「設定」と「構成」のちがい(三幕構成31)

今日は「設定」と「構成」のちがいということを考えてみたいと思います。

企画書について

小説でも脚本でも、執筆に入る前に編集者やディレクターに「企画書」や「シノプシス」あるいは「プロット」といったものを求められることが多々あります。

これらは決まった形式はなく、人によって求めるものが違います。

A4用紙で一枚にすべて収まるような企画書を好むような人もいれば、5枚とか10枚といった「あらすじ」がすべて書いてあるようなものを好む人もいます。

「シノプシス」は本来、あらすじの意味ですが、構成表をシノプシスと呼ぶ人がいたり、

逆に「プロット」と言いながら、あらすじを求めてくる人もいて、呼び方自体も様々だったりします。

そんな中で、すべてに共通しているのは「どんなストーリーで、どんなキャラクターが登場して、面白いのかどうか」でしょう。

これを履き違えているようなもので「企画意図」として「コロナ禍のような閉塞した現代でこそ、希望が求められれる」などと長々とご高説をたれているような企画書があります。

そんなことは「物語」の良し悪しとはなんら関係ありません。

物語の面白さは「誰が、何して、どうなるか?」で決まるのです。

これを一言で表したものは「ログライン」といって、主に構成を表します。(ログラインって何?

ただし、ログラインだけはでは伝えきれない「設定」があります。

とくにファンタジーやSFのような世界では、最低限の情報がないと、ログラインも意味不明になってしまいます。

具体例をあげて考えていきましょう。

「設定」をどこまで説明するか?


漫画『マインドアサシン』をつかって、設定と構成のちがいを説明したいと思います。

この漫画を例にあげるのは、もちろん僕が好きな漫画の一つだからですが、Amazonのリンク先から第一話が試し読みできるからです。

ご存じない方は、どうぞ、お読みの上で、以下をお読みください。

主人公、奥森かずい先生は個人経営の医院をしているお医者さんです。これは設定です。

病院には「精神・記憶に関する相談うけたまわります」とあり「記憶を消す」という超能力を持っています。

その能力は、第二次世界大戦中にナチスドイツによって開発されて、ピアスはその能力を制御するものである。

奥森かずいが、その「マインドアサイン」であり、その能力を使って「精神・記憶に関する相談」をうけたまわわっています。

そして、コヤタという少年と同居していて、どうやら息子ではないようです(彼についてはコミックスの後半でわかります)。

以上が、「マインドアサシン」に関する設定といえます。

では、この情報をどこまで「企画書」などで説明する必要があるのか?

もちろん答えはひとつではありませんが、僕が考えるには「構成」に関わる部分だけです。

これらの「マインドアサイン」の歴史や、過去の経緯などは、作者として考えておいて損はありません。けれど、企画書に書く必要はありません。

コミックスの途中で出てきますが、同じ能力を持った人間もいますし、彼の父親も同じ能力をもっています。

初めてこの物語に接する人には、そういった細かい情報を聞かされても混乱するだけです。

「マインドアサシン」という記憶を操る能力がある。その「設定」だけ説明しておけばいいのです。

物語の核は「設定」ではなくストーリーです。

その「マインドアサシン」である奥森かずいが「何をするか?」がストーリーであり、構成になります。

「構成」は何が起きるかを書くもの

第一話の試し読みをされていない方は、どうぞ読んでみてください。

はじめの2ページでは「マインドアサシン」についての説明がなされています。

これは正直、漫画としてはあってもなくてもいいようなページです。ただし、連載の第一話として最低限の説明として置かれているといえるでしょう。

ページをめくると、医師としての奥森先生の日常が3ページ分描かれます。

そして、4ページ目で依頼人の少女が登場します。これが第一話の構成です。

三幕構成でいえばカタリストに相当しますが、初心者はプロットポイント1と思っても大差ありません。(プロットポイントって何?

要は、ここからメインストーリーが始まっていると捉えることが重要なのです。

奥森先生は、少女の相談を受けて、彼女の要望通り記憶を消します。

構成でいえば、ここがミッドポイントとなります。(ミッドポイントって何?

その後、消したはずの少女の記憶が暴力によって呼びさまされてしまい、彼女は死んでしまいます(いわずもがなプロットポイント2です)。

そして、奥森先生は「マインドアサシン」として犯人を暗殺するというアクト3で、第一話はおわります。

以上の第一話の構成をまとめると、

「記憶を消す能力のある奥森先生は、
 少女の依頼を受けて記憶を消してやるが、
 彼女の記憶は暴力によって思い出させられてしまい、犯人を暗殺する」

というのがログラインとなります。

これらの展開を箇条書きにすれば「プロット」ですし、しっかりと文章にしていけば「シノプシス」になります。

「マインドアサシン」という能力の「設定」の説明がどこまで必要かは「シノプシス」にしたときに、必要なだけといえます。

(※もちろんシリーズ物としての企画書であれば、詳細な設定なども必要になるでしょうが、ここでは細かい事例には触れません)

このマンガの魅力は、超能力による暗殺シーンではありません。

むしろメインプロット(※物語の中心はアクト2に置かれるものなのです)である、少女と奥森先生との会話です。

大切な人の記憶だけど、いまはそのせいで苦しんでいる。

その痛みとどう向き合ったらいいのか?

いったん、忘れてみるというのもいいのではないか?

こういった感情ドラマが、この物語の魅力です。けっして「暗殺能力」という設定が面白いのではないのです。

企画書に設定ばかり書いていても、この面白さは伝わらないでしょう。

緋片イルカ 2020/12/02

→似たような「設定」の比較(三幕構成32)


第一話がおもしろかった方は、ぜひ全巻読んでみてください。たった5巻なので、高くないし、すぐに読めると思います。

読書会と同時開催している「合評会」では参加者に「企画書」や「プロット」を提出してもらっています。ご興味のある方はご参加ください。
次回の開催はこちら→読書会#7『蛇を踏む』川上弘美

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