物語論を語る人のタイプ
僕自身を含めて、物語論を語る人のうさんくささに付きまとうのは、
「で、あなたの書いたものは面白いの?」
という疑問です。
物語論を唱える人にはいくつかのタイプがあります。
1:研究者
大学院などの研究機関で、比較や分類を行って、論文を書いているような人たち。
2:現役作家
現役作家は「持論」を展開するため、大系だっていないことが多く、ジャンルやスタイルによって合う合わないはありますが、現場で通用するノウハウを持っています。
3:セミナー講師
創作講座などの講習を開いて収入を得ている人。
元作家や編集者のように肩書がある人や、文章やトークが上手く、予備校のように講習を開いている人もいます。レベルもピンキリです。
ロバート・マッキーのような世界的に有名な人もいれば、経歴も明かさずネットで本を出しているような怪しい人までいます。
4:アナリスト
分析やアドバイスをすること自体を職業にしている人。ハリウッドではアナリストという専門の職業が成立していて、分析と創作は別ものとして捉えられています。
日本では三宅隆太さんという方が有名ですが、読んだことはないので内容やどういった仕事に関わっているのかはわかりません。
『スクリプトドクターの脚本教室・初級篇』
『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』
柏田道夫さんは、以下のシリーズで構成表を載せて分析していて信頼がおけます(ただしハリウッドで重視される時間配分までは考慮していないようです。)
『月刊「ドラマ」別冊 エンタテイメントの書き方 1』
『ドラマ別冊 エンタテイメントの書き方 Vol.2』
『ドラマ別冊 エンタテイメントの書き方 Vol.3』
ハリウッド系では、たくさんの人がそれぞれの書籍の中で、自分の分析を書かれています。
三幕構成の本を紹介(基本編)
5:素人
上記の1~4の人は職業として物語分析をしているのですが、それ以外であれば素人ということになります。
もちろん当サイトもここに含まれます。
有料コンテンツをつくって、講習をできるといったことを言っていただくこともあるのですが、僕は「セミナー講師」を目指していないので、それはやりません。
僕はあくまで自分が「良い作品を書く」ために分析をしていますし、考えを整理するために記事を書いています。
また「文学村」として公開しているのは、共感、同調してくれる人がいれば、一緒に作家を目指す仲間を求めてもいるためで、そのための活動の一つが「読書会」です。
物語理論の目的
三幕構成のセミナーの講師をしている知り合いがいます。
元々、その方の講習をセミナーを受けたことが出会いのきっかけですが、その方は「現役作家」よりも「セミナー講師」だなと感じることが多々ありました。
講師には「受講者の質問に答える」という状況が発生して、それに対応するため「持論」に頑なになっていくのだろうと思います。
わるく言ってしまえば「ハッタリをかますようになる」のです。
本来の「魅力的な物語を創るため」の物語論が「受講者を納得さえて収入を得るため」の商売道具になっていくのです。
持論と合わない作品を例外として無視したり、論点を曖昧にして誤魔化す意見を耳にしたことがあります。
その方に企画を読んでくれと頼まれたことがありますが、ありがちのアイデアで驚いたことがあります(この驚きは僕の主観ではなく同じ企画書を読んだ数名の共通の感想でした)。
全く、物語論に触れたことのない人には、こういったセミナーも入口として有効だと思います。
大学受験でいう予備校のようなものです。参考書を読めばできる人は、書籍を読めばセミナーなどいかなくてもわかります。
けれど、大学に入った後の研究テーマは自分で考えなければいけません。
他人の、それも商売道具と化しているような理論では、観客や読者を感動させられません(それができるなら、そのセミナー講師が書いて、ベストセラーをたたき出せばいいのです)。
経済学の「○○の法則」なんかと同じですが、世の中はそんな単純ではありません。
それでも「いい作品」を書くために迷いながらも、努力していくのが作家で、その方法論の一つが本来の「物語論」であり「分析」であるのです。
うさんくさい理論家を見分ける方法
数年前と比べて、ハリウッド関連の翻訳本が、かなり豊富になってきました。
とくにシド・フィールドと『セーブザキャット』の認知度は高くなりました(ロバート・マッキーは翻訳本が遅かったせいか、日本での認知度がまだ低い気がします)。
そんな状況で「三幕構成」とか「プロットポイント」といった言葉を検索をすれば、たくさんの記事が出てきます。
プロから素人まで、ピンキリです。
映画監督が自分の作品を三幕構成で作ったと語っていたり、素人が研究じみた記事を書いていたりもします(他ではないこのサイトのことです)。
物語の分析は、結局は「物語の解釈」でもあります。
ただの読者であれば、解釈するのは自由です。好きなように読んで、好きなように解釈して、その感想をネットにあげるのだって自由です。
けれど、「魅力的な作品を創るための分析」であれば、作品から法則を抜き出すことが目的になります。
この作品が売れるのは、面白いしろいのは、どこに要因があるのか?
