「感想」「批評」「分析」(三幕構成48)

最近、「分析会」に新しく参加してくださる方も増えてきたので、改めて「分析とは何か?」ということを明確にしておきたいと思います。

そのために、わかりやすいのは「感想」「批評」という言葉との違いを考えることではないかと思います。

あくまで僕の考える定義ではありますが、主催者でもありますので、同時に「分析会」においても同様の定義になります。

定義自体への疑問や意見は大歓迎ですが、みなさんが集まって話し合う場としては、おおよその方向性や共通認識を固めていきたいと思います。

以下、用語ごとに解説します。

「感想」

これは作品に触れたときの「率直な感じ方」です。

正しいとか正しくないもないし、好き嫌いに偏っていて構いません。

アマゾンなどの商品レビューのように、自由に、言いたいことを言えばいいものです。

むしろ主観的であるべきで、感想の段階で、構成だとか受賞歴などを変に意識しない方がよいと思います。

採点制度では「好き」の点数に直結し、僕の分析表(右上部分)では「Sub」(Subjective)となっています。
参考:採点制度「好き」「作品」「脚本」(文章#43)

創作においては、率直な感想は「一般人のリアクションを想像するセンス」に関わります。

自分の書いたセリフやシーンが、多くの人にどう思われるか?

そういった「一般的なセンス」が掴めていれば、自分の作品に、多くの人が共感してくれますし、感動させたり、ドキドキさせたり、怒らせたり……感動を起こせるようになります。

センスがズレている場合は、その特殊性が良い方に働けば「個性的」、悪いときには「つまらない」と思われてしまうでしょう。

「一般的なセンス」を身につけるのは、仕事としてこなしていく上では重要です。

自身にそのセンスがなくとも信頼できるアドバイザーがいて、聴く耳をもっていれば補ってはもらえますが、そのアドバイザーが正しいかどうかは、やはり自身で判断しなくてはいけないかもしれません。

相反する良さそうな意見が2つあるときなども、やはり作者が決断しなくてはいけないので、センスは磨かなくてはいけないでしょう。

センスの元は「感想」を持つときの「率直な感じ方」がベースになっていると思います。

頭でっかちにならず、自分の感性をしっかり保ってください。

「批評」

これは作品に対する「自分の視点」を述べたものです。

どう感じたかという「感想」よりは客観性が含まれます。「説得的」とも言えるかもしれません。

「この映画は面白かった」ここまでは感想です。

次に「なぜなら、こういうシーンが好き」といってしまうと「感想」の延長でしかありません。

物語を学ぼうという人は「感想」だけではいけません。

作家としては、もう一歩、踏み込んだ「自分の視点」をもつべきです。

「テーマも普遍性をもち、このシーンがとても美しく、登場人物も魅力的である」

こうなると、やや「批評」っぽくなってきます。自分の面白いとは何かという「視点」があり、「根拠があるよ」という感じです。

ですが「普遍性をもつ」とか「美しい」といった意見は、主観的でもあります。

多くの人が「うんうん」と納得してくれるなら、まあ、特別な説得はいらないでしょう。

ですが「私は美しいとは思わない」という人がいたときに、その人を納得させる根拠を示せるか?

それが「批評」の力です。

批評家と言われる人には、その能力があります。

意見が主観的で、ときには作り手の意図と違ったとしても、その批評家の視点に「説得力」や面白味があれば、なるほどと思います。

「そういう見方もあるかもしれないなあ」

そう思わせる指摘が「批評」です。だから「説得的」とも言えるのです。

ただの「感想」からも得るものは多々ありますが、こういった意見に触れると、聞く側にも発見があります。

作品を修正するときには「視点」が役に立ちます。自作では、自分の視点が基準になるからです。

これは、批評的にものを作品を見ていく中で養われていくのだと思います(批判的に見るではありませんよ?)。

採点制度では「作品」の点数に繋がり、僕の分析表(右上部分)では「O」(Objective)となっています。
参考:採点制度「好き」「作品」「脚本」(文章#43)

ここでは、作品の受賞歴や興収、作家の作風やクセなども、根拠に使って構いません。

「アカデミー音楽賞を獲っているぐらいですから、この作品の音楽は美しいと言える」という批評は、説得力があります。

「感想」として「俺は美しいなんて思わない」という人がいても「俺は」だけでは説得力に欠けます。

業界のトップレベルの人たちが評価しているということは、一個人の素人よりも説得力があります。

むりやり、頭ごなしに美しいと考えを改める必要はありませんが「自分のセンスが磨かれていない可能性」は疑うべきですし、受賞歴を否定するに値する根拠を示さなくては説得はできないでしょう。

これができずに「分からない奴には、分からない」といった思考に陥ると「批判的」になりますので注意しましょう。

批判的というのは、しょせんは説得できない「感想」に過ぎないのです。

同時に「批評」ばかりで「感想」を忘れない心も大切です。

自分の感性を働かせるのが「感想」です。

「受賞作」だろうが「大ヒット作」だろうが、「つまらない」と思うなら、その感性は大切にするべきです。

肩書や経歴ばかりを有り難がっていても、面白い作品は書けません。

「分析」

「分析」は「批評」よりも客観的にあるべきだというのが、僕の意見です。

たとえば、ハリウッドのイメージシステムでは色を象徴的に使います。

「赤」という色は自然界では火や血の色なので、怒りや情熱(そこから恋愛)といったものを連想させます。

主人公が赤い服を着ているなら「情熱的な内面」を象徴しようとしている可能性があります。

ですが、ワンシーンで赤い服を着ていただけで決めつけてしまうのは「批評」です。主観的です。

次のシーンではどうでしょう?

