレイティングにもつながります。

このようにエンタメ寄りか、アート寄りかという尺度は感覚的ではありますが「視点」の一要素です。

「ライターズコア」について

前回の記事で「人物」とは人間探求であって、答えがあるものではないということを書きました。

「視点」も同様です。

キャラクター同様、作者も人間ですから、作者の数だけ「視点」があって、その価値観に良し悪しをつけることなどできません。

とはいえ、若い作者や、確固たる「視点」のない作者が書くものは、どこかで見た物語に似てしまいます。

それは、まさに経験の少なさによるところです。

経験とは人生経験であり、作品にどれだけ多く触れたかの経験です。

読書経験の少ない若い人が、ある作品に感動して「こんなものを書いてみたい!」と思って書けば、どこかで見たような物語になるのは、言うまでもないでしょう。

いろんな作品に触れて、人生での葛藤や成長を経験した上で、オリジナリティが出てきます(これを作家性と呼んでもいいでしょう)。

物語を書くのに人生経験が必要なのは、精神論ではなく「キャラクターアーク」を描くためです。

何かを乗り越えた経験のない人に、主人公の成長や変化など描けるわけがありません。

三幕構成の理論ばかり勉強しても、キャラクターを理屈で動かしては、滑らかなストーリーになりません。

比喩的にいえば、曲線で描くべきアークが、カクカクしているのです。理屈は通っていても、違和感があるのです。

これは年齢ではありません。経験です。人生経験だけではなく読書経験も含みます(読書は人生の疑似経験だからです)。

スクールなどで素人の作品を読むと感じますが、年を重ねていても順風満帆に生きてきたような人は「主人公の葛藤」を描けません(ただし、コメディやミステリーのような主人公の精神的成長を必要としないジャンルなら書けるかもしれません)。

安易な「物語を書いてみたい」「作家になりたい」といった動機で書き始める人で、数年のうちに辞めてしまう人が多くいます。

そういった人の動機は「欲求不満」であって、解消するのに物語を書くなんて遠回りであって、もっと直接的な方法で解消する方が適切です。

どこかで不満が解消されるか、物語では解消できないことを知って、書かなくなっていきます。

賞賛されたいという「承認欲求」で書いている人の物語はたいてい独善的で、褒められることばかり求めるので。上達しません。

上達しないのでだんだんと褒められなくなって辞めていくか、誰でも褒めるような講師がいるスクールに何年も通い続ける人がいます。

ヒット作を出して売れたいという「金銭欲求」で書き始める人は、労力が割に合わないと気づきます。

物語を何百枚も書き上げて、他人に言われて、書き直してという労力は、根本的に好きでなければ続きません。

パっと出で、あっさり売れてしまう人も中にはいますが、それでも、その後に書きつづけていけるかの岐路に立たされます。

「趣味」として、だらだらと書きつづける人もいます。自由に書けばいいし、面白いものを書く義務もありません、他人の評価なども気にせず、自分の書きたいことを好きに書けばいいでしょう。

趣味で書いている人の作品に、あれこれと批評するのは野暮というものです。庭で花を育てている人に、花付きが悪いなどと専門家めいたアドバイスなど必要ありません。

物語を書く理由が何にせよ、「書こう」という動機、さらには「書きつづけていく」原動力が必要です。

それを「キャラクターコア」になぞらえて「ライターズコア」と呼んでいます。(参考記事:「ライターズコア」

その「視点」に拘り続けて、書きつづけていく作家は「ライフワーク」となっていくでしょう。(参考記事:「ライフワーク」))

「視点」の根元はこういったコアから出てきます。

アイロニー(皮肉)について

これまで書いたことと矛盾するようですが「視点」イコール「作者の視点」ではありません。

以下のような場合もあるからです。

ある作家が「憲法9条改正に反対」の視点を持っていたとします。

彼はサタイア(風刺)の作風を得意としていて「憲法9条が改正されて、徴兵令が復活して、アジアを侵略して国が豊かになってハッピーになっていく物語」を書いたとします。(筒井康隆先生が浮かびました)

さて、この作品を読者はどう受け止めるか?

読む側のリテラシーの問題です。

安易に、物語の結論だけを抜きとって「戦争賛美」だと言う人もいるでしょうし、作者の作風を知っていて「これは皮肉だ」と受け取る人もいるでしょう。

受け止め方は読者の自由ですが、「視点」=「作者の視点」とは限らないのです。そのことは留意しておくべきです。

作品を書くとき、作者が「視点」を意識していない場合は、無意識的に作者自身の考えが投影されます。

しかし、意図的に「視点」を変えていくこと、創っていくこともできるのです。

これがストーリーサークルを活用して「視点」を考える意義なのです。

次回はストーリーサークル「構成」について説明していこうと思います。→ ストーリーサークル4「構成」(文学#37)

緋片イルカ 2020/12/08

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