反対に、失敗した、つまらない、なぜか感動しないのは、どこに原因があるのか?
こういうことを、なるべく客観的に見つけることで、自分が作品を創るときの指標となります。
使える分析こそが、僕が目指す「良い分析」です。
セミナー講師のように「持論」を展開するためや、作品の悪口を言うため(あるいは誉めちぎるため)に構成用語を使うべきではありません。
個人的には、構成が悪いから面白くないといった言い方や、逆に三幕構成になっているから面白いといった褒め方が苦手です。
素直に「面白いと感じた」「つまらないと思った」と感じたままの感想を言えばいいのに……と思います。
構成の用語を使うなら、数学や科学のように、定義して、それに基づき理論立てるべきです。
それによって、客観性が保たれ、応用が可能な物語論となるのです。
専門用語を弄んでいる人の分析(僕はそれを分析とは呼びませんが)に共通するのが、時間やページ数をはかっていないことです。
ハリウッドでは、三幕のそれぞれの幕は「1:2:1」の分量にするというの基本セオリーがあります。
たとえば「プロットポイント」が、全体の何%の位置にあるのかを把握せずに、構成を分析しているなどとは言えません。
物型論を語って、用語を弄んでいる人は感覚や印象だけで、構成をとらえるので主観的になるのです。きちんと数値化することで客観性が保たれます。
僕自身、作品を読み終わった後の印象と、頁数を調べてみての分析では「プロットポイント」が変わることが、よくあります。
きちんと数値化しないと、客観的な分析にならないのです。
シーンを探して、頁数を調べて、エクセルに打ち込んでいく……地味で、面倒な作業ですが、これをやっているか、いないかが、きちんと分析しているかどうかの違いです。
自分の理論にする
ときどき「あの作品はどうなっているのか、ぜひ分析してください」といった意見をもらうことがあります。
この手のご意見は、お断りしています(過去に分析したことある作品なら答えられると思いますが)。
僕は「アナリスト」を目指しているわけではないし、「セミナー講師」を目指しているわけでもありません。
あくまで「この作品の構造が知りたい」といった興味や、創作のための研究の一貫として分析をしています。
上にも書いたように分析は、時間も手間もかかる面倒な作業なのです。
「あの作品はどうなっているのか?」という興味を持たれたなら、その人が自身で分析してみるべきです。
分析したものを付き合わせて、意見交換をするのは発見があるので大歓迎ですが、他力本願の「分析して下さい」には対応しかねます。(読書会は分析の意見交換をする目的でも開いています)
他人の分析は、自分の分析表と比べたときに初めて意味がでます。
ハリウッド関連の書籍では、有名な映画をいろんなライターが分析していますが、解釈が違ったりもします。
プロが分析しても、意見が分かれるのです。
シド・フィールドが言っていようが、ロバート・マッキーが言っていようが、自分がしっくりこなければ、その物語論は使いこなせません。
物語論は、あくまで用語は弄ぶものではなく、自分のものにして使うものであるべきです。
緋片イルカ 2020/11/12