【言葉の軽重を問う】(文学#15)

鼎の軽重(けいちょう)を問う
[左伝(宣公3年)](周の定王の時、楚の荘王が、天下を取った時に運ぶことを考えて、周室伝国の宝器である九鼎の大小・軽重をたずねた故事による)統治者を軽んじ、これに代わって支配者になろうとする野心のあること。転じて、ある人の実力を疑ってその地位を覆そうとすることのたとえ。

かなえ【鼎】 カナヘ
(金瓮(かなへ)の意)食物を煮るのに用いる金属製または土製の容器。普通は三脚。大鏡(道長)「御堂の南面に―を立てて湯をたぎらかしつつ」

(広辞苑より)

たとえば、ある人が「恋愛とは悲しいものだ」と言ったとする。
アンニュイな雰囲気をもつ美人が遠くを見つめながらつぶやいとすれば、過去にドラマチックな恋愛を経験してきただろうなと想像する。

けれど、同じ言葉をお相撲さんみたいな体型の、いうなればデブ・ブスといわれるような人が野太い声で言ったらどうだろうか。
その人の経験ではなく、どこかのドラマかマンガで聞いたことばを口先でなぞっているのかも知れないと感じるかもしれない。

小説の冒頭であれば、これから、どんな切ないラブストーリーが始まるのだろうと思うかも知れない。
あるいは、その作家が、いつも怖いどんでん返しをつけるサスペンス作家であれば、おそらく一筋縄ではないかないはずだと期待をこめる。

言葉は内容よりも、誰が発したかに大きな影響を受ける。

フォロワー数が何十万人もいれば「おはよう」と挨拶するだけで、たくさんの「いいね」がつくが、真実をえぐる鋭いツイートをしてても認知されていない人は読まれもしない。

だから、まずは、みんな人気をとりにいこうとする。炎上して目立とうとする。話題になると金銭的にも潤い、成功者のようにいわれ、言葉はさらに影響を持つ。
不況の出版界では「売れる本」でなくてはダメだと語る。編集者が言うならまだしも、作家までが言う。
本当にいい本を探している編集者もきちんといるのは知っているけれど、メディアには出てこないから認知されない。

多くの人は民主主義を信じてて、それが与えられた教育の影響を受けていることまでは考えない。衆愚政治に陥っている可能性は疑わない。
多数決がいつでも正しいとは限らないと、ある程度、生きていれば経験したことはあるはずなのに。

己で考え、己の言葉をつかいたいと思う。

でも、言葉というのは借り物だ。小さい頃に学校で習ったから操れる。
そんな与えられたものの上で思考していくしかない。

外国語を学ぶことは面白い。語源も培った文化もまったく違う言葉に接することで視野が広がる。その国の人の考えを読むことができる。世界中の言語を学んでいる時間があればいいけれど、残念ながら人生はそこまで長くない。

世界中の言葉を使えたとしても、それでもやはり借り物だ。過去に誰かが作ったもの。どうしても、じぶんの言いたいことを表現する言葉が見つからないときがある。
じぶんで命名することもできる。けれど、相手はその新語の意味を知らないから、辞書の説明書きにように説明する必要がある。伝わらない可能性もある。
それでも、ああでもない、こうでもないと書き綴る。

誰かに何かを伝えるために。売れるためではない。

緋片イルカ 2019/10/20

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