同時代の小説(文学#42)

昨日の読書会で芥川賞選考委員の川上弘美さんの言葉を紹介させていただきました。

 新型コロナのもとでの生活が始まって、一年近くになります。日常は揺すぶられ変化しましたが、その変化や揺すぶられかたは、いったいいかほどのものなのか、今この時を生きているわたしには、はっきりと測ることはできません。それがいくらかでもわかるのは、おそらく時が過ぎて今を過去として振り返った時なのだと思います。
 けれどそれでも、小説家たちは、「今この時」のこととを書く。一見「今この時」のこととは思えなくとも、どの小説にも必ず「今この時」の照り映えが示されているのです。誰にも正確に測ることのできないことを書く。それはとても無謀なことであり、難しいことであり、不安なことに違いありません。そこに挑んでいる同時代の小説家たちを、わたしは尊敬します。デビューしたばかりの新参も、長く書きつづけている老成も、いくばくか書き続けている中間も、誰もが同等にその困難に立ち向かっている。

とても共感できる言葉でした。「デビューしたばかりの新参」という言葉があるので「老成」も「中間」もすべてプロの小説家を指しているように読めますが、川上さんの意図には「デビューしていない小説家」を含んでもいいのではないかと思います。

何度も落選してそれが叶わないようなデビューを目指している過程の人だろうが、うまく仕上げきれずに悶々としている人だろうが、趣味としてネットに投稿している人だろうが、あるいは、ただ感情にまかせてノートに書き付けている人ですら、小説を書いているなら「小説家」と呼べるのではないでしょうか。まだ書いたことがないけど、書きたいと思っている人だって含んでいいかもしれません。ネタを探すとか、構想やプロットを練る段階だって小説を書く一部だからです。

そういう小説家が生きていれば「同時代の小説家」です。

死んでしまった人はもう書けません。

だけど、今、この時代に、まだ生きている人であれば、これから書けるのです。

その作品がが、とても素晴らしい作品になる可能性だってあるのです。

完成しなかったとしても、小説を書くという行為が、川上さんがおっしゃるように無謀で、難しく、不安なことに挑むことであり、それが失敗したとしても挑んだことに価値があるのです。

銀河鉄道の夜』は宮沢賢治の死後、発見されました。一般に流通しているのは第三稿ですが、「ほんとうのさいわい」を求めつづけた賢治にとっては、まだ完成していないかもしれません。

コンスタントに作品を発表しつづけて、商業的に成立しているプロだけが「作家」ではないのです(僕はこのことを、ある編集者の言葉で強く気づかされました)。

作品が素晴らしければ、たくさんの人が読みたいと思い、結果的に売れていくということは当然です。

一方では、作品が低劣でも宣伝や話題性だけで、信じられないくらいに売れてしまうことがあるのも、誰もが知っています。

けっして売れることだけが価値ではありません。

感動を与えるものこそが本物です。

感動というのは、エンターテイメントがウリにする「感動の涙」といった、狭い感動ではありません。それは感動の一種に過ぎません。

読んだ人の心を揺さ振り、価値観まで変えてしまうような衝撃的な感動もあるでしょう。

その衝撃を受け止めきれず、作品に怒りや嫌悪を感じることもあるかもしれません。

もちろん、すべての人が一様に、感動する物語などありません。

ある人は感動したと言い、別の人はくだらないと言う。

ある人はよくわからないと言うものでも、別の人は深みがあると言う。

それが正しいのです。すべての読者が讃美する独裁者のような物語があるとすれば、それは作品の魅力ではなく、別の力が働いているにちがいありません。

だから「同時代の小説家」を読む「読者」も重要なのです。

作者が無謀で、難しく、不安なことに挑んでいることを、汲み取るのは「読者」です。

表面的なおもしろ味とか、話題になっている、売れているといった外界の評価に惑わされずに「自分で読み込むこと」がとても大切だと、僕は思うのです。

自分の視点で作品を読むこと。

売れていようがダメだと思えばダメだと言う、素人の書いたものであろうが良いと思えば良いと言う。

それを一人一人の読者がしていかなければ、売り手である出版社や編集者は、売れ線を出し続けます。

もちろん、勇気と覚悟がある編集者は、本物を見つけて、それを人に伝えるために売ろうとするでしょう。

作家は「売れているから」「売れそうだから」という空気に流されて書いてはいけないし、編集者は書かせようとして作者を潰してはいけない。

読者も、自分にとっての本物を真剣に読んでほしいと思うのです。

小説は、ときに作者と読者の対話です。作者が話し手だとすれば、読者は聴き手です。

尊大で無責任な話し方をする作者の言葉に、読者は耳を傾ける必要はありません。

けれど、身なりのしっかりしただけの詐欺師に気をつけたり、寝穢くとも本当の言葉を使う作者を支えてあげてほしいのです。

作者と読者の反応の中で、今を生きる「同時代の小説」が生まれていくのだと思います。

緋片イルカ 2021/03/07

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