青い服を着ていたとします。冷静な態度で臨んでいるシーンでしょうか? ケンカしているシーンなのに?

こうなってくると「作り手がブレている」可能性も高くなってきます。

もちろん、すべてのシーンで同じ服でなければいけないなどのルールはありません。

あくまで演出方針なので、複雑なルールに基づいてイメージシステムを作っているかもしれませんが、その方針自体にブレがないか?

方針が統一されていても、色は直感的なものなので「僕は情熱は青だと思うんだ!」と演出しても、伝わらない可能性も高いでしょう(「感想」で述べた「一般的なセンス」に欠けているとも言えます)。

このように、提供されている映像を、客観的に判断していくのが「分析」です。

「感想」「批評」を差し引きするためには、自分の贔屓しがちな部分を自覚しておく必要もあるかもしれません。

ちなみに採点するとき「好き」「作品」「脚本」がいつも同じような点数になるような付け方をしている人は、どれかに引っ張られて自身の中で「主観」「客観」の区分けができていない可能性があるかもしれないので、自省してみてください。

あるいは「好きだけど最低な作品ってどんなだろう?」(「好き」5点「作品」1点)と想像してみたり、

「大嫌いだけど最高に巧い作品ってどんなだろう?」(「好き」1点「脚本」5点)などと想像してみてください。

話を戻します。

「分析」においては、このサイトで解説している「ビート」も参考にはなります。

「この映画、前半がなんとなく眠かった」という印象を受けたとき(これは「感想」)に、根拠として「PP1やカタリストが遅い」という可能性が示せます。

「PP1は全体の1/4」というのは有名なセオリーです。きちんと時間を計って遅れていたら、それが原因かもしれません。

同じ映画なのに「いや、ぜんぜん眠くなかったよ? 前半からスリリングだったじゃん」という人もいるかもしれません。

では、その人は前半のどんな要素に惹かれたのでしょう?

具体的なシーンやセリフで拾ってみると「別のプロットが動き出している」とか「潜在的なテーマが示されている」といったことがあるかもしれません。

また、「眠くなかった」と言った人の読み取り自体が主観的な感想に過ぎない可能性もあります。

とにかく、作品内に示されていることを中心に即物的に考えていくのが「分析」です。

時代性とか背景にあるものを前提としたシーンもあるので、完全に主観を排除することなどできません(たとえばジョークなどは前提が作品内に示されていないことも多い)。

「普遍性」ということを考えると、その時代にしか通じないもの、その地域にしか通じないものは、廃れていきます。

10年、20年は持ちこたえても、100年は保たないでしょう。

表面的に古くなるものはたくさんあるけど、その根底には「普遍的」なものが描かれているからこそ、良い古典は今見ても楽しめるのです。

作家にとっての「分析」は普遍性を学ぶことでもあり、表面的なテクニックを学ぶことでもあります。

学びは「真似」から始まるとも言いますが、テクニックを盗むときは、いったん自分の「好き嫌い」は置いておかなくてはいけません。

作品そのものを、客観的に見るようにすることで、優れた点も問題点も、解決作も見えてくるのです。

「分析」をつづけて引き出しが増えれば、創作の腕も上がります。

作品をたくさん見ているだけでは、盗みきれないテクニックもあります(とはいえ、たくさん見ることはけしてムダではありませんよ!)。

ちなみに「分析」は採点制度では「脚本」の点数に影響しますが、脚本の評価は「構成」だけでなく「描写」や「テーマ」の取り扱いも含みますのでイコールではありません。
脚本は僕の分析表(右上部分)では「Sc」(Script)となっています。
参考:採点制度「好き」「作品」「脚本」(文章#43)

今後の「分析会」での方針

文学村の「分析会」は批評や分析といった「客観性」に重きを置いています。

ただ、集まって好き勝手に「感想」を言い合うだけでは「ケンカになる」か「同じ意見の仲良しグループ」ができるだけになってしまいます。

いろんな人の意見を聞いて「視点」を広げることに、集まる意味、一人では気づけない価値があります。

「感想」や「批評」を主張したいだけなら、SNSやレビューに書けばいいのです。

「分析会」は対話の場です。

きちんと発言して、きちんと耳を傾け、成長していく場です。

初心者の人はなかなか自信をもって発言できないかもしれません。

まずは「感想」をしっかり言うようにしてください。これには正しいも間違ってるもありません。

今後は進行として「感想を言う時間」「分析をする時間」「批評する時間」を明確に分けていこうと思います。

初心者の方は「感想」だけで構いません。

慣れてきた人は、しっかり「分析」をしてください。

「分析」の時間では根拠となるシーンの「時間と全体からのパーセント」を明示してもらう方針にします。

これは「批評」と「分析」を分けるための意図です。

脚本家を目指す人は「ビート分析」が望ましいですが、慣れない人は「スリーポインツ」だけでも構いません。それすらわからない方は、この時間は聴いていてください。

さいごに「批評の時間」。

それまでの「感想」「分析」を踏まえて、思ったことなど自分なりの意見を発言します。

その中には「修正の方向性」のヒントが含まれると思います。

「分析会」を通して、物語力を向上させたいという意欲のある方のご参加をお待ちしております。

緋片イルカ 2023.2.26

SNSシェア

フォローする